第21話

『そうか、死んだか』

 救急車の中からスマホをスピーカーにして夜雨と棗はグレンに報告した。

『葬儀屋に引き取りに行くように言っておく。人目に触れぬようにな。後、よろこべ、ナン・ドレークが目を覚ました』

「ほんまか!」

 棗が夜雨の手を引っ張りスマホのスピーカーに喜びの声を上げた。その声の大きさに夜雨が顔をしかめる。

『以上だ』

 そういうとグレンは電話を切った。

「おいグレン? おーーい! まったく母親の件はよかったとして、なんちゅう後味の悪さや!」

 救急車の助手席に乗り込んだ途端、棗が悪態をついた。どうやら運転するつもりはもうないのだろう。あれから棗にしっかりと応急処置をされた夜雨は仕方なく少し遅れて運転席に乗り込んだ。

「怪我人なのに」

 シートベルトを引っ張りながら、ぶつくさと膨れている夜雨を無視して数時間前に気付いた疑問を指さした。

「で、なんや? 後ろに積んでるアタッシュケースの山は」

 いつの間に積んだのか普段病人を乗せる後部座席には似合わない銀の塊が置かれている。

「棗よ、ちょっと手伝ってくれないか?」

 運転席と助手席の間から分厚い書類を引っ張り出し、棗に手渡した。

「これ……アルから渡された封筒やないか」

 怪訝そうな顔で中の書類に目を通しはじめた棗は頭を抱えた。

「まさかコレ今から全部片付けよういうとちゃうよな?」

 夜雨は素知らぬ顔で首を傾げながらシートベルトをつけてエンジンをかけた。

「んーー? そのまさかや」

 ニヤッと言う悪い顔を向けた。こうなると誰も止められない。

「イヤだ。絶対にイヤだ」

 室内のルームグリップに両手でしがみつき棗は首を左右に振った。もう任務は終わったのだから帰って寝たいのが本心だ。

「まぁまぁ、そう言うなって。後でモニカさんのレモンタルト奢ってやるから」

 夜雨は手を伸ばし強制的にシートベルトを付けさせた。

「イヤだ! それだけじゃ足りん! せめて俺の好物奢りや!」

「さぁ、日が登るまで楽しくやろうや」

 時刻は深更。夜明けまで二時間弱。件数的にも厳しい。

「じゃぁ、なんか辛いやつ奢る」

「なんかってなんや! 逆に怖いわ!」

勢いよく踏まれたアクセルに救急車は煙をふかして発進した。その音に棗の悲鳴はかき消された。



 一度帰宅の許しを得たホリーは病院からこっそりと抜け出していた。ようやく白ずみ始めた空には飛び立つ鳥たちが朝を伝えてくれていた。

家に入る前に請求書まみれのポストを開けた。そこには案の定、数々の請求書に溢れていて開けた途端、雪崩のように地面に落ちた。その中に一通だけ宛名も差出人も書かれていない分厚い茶封筒が落ちていた。

「なんだろう?」

 何気なくホリーは封筒を開けた。そこにはたくさんのお札が入っていた。

「え!」

 思わずギュッと封筒を握りしめた。いくら入っているかわからない。ただ一つだけわかるのはコレは間違いなく自分の家のポストに入っていたということ。

 家のそばでエンジン音が聞こえホリーは音の方へと走った。そこに救急車が目の前を走って行った。音もないスローモーションのように流れていく景色には見覚えのある人物がいた。夜雨が救急車を運転していた。

「あ」

 音が戻った時には救急車は追いかけられない所にいた。

 救急車は音を鳴らして病人を助ける。それが音もなくここにいたのはなぜだろう? パトカーではないので巡回したりしない。何か理由があってここにいた。その理由はなんだろう? 胸に抱き締めていた封筒がカサリと音を立てた。


「俺らが助ける」


 ふと先日の屋上での出来事を思い出した。

(もしかしたら……)

 もしかしたら本当に彼らが助けてくれたのかも知れない。ホリーはもう一度封筒を見つめ、強く抱き締めた。何故だか呪縛から解放された気がした。

 差出人不明の封筒はホリーの家だけではなく、さまざまな家に届けられていた。皆、フリン不動産から金を借り、高い利子をつけられて借金が膨れ上がった者たちだった。本来なら払わなくてよかった金、それが戻って来たのだ。

