第17話

 フリン不動産の反対側に音もなく場違いな車が一台止まった。それは黄色い車体で青いランプ灯が付いている緊急車両、救急車だった。

「まだみたいだな」

 車を停めガロンを伺う二人は店の前に停車している無人の車を眺めた。ここに置いてあると言うことはいよいよ何かしでかすという合図だ。

 そこへアタッシュケースを持ったガロンが店から一人で出てきた。

「来たな」

 シートベルトを外した棗がドアに手をかけた。

「少し早いが行くか」

 それにならい夜雨もシートベルトを外して車から降りた。

 ガロンが車のキーを開ける。その時、人っ子一人通っていない反対側に止まっていた派手な車の中から人が降りてくるのに気付いた。真っ黒な風貌から誰だかわからないが想像はついた。

「グレン・ワイリーの手下だな」

 夜雨と棗はこちらに気づいたガロンに歩みを止めた。

「久しぶり」

 手を挙げて友好的に挨拶をした夜雨とは対照的に棗を見るなりガロンはまるで動物が威嚇でもするように毛を逆立てる。

「この前の……!」

 こいつのせいで大事な爆弾を一つダメにしてしまった。この前の襲撃もグレンの差金だとしたら、昼間の事がニュースになっていないのも彼らが関わっているはずだ。

「そう言うことか……ダークレインはどっちだ?」

 不敵に笑うガロンは夜雨と棗を交互に見た。ダークレインさえ手に入れられれば。そう簡単には口を割るとは思わないが、少々手荒な真似をしてでも聞きだしてやる。そう意気込んだガロンだったが次の瞬間耳を疑いたくなった。

「俺だけど」

「は?」

 驚きのあまりそれ以上声に出せないでいると当の本人は自分で自分を指差して追い討ちをかける。

「だから、俺」

 なにを考えているのかそれともなにも考えていないのか名を名乗る目の前の男に目を白黒させた。これも罠なのか? そう思った時。

「そんなことはどうでもいい。俺が知りたいのは十二年前の真実だけだ。全部吐け」

 その言葉を聞いた途端、ガロンは目を見張った。こいつらは本当に知らないのだ、真実を。そう思った途端、笑いが込み上げてきた。

「ふ……ふはははははは! グレン・ワイリーとの交渉は決裂したはずだ。残念だったな、諦めな」

 笑いが止まらないガロンとは裏腹に夜雨と棗は冷ややかな目で見つめた。

「だったら、無理矢理にでも吐かすまでだ」

 ザリッという砂を踏む音を合図にガロンが笑うのをやめた。

 


会議が始まる数分前、グレンのもとに内線電話が入った。

「どうした?」

 出ると救命隊の一人だった。

「あの一台緊急車両がないのですが、メンテナンスでしょうか?」

 救急車をメンテナンスに出した覚えはないし車検でもない。

「なんのこと……」

 ふいに言葉を切ったグレンに救命隊員は訝しげに院長? と、呼んだ。もしかしなくてもこんなことをするのはあの二人しかいない。

「イヤ……そうだった。すまない、連絡を忘れていた」

 歯を食いしばり怒りを表に出さぬようにそれでいて従業員を不安にさせないことを心がけながら答えた。通話を切ったグレンはワナワナと震えていた。

「あ、い、つ、らぁ……」

 救急車ならば何かあればサイレンを鳴らせば良い。相手に逃げられても相手を捕まえても。こんな一石二鳥な乗り物はない。

あいつらのことだ。この間同様ボロボロにして返してくるに違いない。

「減給だ……絶対に減給にしてやる!」

 握りしめた電話がミシリと軋んだ。



 隣のビルの一階に身を隠していたスミルは電話を切り、隣で半べそをかいているアンジェラに言った。

「喜べ。本庁から電話だ。この事件、引きつづき捜査できるぞ!」

 喜びもあらわにスミルがアンジェラに言うが、当の後輩は食事に行かせてもらえず張り込んでいるこの状況に膝を抱えて背中にどんよりとした空気を背負っていた。

「喜べません……もうエネルギー切れです……どうしてせっかくのお誘いを無視したんですかぁ! あんなお店もういつ行けるか分かんないですよ!」

 食物の恨みは怖い、多少悪いと思っていたスミルはやんわりと謝る。しかし、実際はガロンの取った予約はラストオーダーギリギリで、見張りをせずに店に入ったとしても高級料理はゆっくりと堪能できなかったに違いない。

