第19話
夜が大分深くなったイーストエンドの表通りは人がほとんどいなかった。まばらな街頭も薄暗く、月だけがぽっかり空に浮いていた。
「検問張ってるゆうてたが多分あいつのことだ、もう掻い潜ってるやろ」
フリン不動産を足早に出て駐車させていた救急車へと急ぐ。昼間なら救急車の路上駐車など人目もつくし考えられない冒涜だろう。
「だろうな」
ガロンの乗ってる車は警察車両だ。なにもしなくても情報は流れてくる。ただし、それも今まではだ。無線を変えた今からはなに一つ情報は入らないだろう。
「逃がしはせえへん」
棗は運転席に乗りこむと人が悪そうな笑みを浮かべた。
「行くで!」
そういうやいなや夜雨がシートベルトをつけるよりも早くアクセルを踏み混んだ。
「そう煽るなよぉ」
改めてシートベルトをつけてからサイレンのボタンを押した。棗はどっちがだと言ってやりたかったが、運転に専念することを選んだ。救急車がサイレンを鳴らし始めイーストエンドを走り抜けて行く。セントソルテホスピタルのあるフィッツロビアまでは普通に車を走らせて三十分ほど。途中信号にかかっても早くて後十分、急ぐのも分かる。その間もサイレンを鳴らした救急車はどんどんと車を追い越していく。
『夜雨さん棗さんおかしいです』
スクロの無線が入ってくる。
「どうしたん?」
カタカタと言うキーボードを叩く音が聞きえてくる。
『ガロンのやつ、セントソルテに向かってるはずなのにそれて行きます』
「どこへ向かってる?」
再びキーボードを叩く音。
『このままだと、行く先はウエストミンスター』
車一台通れるスレスレの脇道に入り先程と同じスピードで走り抜けて行った。狭い空間にサイレンがすぐそばで反響していた。
「ウエストミンスター? またどないしたんや」
ウエストミンスターと言うとロンドン政治のど真ん中だ。しかも今頃はなにも開かれていないはずだ。
「じゃそのままにしとくか?」
行き先を変更にさせたことにより夜雨が窓を眺めながら頬杖をつき笑った。
「ニュース聞いてへんのか?」
「あ?」
近見の脇道を走り抜け大通りに出たところで棗は救急車を止めた。目の前に続くこの道の先がウエストミンスター、国会議事堂だ。
ギアをチェンジさせながらふいに真顔になった棗が夜雨を見ながら言った。
「今夜臨時議会が開かれてる」
夜雨の目が見開かれ、前方を素早く振り向いた。このままガロンがもし突っ込んだら……
「棗」
「ああ、行くで!」
棗は再びアクセルを踏み込んだ。この先のどこかにガロンはいる。
「どこだ? どこにいる」
深夜近い四車線の道路にはほとんど車は通っていない。警察車両とはいえ覆面、普段なら見つけることも困難だが今なら可能だ。
『すぐそばです! 前に走る車がそれです!』
無線から入るスクロの声にはじかれたように二人は前方を見ると標識の影から隠れていたテールランプを捕らえた。
「見つけた!」
しかしその車はまっすぐに走らず左右にふらついている。
『前の車止まれ!』
夜雨がガロンであろう車にスピーカーで怒鳴るが当の車は止まる気配を見せない。棗はスピードを上げて隣に並列する様に車をつける。うるさく響くサイレンを夜雨は止めた。しかしガロンはハンドルを握りながらこちらをちょこちょこと振り返りつつ口をパクパクとさせている。
「ん? なんだ」
窓を開けた夜雨は自分と同じようにガロンにジェスチャーで窓を開けるように促した。それを見たガロンは慌てて窓を開け叫んだ。
「ブレーキが効かない!」
ガロンがハンドルを握る両手は震え冷や汗が滝のように頬を伝っていた。
「おいおい、うそやろ!」
「いや、嘘だろ。そうほいほい信じんな」
前と夜雨たちを交互に見ながらガロンはブレーキをわざと大袈裟に踏む付けて見せつけた。
「嘘じゃない!」