「あの金、どうやって持ち出したんや?」

 後ろにカラになったアタッシュケースを見ながら棗が呆れと感心の半々な気持ちで言った。

「一番初めに中を覗いた時にデカいがやけに古い金庫があったんだ。知り合いに一種のマニアがいてな。説明だけで数ある中から合鍵を貸してくれた」

 もちろん違法で作った合鍵だ。

「せやかて、ただのイミテーションとも思わなかったん?」

 信号が赤になり、夜雨はブレーキを踏んだ。

「あの金は歴とした正規の売上じゃないから、銀行にも預けられないだろ? それに額が額だ」

 申告の額よりも多い金を預ける奴はまずいないだろう。もし税務署に見つかって調べられでもしたらすぐに足がつく。

「まぁ、あいつは人もセキュリティーすらも信じないだろうし、大事な物は自分の手元に置いときたいだろうと思ってな。で、スクロに回収してきてもらった」

「スクロくんになにさせとんの!」

悪びれもなく夜雨は手で棗曰くのちゃうちゃうの姿勢をとり、

「大丈夫大丈夫。マニアと一緒だったから。そのまま病院の駐車場に運んでおいてもらった」

 と、言った。

「だから、スクロくんになにさせとんの!」

 かりにも子供だ。自分とアルバートの大事な情報屋になんて危ない事をさせるんだ。今後、夜雨の危ない仲間達にスクロが依頼されたらどうするんだ。しかし、等のスクロは未知の世界に目を輝かせていたというのは、彼らはまだ知らない。

「それに二人にはたんまりと報酬あげといたぞ。請求はグレンに行く」

 にんまりと笑う夜雨は悪気のカケラも見せない。

「これはバレたらまたうるさいぞ」

 ハァ……と、ため息を吐き、方杖をついた棗はどこか遠くを馳せるように窓の外を眺めた。緑地では鳥たちが虫を啄んだり歌っている。人々が動き出す時間。だんだんと人数が増え、やがて街は雑音にまみれる。

 信号が青に変わる。再びアクセルが踏まれ救急車が走り出す。

「まぁ、いつバレるか実物だな」

 ニシシと前を向いたまま笑う夜雨はイタズラに成功した子供のようだった。

やれやれというように棗は肩をすくめた。

「しかしガロンはあんなに金持ってて、どうしたかったんやろな?」

 普通に生活していれば使いきれない額の金だ。

「さぁなぁ……ただ一つ言えることは、行き先はどこであれ、あの世には金は持ってけないっつーことだけさ」

 それは表には決して出ることのない出来事だった。普通の人間にとっては取るに足らないニュースだろう。音もなく訪れた一台の救急車が多くの人間を救ったということは、ここに住む人間のほとんどが知らない。



 セントソルテホスピタルの院長室のテレビでは昨夜のニュースが流れていた。

 テムズ川とイーストエンドでの爆発。幸にも消防の出動が早かったため怪我人は出ていない。ここは褒めて貰いたい事項だ。フリン不動産は全焼、跡形もなく燃え尽きた。奇跡さえ起こらなければ証拠は見つからないだろう。

「肝臓も取れなければ、十二年前の真実すら手に入いらんかった」

 ソファに座り天を棗は仰いでいだ。結局徹夜になってしまい目を擦り眉間のシワを伸ばしている。

「母親の方は意識も取り戻してるし、なんとか薬で持ち堪えたが次はない」

 意識さえ戻っていればなんとかなるだろう。彼女には娘がいる。生きてさえ入ればこの先、治療法などいくらでも見つけられる。棗としてはこの先の事を考えて、さっさと移植してしまった方が手っ取り早いと思っていただろうが。

 その時、院長室をノックする音が聞こえた。

「失礼するよ」

 入ってきたのは、あの目つきの悪い刑事。アンジェラの上司、スミル・サクールだった。

「ガロン・フリンの事務所跡をくまなく探してみたが、金の類も含めてめぼしい物は見つからなかった。爆弾の種類は奴のものと同等品。銃痕からして市販のよくある狩猟用のライフル銃、追うのは困難だ。間違いなく口封じだな」

 持っていた検死結果などの書類をグレンの机に置いた。

「後二つばかり問題がある」

 スミルはもう一通の封筒から書類を出し、検死結果の上に放った。

「射程距離のめぼしいビルを探したらこいつが映ってた」

 ガジガジと頭を掻き苦虫でも噛み締めたような顔をスミルはしていた。そこにはフードをまぶかにかぶった人間がこちらを微笑んでいた。

「わざとだな」

 棗と同じように夜雨も書類に覗き込む。女か男かもわからない、ただ肩にはライフル銃が入っていると思わしきゴルフバック。

「こいつがホロウっちゅうことか?」

 ガロンの話ではホロウはアジア人らしいがこの写真からは特徴などはなに一つわからない。

「こいつ、わざわざ防犯カメラのある場所を選んだ可能性が高い」

 捕まらない自信があるんだと、スミルは忌々しいと言うように吐き捨てた。こいつが十二年前の犯人の可能性も上がった。さらにガロンが自分の事を話し、なおかつ狙撃した場所を特定されるという事まで想定していたのだ。