「あーー悪かった。でも見張りをせんでどうする」

 途端アンジェラはワッと泣き出した。それを見たスミルは思わずギクリとした。

「わかった、今度奢るから……泣くなって……」

 グスグス言ってるアンジェラになにもテイクアウトしなかった事を恨んだ。

「もう自分が情けないです! ホリーの件もあの人が絡んでいるのに聞く隙すら与えてもらえないし、お腹は空くし、最低です。こんなんで警察なんて言えません……!」

 スミルがそんなアンジェラにため息混じりに頭を掻いた時、いつのまにか店を出ていたガロンが怪しい二人組と対峙していた。

「おい」

 少し焦ったような声色の上司に未だ不貞腐れた涙目をしているアンジェラはその視線の先を追いかけた。

 そこにはガロンに近寄る不審な二人組がいた。服装が真っ黒なので目を凝らして見ないとよくわからないが、仲が良いというわけではなさそうだ。二人と話し込んでいるようだが、ボディーガードとして今日は雇われたのだ。アンジェラはスミルと目と目で会話するとビルから外に出た。


「どうやら、君たちとも分かり合えないようだな」

 大袈裟にため息をついたガロンは夜雨と棗を睨みつけた。どう動くつもりだ? 爆弾でも爆破させるか? ゴクリとなる喉にジリッと距離を詰めようとした時。

「なにをしているんですか」

 振り返るとそこにはアンジェラとスミルが立っていた。怖い顔をしているアンジェラと違い、人相の悪いスミルは何かに気づいたようにアンジェラに手を伸ばしたが、それよりも早くガロンと夜雨達の間に立ち塞がった。

「お話なら私が聞きます。その代わりガロンさん、私の質問にも答えてください」

 空気が読めないにも程がある。軽く受け流そうとした夜雨はアンジェラの背後にいるガロンを見た。彼は腕時計を見たあと、めんどうくさそうに目の前に立つアンジェラを見て、懐に手を突っ込んだ。

 瞬時に隣の棗を角に押しやい、自分は前に出る。夜雨の手がアンジェラを捕らえたその一瞬のことだった。

「え……?」

 アンジェラの目に写ったのはガロンが自分に拳銃を向けている姿と、それから黒い髪の男にまるで自分を守るように引き寄せるられる光景だった。全てがスローモーションのように流れて行く中、引き金が引かれたことにより世界が一変する。

 至近距離で発砲されこの場にいた人間の鼓膜が悲鳴をあげた。銃弾は目的のアンジェラには当たらず、代わりに夜雨の右脇腹を抉っていった。

「よ……!」

 素早くアンジェラを庇うように後ろに隠した夜雨は脇腹を押さえながら棗に首だけで合図を送った。

「改造銃かよ……ったく、コレ着て無かったら死んでたぞ?」

 軽口を叩いているが脇腹から流れ出る血を隠すように手で強く押す。顔が僅かに歪んでいた。

 スミルが拳銃を服の下のホルスターから抜こうと試みるのをガロンは見逃さなかった。

「動くな。こいつら撃つぞ?」

 スミルは大人しくホルスターから手を引き、自分の部下に向けられている拳銃を睨み大人しく両手を上げた。

「お前、俺と来ないか? そしたら命だけは助けてやるよ」

 ダークレイン、いるだけで護身になる。パイントやクォートのような素人ではせいぜいコマ使いもいい所だが、こいつは違う。

「給料も弾ますぞ。リードを引く飼い主の隣にさえいればいいんだ、平凡な飼い犬をやるより良い話じゃないかな?」

 破顔するガロンとは対照的に夜雨は無表情だった。目を細め、何が楽しいのか笑うガロンを冷ややかに見つめた。夜雨はいやらしく口角を上げると抑揚の無い静かな声で言った。

「退屈な主人じゃ犬は引きちぎって逃げて行くだろうよ」

 今度は表情を無くしたガロンと反対に夜雨が不気味に嗤う。

「残念だな、俺に飼い主は必要ない」

 途端、冷めた目が落ちてくる。額に手を当ててガロンはこれ見よがしなため息をついた。

「交渉決裂だな」

 持っていた拳銃を構え夜雨に照準を合わせた。

「さぁ、どうしてくれようか?」

 生暖かいものが手を染めていくが、そんなことに構っている暇はなかった。今やこいつは殺人者の目をしている。

「シャーリーだったか?」

 夜雨の後ろに隠されていたアンジェラは不安そうにガロンを見た。

「立て」

 少し迷いながらもチラリと夜雨を見やり、アンジェラはゆっくりと立ち上がると、今度は夜雨を隠すようにガロンの前に立った。

「なんでしょう?」

 アンジェラとて刑事の端くれだ。拳銃を突きつけられたくらいで怯むわけではない。ただ、戸惑っているのだ。なぜこの男は自分を庇ったのか?