焦り切った上擦る声と表情からどうやら本当のようだ。
「警察車両やろ? どういうことだ」
普通の車よりもしっかりと整備されるはず。第一、アンジェラたちは今日一日運転していたことだろう。
「いきなりなんてことはない、こいつに消えてもらいたい人間がいるんだろうよ」
しかし、このまま行けば国会議事堂へまっしぐらだった。おまけに車にはたくさんの爆弾が積まれている。
「もうさ、どうせ殺すんだからこのままでもいいんじゃないか?」
「バカ! 肝臓はどないすんねん!」
だよなーと、相変わらずの間延びした緊張感のカケラもない返事。
「助けてくれ!」
「えぇ……めんどい……」
他を当たれと言うように夜雨は窓からヒラヒラと手を振った。
「じ、十二年前の真実を教えてやる……!」
「タダで?」
意地の悪い顔をして目のそばをなびく髪を指ではらった。
「タダだ! 教えるから……早く助けてくれ!」
どうする? と、運転席の棗に夜雨は目で訴えた。今、その権利はハンドルを握る棗にある。
「乗る!」
「OK」
そう言うとシートベルトを外し、もっと寄れと後ろ手に棗に合図を送る。
『夜雨さんこのまま車を走らす事はできませんよ! 議事堂につっこみます!』
インカムからのスクロの焦り声に夜雨がドアのカギを開け止まる。
ただ助けるだけでは意味がない。今の軌道を変えなくてはならない。
「チッ! 面倒くせぇなぁ、もう!」
「どうする夜!」
考えている暇はない。これが全部爆発するとロンドンの国会が壊滅する。
「なんでこんな時に集まってんだよ」
そう悪態をつきつつ自分の乗っている救急車のドアを開けた。
「ほら、早くしろ!」
腕を伸ばしガロンに捕まるように示したが、ガロンは首を横に振り拒んだ。目からは涙が溢れ流れていく。棗は慎重に並列進行を続けているが顔には焦りが見えている。
「早くしろ! 吹っ飛びたいのか!」
意を決したガロンが夜雨に片腕を伸ばす。汗まみれの滑る手を握り、腕を引っ張ろうとするとそれよりも早く、反対にぐいっと手を引かれた夜雨はガロンの車の中に引きずり込まれてしまった。
「………………おい、何してくれんだよ」
見るからに不機嫌になった夜雨はガロンをものすごい形相で睨みつけた。
「私一人で死ぬなんて、非常事態だ! お前も道連れに……」
「されねぇからな!」
「遊ぶのは今度にせんかい! バカ二人!」
狭い運転席で体制を変え、棗に右手を仰ぎ、ちゃうちゃうという姿勢を取りながら夜雨は言う。
「遊んでねぇから。バカはこいつだけだから」
そんな時、トランクからバチッという音が聞こえた。それと同時にカチッと小さな音が助手席から聞こえたと思うと、チクタクと言う時計の音が鳴り始めた。それに気付いたガロンがみるみる顔色を悪くして行く。
「なんの音だ?」
「な……な、なんで……!」
音のした方を見るとトランクから煙が上がっている。
「おぉい……嘘だろ。お前ふざけるのも……」
身を固まらせたまま動かないガロンに文句の一つでも言ってやろうとした時、夜雨は異変に気付いた。
「本気だ……」
「あ?」
「あの人は本気で私を殺すつもりだ!」
助手席にあったダンボールの中には、数字を刻む液晶画面。ちょっと高級なお菓子の箱のようなそれは紛れもなく爆弾だった。液晶の数字は残り十分をカウントしていた。
「あの人って誰だよ? それよりもどうして気づかねぇんだよ」
どうしてくれんだとばかりに夜雨はガロンを押しのけてカウントを始めたばかりの爆弾を覗き込んだ。先日のガロンの物とは違う。見るからに精密そうで、全く嬉しくない事に大きい。
「た、助けてくれ! 早く!」
「その前にだ、ダンボールの中には何が入ってる?」
こいつはただ作り方を教えてもらっただけの素人だ。中身全てが爆弾というわけではないはず。夜雨はガロンの襟首を引っ掴み答えるまで締め上げる。
