第5話・「嫌いじゃないよ。でも、苦手」

「お姉ちゃんは、」

 横浜駅を東口から出て、ベイクォーターを横目に、はまみらいウォークを歩き日産本社を通り抜ける。

 やがて横浜美術館まで辿り着けば、みなとみらいはランドマークタワーまであと少しだ。

「お父さん、嫌い?」

 楓からの視線を感じる。合わせることはできない。

「どうだろう。……感謝はしてるよ、すごく」

 お母さんと出会ってくれて、私を育ててくれた。インターンをしていると、労働の大変さや理不尽さを(一片だとしても)ひしひしと感じる。そんな中でひたすらに働き、私を大学にまで行かせてくれた。感謝しないわけがない。だけど。

 私の大好きな、お母さんを怒鳴るその姿を見てきた。癇癪を起こしてモノを投げる姿を見てきた。きまぐれでテニスを始めた私に対して、『やるなら一番をとれ』と言ってスパルタ指導をしてきた。それで私から苦手意識を持たれたと気づいてから、楓には甘く、優しい。

 そんなこんなで、私があの人への感情を語るなら――

「嫌いじゃないよ。でも、苦手」

 ――そんなところが、妥当だろう。

「すごく」

「……そっか」

 妥当なところでは気が済まず、ついいらない一言を付け足してしまった。楓の視線が私から外れ、正面を向く。

「あっ、お姉ちゃん、あれさ、私初めて見たときジェットコースターだと思った」

 楓が指をさした先には、銀色の鉄柱が縦横無尽にうねっている。

「私も」

 ランドマークタワー、モニュメントで検索すればおそらく最上位に表示されるであろうそれは、もはや見慣れすぎてなんの衝撃もない。意味もわからない。調べたこともない。ただ、いつもそこにある。

 無くていいとは思わない。むしろ在ってもらわないと困る。意味なんていらない。ただ、そこにいつもあればいいと、思う。

「さぁさぁ皆さんお集まりください、もう少しね、人が集まってきたら始めますからね~」

 クイーンズスクエアを突っ切ると、階段下の広場では大道芸人さんがいそいそと準備をしつつ声掛けをしていた。

 二メートルはゆうに超えそうな巨大な一輪車、火吹き棒、ジャグリングのクラブ……何を専門としているのかはわからない。

「見ていく?」

「んー……」

「じゃあ帰ってきたときにやってたら見ようか」

「うんっ」

 と、いうことで、「お嬢さん達、まだ前空いてますよー」と手を振ってくれた大道芸人さんに頭を下げてスルーを決め込む。

 すぐ先にあるコスモワールドは、昼過ぎだというのに家族連れやカップルで大いに賑わっていた。

「入る? お姉ちゃん」

「突っ切るだけ。遊ぶのは夜にしよ」

「はーい」

 コスモワールドに入場料はない。遊びたいアトラクションのチケット代を支払うシステムだ。せっかく来たので大観覧車に乗る予定だが、やっぱり夜がいい。並ぶのは、覚悟の上。

「離婚、かぁ~」

 探検系のアトラクションがあるブラーノストリート・ゾーンから、広大な川に掛かっている国際橋を渡って、乗り物系のアトラクションがあるワンダーアミューズ・ゾーンへと移動している途中、楓が呟いた。

「やっと、って感じだね」

「そうだねぇ」

 楓の表情は、明るい。声音もどこか呆れ気味で、落ち込んでいる雰囲気はない。けれど、そのどれもが、彼女の本心を隠すための芝居に見えてしまうのは……私の思い込みだろうか。

「いっつも喧嘩してたし。どっちかがどっちかを殺す前に離れて良かった。……良かったんだよ、ね?」

 思い込みなんかじゃ、ない。もう少し口を動かしたら、楓の瞳から再び涙が零れると確信した。この子はまだ納得も消化もできていない。ただ、そうしようと努力しているだけなんだ。

「……楓、お腹空いてない?」

 離婚して良かったか、なんて、良いかなんて、そんなのわからない。少なくとも今こうして、楓の心に負担を掛けているという点では、悪い。だけど……その先にどんな結果が待っているかなんて、誰も、何も、わからない。

「まだ大丈夫だよ」

 露骨にはぐらかした私を茶化すこともなく、すんなりと進路変更を受け止めた楓。大人びすぎて心配になる。

「クレープは?」

「クレープは食べる」

「そうこなくっちゃ」

 結局コスモワールドをそのまま通り過ぎ、私達は大型商業施設、ワールドポーターズに足を踏み入れた。

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