「お前たちは人質だ」

 そう言うや否やガロンはアンジェラを盾にして拳銃をこめかみに突きつけてくる。

「下がれ。動くなよ。お前たちは店の中に入れ、早く!」

 言われるがまま二人は急かされるように店に押し込まれ、ガロンは外の二人が近づかないように拳銃を振り回し威嚇した。

 よろける夜雨をアンジェラが支えた。

「大丈夫ですか?」

 傷のある右側を労るように支えたアンジェラを夜雨は静かに見つめると、

「そのまま、見えないように」

 夜の湖面のような目に自分が映る。吸い込まれそうな揺れる黒にアンジェラは戸惑った。

「え?」

 暗くて表情はよくわからないが、近すぎる顔にドキリとムダに高鳴る心臓にアンジェラは首を左右に振り、言われた通り歩調を合わせ壁に手をつく夜雨を支えた。開けられていた部屋に夜雨とアンジェラが放り込まれる。

「怪我人がいるんです! 乱暴にしないでください!」

 手負いの夜雨を支え、拳銃を突きつけられている中、怯む事なくアンジェラは吠えた。

「うるさい。お前たちには時間稼ぎをしてもらう」

 ちらっと夜雨の抑えられたわからない脇腹を見たガロンは薄く笑った。

「死ぬ前にここが見つかればいいな」

 そう言いながらガロンは重たい扉を閉めた。予定時間が大幅に押している。これで残りの二人も放っておくことができないはず。

「更なる高みへ行くためだ、邪魔はさせない」

 ガロンはもう一度拳銃を握り直し、店の扉を開けた。


 扉が閉められた後、棗とスミルはカーテンの閉まった真っ暗な店内を睨み付けていた。次に店の中から現れたのはガロンだけだった。その間銃声も物音一つしなかったので少なくとも殺されてはいないはず。ただし、サイレンサーをつけていなければの話だ。

 ガロンはまだ近くに潜んでいるであろう棗とスミルに警戒しているようでしきりに周りをキョロキョロとしていた。もちろん拳銃は肌身離さず持っている。

「面倒だな」

 これでは迂闊に出て行くことができない。ガロンが持っているのは改造銃だ。しかも前に持っていたデザートイーグルなど非でもない。防弾チョッキを着ていても掠めただけで破壊されるとなると共倒れになる。

「おい、あんた警察だろ? どうにかできへんのか!」

 対面で腕を組み露骨にイラだった様子のスミルに棗がこの状況の行き場のない苛立ちをぶつけた。

「はぁ! 警察だからってどうにか出来ることと出来ないことがあるんだよ!」

 タバコも吸えずにイライラが積もっていたスミルは完全に堪忍袋の緒が切れたように棗に対抗した。

「捕まってるの部下やろ? 権力振りかざしてでも連れ戻さんかい!」

「お前だって仲間連れてかれただろうが! 権力持って無い方がここは動きやすいだろ!」

 二人が言い争いに夢中になっていた時、いきなり吹かされたエンジン音に慌てて路地を出るとガロンが二人の目の前を走り去った。

「お前が突っかかって来るから逃げられたじゃないか!」

 棗の襟首を掴む勢いでスミルが怒鳴った。その形相は警察とは程遠いものだった。

「俺のせいかい! ワンコは、はよ検問でもはっとけや!」

「誰が犬だ! 言われなくてももうやってるわ!」

 電話を耳にスミルは向こうに行けとばかりに手で棗を追い払った。それを見た棗は普段のイケメンが台無しになるような仕草でスミルに対抗し急いでフリン不動産に走り出した。

 ドアノブを取ると鍵は開いていて、中に侵入する事が出来た。どこかに爆弾が仕掛けられていないか慎重に中に入っていくとスミルが追いついた。指で自分は上に行くと示すとスミルは頷き自分は下に行くと合図を送った。

 そんなに大きな店では無いのですぐに見つかる。そう思い調べていくがどこの部屋を探しても夜雨とアンジェラはいなかった。

「どう言うことや?」

 確かに二人はここに入れられた。それなのに全ての部屋を探してもいない。

「隠し部屋でもあるのか?」

 スミルの言葉に棗は弾かれたように部屋全体を見回した。

「っ……どこにおるんや!」

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