「ほとんどが新聞紙、火薬が少々……後、助手席に私が作った爆弾があるはずだった」
それが本格的なものにすり替わっていたのだ、驚くのも仕方のない話だ。
「おしゃべりはええから、早よ乗れ!」
棗が業を煮やし救急車をおもいっきり幅寄せさせた。
ガロンは震える腕を恐る恐る開け放たれている扉に伸ばした。数回その腕が宙を掻くとサイドミラーにかじりついた。片足の膝をドアのアームレストに引っ掛けるが、もう片方の足をダランと下げていたため皮靴が地面を擦り変な音を立て、慌てて足を上げる。勢いよく回転するタイヤを見ると喉が鳴った。
「何やっとるんや! 早よ乗れ!」
汗まみれの滑る手で緊張で固まった身体を支え倒れ込むようにガロンはようやく助手席に転がりこんだ。荒い息を整えながら、さっきとは違う空間に安堵し次第に力が抜けて行く。
「ふ……ふふふふふ」
「あ?」
隣で何がおかしいのかいきなり肩を震わし笑い出したガロンに棗が訝しげな目を向けた。
「ふはははははは! 残念だったな、どうやら私は生き残れるようだ! 死ぬのはお前……」
『うるさい!』
前からは夜雨に助手席に置かれていた自身のスマホを投げつけられ、それが額にクリーンヒットし、後ろから棗に思いっきり首に鉄槌を落とされたガロンは笑い顔のまま失神した。
「ちったぁ、だぁってろってんだ!」
改めてギアを動かしながら車にブレーキがかかるかどうか試していた夜雨は諦めた。
「ダメか」
スピードがゆるむ気配すらしない。
「夜、どうするつもりや!」
「どうするもなにも、もともとハンドル操作する奴がいないとどうにもならなかっただろ?」
それがまさか自分になるとは想定外だ。サイドミラーにはトランクの隙間から火が顔を出し始めているのが見て取れる。
遠い目先にはウエストミンスターへと続く橋が近づいていた。
「クイーンパークまでもうすぐやで!」
クイーンパーク……この間ガロンが噴水を吹き飛ばしたあの公園だ。確かニュースで瓦礫を撤去したと言っていた。昼間こそ人で賑わっているがクイーンパークの立地は、テムズ川にそって配置されていて周りには倉庫が立ち並んでいるせいもあり夜は街灯が少なく人がほとんどいなくなる。
「そこだ」
「は?」
棗が理解できないでいる時、夜雨がポツリとつぶやいた。小さな声に棗はインカムに指を当て耳に押し付けた。
「次を左に曲がってすぐに右に入る」
「なに!」
なにか策があるのだろう。夜雨はウインカーも出さずに左へと曲がった。やや遅れて棗も左に曲がり夜雨を追いかける。
「このまま車をパークまで走らせる」
車はアクセルを踏まなくても、時速七十キロを維持して走っている。隣の爆弾液晶を見ると残り五分に迫っていた。
「せやかて、どうそこから脱出する?」
「爆発寸前にそっちに飛び乗る」
事もなげにさらりと言う夜雨に棗とスクロが声を上げた。
「何言うとんねん!」
『無理ですって! 危険すぎます』
キーンとする耳に頭を傾けて凌ぐ。こんな状況じゃなかったらインカムを取っていた。
「ブレーキも効かない、ハンドルも固定できない、路肩にぶつけるにもバカでかい忘れ物が爆発する。もうこれしかないだろ?」
グレンの車でもないし、お咎めはない。と、続ける始末だ。
「棗は先に行け。噴水跡地で後ろ開けてすぐに出発できるように待ってろ」
少しでもガソリンの温存のためにギアをチェンジさせる。今やトランクからは火が立ち上がり始めていた。
後、三分。このままだと二台とも突っ込んでしまう。豪快に揺れる車に先程、止血した傷から再び血が滲み出てくる。もう一度止血しないと自分自身もマズイことになる。
『もう時間がないです!』
悲鳴にも聞こえるスクロの声がイヤモニに響く。
