第23話
ホリーの母親ナンは経過も良く退院することが決まった。ロビーで棗を待っていた時、見覚えのある人物にホリーが立ち上がった。
「あ、お姉ちゃん!」
ダークブラウンの長い髪、アンジェラだ。
「ホリー! 元気?」
「うん! お姉ちゃんは?」
前にあった時とは考えられないくらい笑顔のホリーがそこにいた。
「元気だよ、今日は定期検診。それよりホリー、悪い人のことなんだけど……」
結局あれから何度も電話をかけてもガロンとは連絡がつかない。殺されたとしても遺体すら出てきていない。出国の記録がない事から見て、スミルはどこかに身を隠したのでは無いかと言っていたが、真相は分からずじまいだ。
「大丈夫だよ。先生が言ってた、もう心配することないって!」
「え?」
それはガロンの事ではなく身体の事ではないのだろうか? でも、二人は前にあった時とは明らかに違う、憑き物が落ちたように晴れやかな笑みを浮かべている。
「どういうこと?」
ナンが恥ずかしそうにアンジェラに耳打ちをした。
「実は……先日お金が戻って来まして、街ではフリン不動産が無くなったのでもう無茶な取立てはなくなるという噂で持ちきりのようで……」
確かに目の前でフリン不動産は爆破された。でもそれでガロンから解放されたというのは少々お門違いにも思える。
「じゃぁまたね、お姉ちゃん!」
ホリーに言われてアンジェラは我に帰った。嬉しそうに手を振るホリーたちを見ていると本当にガロンからの呪縛が解けたんじゃないかという錯覚までしてくる。
「またね」
そう言いアンジェラはホリーたち親子に手を振った。
(でもなんで先生がそんな事言ったんだろう? 元気つけるため? それとも、そうだという確信があった?)
そんなことはない。ガロンのことだ、どこかでまた誰かを巻き込んでコキ使って悪どいことを始めるに違いない。次に会う時は絶対に証拠を突きつけてやる。アンジェラはギュッと拳を握った。
退院手続きを終えたホリーたちはロビーで棗に指示を受けていた。
「少しでも具合が悪くなったら救急車を呼ぶこと」
ナンは主治医でもある棗に耳にタコができるほどうるさく言われていた。
「ハイ」
そんなやり取りにホリーが暇そうにしていた時、柱の影からヒラリと何かがはためいた。ナンを棗に任せエントランスとは反対へと走り出した。
近づくと柱の影から白衣の裾が見える。ホリーは柱まで走っていくとチラリと左上を見上げた。そこには思った通り夜雨がいた。
「ありがとうございました」
小さな身体を半分にし頭を下げる。次に顔を上げた時、ホリーは微笑んでいた。
「やっぱり思った通りの人だった」
後ろ手に夜雨を見上げたホリーは楽しそうに言った。
「なんのことだ? 俺はなにもしていない。助けたのはあいつだろ」
親指で示された先には棗と母、ナンがいた。二人をホリーはじっと見つめると、
「そうだけど、ソウ先生が助けてくれた」
と、夜雨を眩しいものでも見るように見上げた。
「ありがとう。私、頑張るから……ママを助けてあげられるように早く大人になる」
うーん……と、夜雨は首を傾げながら一歩ホリーに近づいた。
「別に早く大人になんなくてもいいんじゃないか? そのうち嫌でもなるんだから、ゆっくりでいいんじゃねぇの?」
それからホリーの頭をグリグリと乱暴に撫でた。
大きい手だった。自分の父親が生きていたらこんな風だったろうか? 不器用でそれでいて優しい、人を助ける手……
「じゃぁね!」
ホリーが手を振り母の元へ戻った。その様子を夜雨は黙って見つめていた。
「ではまた一週間後」
戻ってきたホリーにそう棗が告げるとホリーとナンは頭を深く下げて背を向けた。気のせいか前よりも少し背筋が伸びているように感じた。その後ろ姿を棗は誇らしげに眺めた。
「行ったか?」
背後の柱に隠れていた夜雨がそっと顔だけ出した。
「ホンマ元気になれば興味ないのな」
片手をポケットに手を突っ込んで少し前屈みになり棗は夜雨に指を刺した。
「全快すればそれまでだろう」
おかしなことを言うと言うように夜雨は棗に背を向け、賑わうエントランスを人混みに溶け込むようにぬっていった。すると、前から目つきの悪い人物が深妙な顔をしながら歩いてきた。
「ん? なんやスミルやないか。どないしたんや?」
不機嫌な顔をし、二人を見つめていたスミルが重たい口を開いた。
「面倒なことになった」
わけがわからないと言う顔をしている二人にここでは目につくので奥へと手招きした。三人は柱に背中合わせをし、目だけは周りを伺い、なるべく顔を合わせないように、それでいて怪しまれないよう自然に振る舞った。
「上がイマジナリーユニット対策の組織を作ると言い出した。その中には俺もあいつも入ってはいるが、思惑がさっぱり分からん」
考えるのを諦めたスミルは首を左右に振り、肩をすくませた。柱を挟み背を向け話を聞いていた夜雨が天を仰いだ。
「俺は捜査をさせてくれとは言った。あぁ言ったさ! だが大掛かりな組織なんぞ作って欲しいとは思っていない。ますます動きが取れなくなりかねん!」
捜査を続ければ十二年前の事件についてなにか手がかりが掴めるかもしれない。それなのに対策組織を作られてしまえば単独行動はおろか、上に従う事しかできなくなる。
「連中はガロンの件で何かに気づいたんだ。きっと十二年前のエマの事件と繋がっているはずだ」
スミルはお手上げとばかりに頭を抱えた。
「これからは上からの監視も鋭くなる。今までのような尻拭いは出来なくなるぞ。派手な行動は慎むことだな」
騒ぐだけ騒がせて置いて、その爆弾の知識を持っていたというホロウは一体どこに行ったのだろう?