「もう一つはなんや?」

 さっき問題は二つあると言っていた。

「爆弾だ」

 スミルのいう爆弾とはすり替えられた方のことだろう。

「車の中にあった方の爆弾は時限式の燃料気化爆弾、サーモバリック爆弾だ」

『!』

 夜雨、棗、グレンまでもが表情を変えた。

「成分はエチレンオキサイド。しかも微妙に濃度を弄っている。奴は同業者の可能性も出てきたぞ?」

 エチレンオキサイドガスは頭痛や目痛などを引き起こす毒ガスだ。主に医療関係の人間が器具を殺菌する時に使用する。このガスを使用すれば爆発による破片を撒き散らさない。濃度を変えれば人体にも影響はさほどない。夜雨は先程の投げつけられた資料を見る。

「ここまで来て偶然はないやろ?」

 ガロンに教えたのはいわゆる誰にでも作れて、どこにでもあるありふれた爆弾。今回は知識のみならず、それに関わらないと作れない代物。奴はすべて知っているのだ、こちらの情報と、それ以上のことを。これはいわゆる……

「宣戦布告」

 ぽつりと呟かれた夜雨の言葉に皆が顔を上げた。

「こいつは挑発してるんだ。悔しかったら見つけて見ろってな。舐められたもんだな、無駄に煽ってきやがって」

 内なる闘志に燻っていた炎が再燃する。こいつを捕まえれば、十二年前の真相が手に入るかも知れない。灯った炎を隠すように夜雨は背を背けて目を伏せた。

「この件は上には報告はしない。いずれは辿り着けるだろうよ」

 悠長なことをスミルが言っているが、他の奴とは訳が違う。そうそうに浮上してこないはずだ。下手に追うとこちらが潰されるかも知れない。こんな仕事をしているせいか写真だけでも分かるのだ。言い知れない不気味さと凶悪さ。紛れもなくこちら側の人間だ。

「それはそうと、夜雨! どうしてお前はこうも派手なんだ! 後な、うちの新人を煽んな!」

 まぁまぁと、スミルを宥める棗だが、当の夜雨本人はスミルを見たままポカンとしていた。

「いやーー相変わらず顔怖いなと思ってさ。ホント刑事?」

「殴っていいか? 十二年ぶんのうっぷんをここで晴らしていいか?」

 顔を真っ赤にさせたスミルはまるで鬼のようだった。殴るとは言っているが確実に右手は懐に忍ばされている。

「それはダメや。死体が転がる!」

「どうでもいいが、部屋を汚すな」

 また始まったというような呆れ顔のグレンは興味なさげに言う。これでは部屋じゃなければ許可したことになる。

「俺はあの新人を煽ってない。まったくの濡れ衣」

 はぁと一際大きなため息をついたスミルは夜雨の隣に腰をかけた。

「お前にそのつもりはなくても、あいつは煽られてんだよ。挙句、尊敬までしそうだ。なんて説明すればいい?」

 悪態をつきながらタバコに火をつけるスミル。さすが刑事とでも言おうか、十二年前と比べてガタイが大きくなっている。服の上からでも鍛えられているのがわかる。

「しかしお前も丸くなったな、教育係やってるなんて」

 スミルの階級は今じゃ警部補になっていた。あの時はピラッピラの平だったがちゃんと出世したようだ。

「仕方ないだろ……ああ見えて一様シャーリー家のお嬢様だ」

 ふぅと一息煙を吐いた。

「ほぉ……」

 夜雨は腕を組み深くソファに沈み込んだ。

「なんだ? 気になるのか? ん? ああゆうのが好……」

「別に」

 キッパリと言い放つ。少しでも言葉を濁すとこの見かけによらずこのロマンチストはすぐに色恋沙汰へと繋ぎつける。

「まぁもういいやろ。俺は今すぐ帰って寝たいんや」

 今日は夜雨も棗も当直の日ではない。

「んじゃ、帰るとしようか?」

 伸びをしながら立ち上がる夜雨をグレンが呼び止めた。

「おい待て宋、この前お前に渡したアタッシュケース、やっぱ全部返せ」

「はぁ?」

 この前のアタッシュケースとはパイントの時のものだろう。全部返せということは今回は全てタダ働きということになる。

「なんで!」

 夜雨にしては珍しく声を張り上げる。無理もない、数億がパァになるのだ。由々しき事態この上ない。

「なんでもない! 俺の車の修理代にする。ほら早く返せ」

 億単位をそう簡単に使う男だとは思っていない。すぐには口座にも入れられる額でもない。

「残念だかもう全部使った」

「はぁ!」

 今度はグレンが驚く番だ。

「お、おま……あの金を、どうやって……」

 棗とスミルは頭を抱えてグレンに背を向けた。ガロンは金の亡者だったが、グレンとて人のことを言えたものではない。

「経費経費。後でちゃんと請求……」

「バカやろう!」

 グレンの怒りを通り越した慟哭にも似た叫びを最後まで聞かずに夜雨は院長室の扉を勢いよく閉めた。

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