「絶対に成功するんだろうな?」
普段あまり聞かない低い声に夜雨は運転席を見た。
「成功させるんだよ」
無謀にも聞こえる。それでも今はそれが最善策だ。何もしなくても爆発するのだ、だったら何かやったほうがよっぽど良い。それは棗も同じだった。
「待ってるから、先に行く」
棗の言葉に力強く頷いた夜雨は、できるだけスピードが落ちるようにギアをチェンジさせた。真横を猛スピードで棗の運転する救急車が走り去って行く。
「さぁ、一丁派手に行きますか!」
残り時間約二分。紙類に引火したのか炎が上がり、熱気が運転席にまで漂い始めた。
救急車はクイーンパークへと入っていく。その後ろを遅れてもう一台が入る。数メートル先にはテムズ川のフェンスが並ぶ。
棗は急ブレーキを踏み、目的地に夜雨に言われた通りに車を停めた。それから急いで車から降りバックドアを開け、ひらりと乗り込むと邪魔な物を押しのけてなるべくクッションになりそうな物を床に広げた。ここに来る前あらかじめいらない機材を置いてきたお陰でさほど大きな荷物はない。なぜか重たいケースが隅に何個も置かれているが、それはこの際そのままにしておく。そして素早く運転席に乗り込むと大きく深呼吸をした。一度伏せられた目が次に開かれた時、覚悟と不安に滲んだそれは怪しく輝いていた。
液晶画面のカウントは後一分弱。夜雨は前に止まる救急車を捕らえた。起動を真っ直ぐに確保しながらドアを開けて淵に手を添え立ち上がった。
黒い髪が闇と溶け合い強い風になびかれ、目を開けるのも正面を向く事も苛まれる。
液晶画面は一分を切った。
五九
更なるカウントダウンが始まる。バックドアを開けた救急車がせまる。
「天国への門か? それとも地獄への門か?」
夜雨はニヤリと嘲笑した。
五七
迫り来る救急車を冷静に捉えその機会をじっと待つ。脳内で瞬時に計算される成功の確率。それは自分の生死の確率。理論と実践、それより勝るのは自信。
「やるっきゃねぇな」
その顔は妖艶に微笑んでいた。
四九
四八
四七
車と救急車が交差しようとしたその瞬間、勢いよく車を蹴り上げた。バックドアが開け放たれたままの救急車へと向かい思いっきり飛び跳ねた。
身体が宙を浮く。蹴り上げた車は軌道こそ少し変えたがそのままの勢いで公園をテムズ川目掛け走って行く。夜雨は静止している救急車の中へと滑り込んでいった。ドスンという大きな音の後、棗が敷いてくれたであろうクッションをうまく使い、衝撃に耐えるように身体を丸め救急車へと転がり込んだ。肩を強打したがクッションのおかげで大事には至らなかった。が、派手に身体を動かしたおかげで先ほどよりも傷口が開き、床には血が走っていた。
「夜!」
「ってぇ……」
棗の声にフラつく身体で急いで立ち上がると、運転席に繋がる小窓に向かい叫んだ。
三四
三三
「棗行け!」
「おうよ!」
棗は思いっきりアクセルを踏んだ。すかさずバックドアを閉めた夜雨は身体を持っていかれない様にその場に座り込むと、開いた傷口から血が滲む腹に近くに引っ掛けてあったシーツを手と口で破り、それを包帯代わりにすると、上着を脱ぎ、手早く縛りあげた。
「あいつ後で一発殴る」
途端ジワリと広がる生暖かい感触を忌々しげに抑えた。
二五
二四
二三
舗装されていない緑地を走る救急車の揺れはひどく、ときおり身体が激しく上下に跳ね上がり、その衝撃で目を回し倒れていたガロンが頭を窓に強打し目を覚ました。
「な、なんだ?」
十九
十八
十七
状況が分からないガロンは窓から外を見た。さっきまで自分が運転していた車が公園内を炎をあげて走っているのが見えた。
「どうなっているんだ!」
棗はガロンの言葉など気にしている暇はなかった。どれくらいの威力があるかわからない爆発のカウントダウンが迫る今、一刻も早く炎の上がる車から遠ざかりたかった。上下左右に揺れる車体。少しでも気を抜くと横転しそうだ。