「夜のいうのが正しいとすると、敵はどっちや? 警察か、イモータルっちゅう組織か?」
「はたまた両方とも考えられる」
両腕を組み考え込んでいたスミルが間に入った。
「奴らもしかすると、俺たちのことを皆殺しにしようとしているのかもな」
くくくと、何が面白いのか笑い出す夜雨に二人は呆れた。
「この状況でよぉ笑うてられるな」
関心するわと、ため息をつく。
「俺はこの件のおかげで新しい上司の召使いに選ばれたからしばらくはここには来れん。とにかくだ、最優先事項は人助けだ。その中で十二年前の事件も平行して追う。ヘマはするなよ?」
と、言い後ろ手を振る。
「は? 召使いって……」
棗の問いかけを無視してスミルは無理矢理話を切った。よほど腑に落ちないのだろう。この件についてこれ以上聞かれなくないようだ。
「じゃ、解散」
それを合図にそれぞれの方向へ三人は歩き出した。
「あ、その新しい上司ってどんなだ?」
ちょうど影になる場所から夜雨がスミルに尋ねた。スミルはゆっくりと振り返り言い淀んだ後、観念したかのように口を開いた。
「年下だ」
ブスっとしているスミルに棗が冷やかす。
「なんや、またワンコ幼稚園か?」
ワンコとは決まって棗が苗字サクール(犬)から取って弄る夜雨からすれば定番の悪いジョークだった。彼からしたら警察の犬とかけているのだろうが。
「うるさい。ただの中国から来た世間知らずのボンボンだよ」
そう言うと、今度こそスミルは背を向けてエントランスへと歩き出した。
「やっぱり幼稚園やないか。あの子と何が違うんや? なぁ夜」
ガロンが言っていたホロウもアジア人だという。それが本当かどうか今となってはわからないし調べようがない。
(誰なんだ……)
「聞いとるんか?」
目の前にムダに良い顔を向けられた夜雨の目が剣呑なものに変わる。
「行くぞ」
自分と同じくらいの位置にある顔を遠慮なしにぐいっと押しやり、いつもより低い声で言った。
「ひどい」
そう言いながらも、棗は言われた通りに後ろからついてくる。ふと目線をあげると先に見知った顔を見つけた夜雨は足を止めた。
「夜?」
不思議に思った棗が足を止めて夜雨を見た。
「あれ? スミルさんじゃないですか!」
突然のよく通る声に夜雨の影からひょっこり顔を出すと少し先にファイルを片手に持ったアンジェラがいた。
「あ? お前なんでここに?」
見知った人物に喜び子供のように廊下を走り出し、夜雨と棗の横を通りすぎて行く。
夜雨
「!」
切れ長の目が大きく見開かれ歩みを止めた。自分を呼ぶ声。忘れようにも忘れられないその声は、もうこの世にはいないエマのものだった。
「夜?」
黙ったまま動かない夜雨に棗は振り返り首を傾げた。
「定期検診のようなもんですよ。スミルさんこそどうしたんですか?」
「俺は……み、見舞いだ、見舞い!」
苦し紛れの言い訳にアンジェラはふーんと答えるとこちらに気づくことなく歩いて行く。
「どうした? 行くぞ」
夜雨は一度二人の後ろ姿を見ると白衣をなびかせ棗のもとに歩き出した。
「今行く」
聞き覚えのある声にアンジェラがふいに振り返る。エントランスにはたくさんの人で溢れかえっていて賑やかだ。その賑やかさの中でどこか懐かしい声がしたような気がしたのだ。その誰だかわからない声の主を探す。
どうしてだか、会いたいと思ったのだ。それは耳ではなく別のところに残っているかすかな記憶だった。
「おい、何してる。帰るぞ」
両手をポケットに突っ込み、まるで道草を食っている犬を待つかのようにスミルが言った。
「はい」
そういうと、アンジェラはスミルのもとへ走って行った。
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