十二
十一
十
取られるハンドルをうまくコントロールしながら、救急車はその鉄の塊で宙を舞う。やっとのことで遊歩道に乗り上げた救急車はようやく滑らかに走り出すことが出来た。さらにスピードを上げ公園を駆け抜けていく。
九
八
七
六
スピードを落とし左に曲がり釣り橋の中程まで救急車を走らすと、夜雨と棗は車から降りた。釣り橋はきらびやかにライトアップされ、静かにこの状況を見下ろしていた。
五
四
ガロンの車はそのまままっすぐ走って行きクイーンパークとテムズ川のフェンスをぶち壊した。
三
二
フェンスを破った車はきれいに弧を絵がき、宙を舞った。それから重力に逆らわず川の中へと落ちて行く。
一
水柱があがると車は水面に隠れ、それから少し遅れてズドーンと、言う大きな音と先ほどよりも大きな水柱を上げて車は粉々に吹き飛んだ。周囲に細かな破片が飛び散り、橋の上にも雨のように降り注いできた。爆発の衝撃で吊り橋が命を吹き込まれたかのように上下に大きく揺れた。
「うぉう!」
よろけつつも額に手を当て見上げていた夜雨と、転ばないように高欄にしがみつく棗。
「たぁまやーー」
「アホ、それを言うなら花火や」
つっこみを入れていると、遅れて先程の水飛沫が雨のように橋の上に降り注いだ。
「うっわ! 冷た!」
冬が近づく川の水温は想像以上に冷たく、思わず首を引っ込めた。水を動物のように頭を振って払っていた時、救急車からガロンがふらりと出てきて酔っ払いのように、もつれた足で走り出した。
「あ、待て」
慌てて後を追った夜雨に橋の中央付近で押さえつけられたガロンが両手をばたつかせ往生際悪く暴れ出した。
「離せ! このっ!」
「おいおい、助けたら教えるっつーのは嘘だったのかよ! てゆうか、殴らせろ」
助け損? と、夜雨が拘束を緩めようとした時、棗がガロンを仰向けにし、その頬を思いっきり殴った。
「おぉ」
感嘆の声を上げ夜雨はお見事というように拍手した。
「喉元過ぎればとはよぉ言ったもんやな? えぇ!」
切れた口の血を乱暴に拭い、ガロンは息を整えながらもつれた足でゆっくり立ち上がり姿勢を正し乱れた服を直す。もう爆弾も拳銃も持っていない、二人と戦うにしても分が悪い。
ガロンは橋のライトアップが一つに集まる場所で、まるで演者のようにスポットライトを浴び、あからさまにため息を吐くと逃げるのを諦めたように両手を一度あげた。それを合図に夜雨が棗を宥めてガロンに聞いた。
「お前は十二年前の事件をどこで知ったんだ?」
肩をすくませたガロンは吐き捨てるように話し出した。
「十二年前の事件を知ったのなんてただの偶然だ。ただ私はグレン・ワイリーの弱みを握りたかっただけだ」
「握ってどうするつもりやったんだ?」
そもそもなぜグレンなのかさっぱりわからないという顔の棗にますますガロンが呆れて鼻で笑う。
「決まってるだろ、グレン・ワイリーを上から引きずり下ろすためだ」
「つまりだ、お前はただトップになりたかっただけやというんかい?」
ガロンは棗に怒りをあらわにして怒鳴った。
「当たり前だろ! あんなポッと出のような新参者に昔から長でいたフリン家が負けるはずがない!」
現に負けているのを棚に上げてガロンは拳を握りしめた。
「なんで今更」
頭をガジガジと掻きながら夜雨は首を左右に振った。
「グレン・ワイリーをよく知っているという奴が現れたからさ」
それからガロンは肩を震わせ笑い出した。
「正直ラッキーだったさ。まさに一ペニーの幸運! 天は私の味方なのだと確信した瞬間だった! チャンスだと思った! 彼はなんでも教えてくれたよ」
そう言うとガロンは一度天を仰ぎ顔に手を当て笑いを堪えていた。そして、夜雨と棗に改めて向き直った時には、野心を隠そうともしないギラついた目で言った。
「そいつから聞いたんだよ、十二年前のエマ・ヴァイオレットの事件のことを」
エマの名前を聞いた途端、夜雨の表情が変わる。感情が消え失せたそれは怒り、悲しみを全て身体の奥深くに沈み込ませたようにも見えた。
「そいつはペラペラと話してくれたよ。証拠だって見せてくれた。倉庫の番号や殺された理由……くくく……ふははは!」
「御託はいい」
地から這い出るような声に棗が息を呑み夜雨を見た。冷たい目と何を考えているのかわからない無表情がガロンを見つめていた。
「さっさとその証拠を出せ」
抑えてはいるが今まで聞いたことのない地の底から湧き出てくるような重低音だった。それは内なる獣が今にも目を覚ましそうで、暴れさせないように必死に留めているようにも見えた。
「ははははは! 持っているわけないだろ、そんな大事なもの」
グレンを脅す最終的な切り札となる。どこかに隠して保管しているのだろう。夜雨たちとしては喉から手が出るほど欲しい品だ。
『夜雨さん、僕が探しに行きます。後はお二人でなんとかしてください』
イヤモニから話を聞いていたスクロが提案した。ガロンの隠していそうな所を探しにいくというのだ。
「ちょい待ち、スクロくん……!」
いくらなんでも一人では危ない。そう続けようにも先にスクロは無線を切ってしまった。
「まったく……!」
キツく睨みつけている夜雨とガロンの間を割り込むように棗が言った。
「じゃぁ誰なんや? グレンをよく知っていると言う人物は!」
「くっ、ふははははは! 知らないのか? お前たちは。そこのお前」
ガロンが指をさしたのは夜雨だった。
「そう、お前のようなアジア人だ。そいつは自分のことをホロウと名乗っていた。お前たちはとんでもない組織を敵に回したん……」
最後まで言い終わらないうちにガロンの胸と口から鮮血が飛び散った。
「な……!」
遅れて耳に入る銃声と顔からゆっくり倒れたガロン。
「おい!」
駆け寄った夜雨はガロンを仰向けにしてその真っ赤に染まった胸に手を当て止血を始めた。
「な……んだ、また、たす、てくれ……るのか?」
しゃべったことにより口の端から血が伝う。
「ちげーよ! 俺らが必要なのはお前の肝臓だ。それまでに死なれちゃ困るんだよ」
生暖かい血が溢れて出て止まらない。頭の中ではもう助からないと分かっているが手を離すことができなかった。
ガロンは血まみれの震える手で夜雨の服を掴み自分の方へと引っ張った。
「教え、て……やる…………ホロ、ウのいる組織、は……イモー、タル……」
「イモータル?」
死にゆくガロンはそれでも笑っていた。それは狂気にも似た表情だった。目は怪しく光り、辛うじて夜雨に焦点を合わせていた。
「残念だ、よ……おま……えたち、の……絶望……を、み……れな……て」
トップになれなくとも人の絶望ほどうまいものはガロンにはなかった。それを間近で見るたびに幸福になれたのだ、生きているという実感を得ることが出来たのだ。
「生きて……くる、し……めば、い……」
そういうと、ガロンの手が服からするりとこぼれ落ちる。それがいつかの細い手とかぶり、目が揺らいだ。
「な、んなんだよ、組織って……!」
確証が付いた。十二年前、あの日あの時、誰かがエマを殺した。なんの痕跡を残さずに現場を消え去ったのだ。
お前はもう済んだことだと笑うだろうか?
「それでも、それでも俺は……」
握りしめた拳を大きく振り上げて地面に叩きつけた。滲む血など構わずに銃声がした方向を睨みつけた。
「絶対にとっ捕まえてやる……!」
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