第16話
「いやぁ、今日はいろいろと助かりました!」
意気揚々に声をあげたガロンと対照的にげっそりと疲れていたのがアンジェラとスミルだ。その証拠に咥えていたタバコの灰を落としていないせいでかなり長くなっている。
病院から出た後、これ幸いとばかりにあちらこちら連れ回され、気づけば日が暮れていた。いくら覆面だからとはいえパトカーを私的に使うような人間は初めてだ。
「では私たちはこれで……」
明日もきっとこき使われるはずだ、今日は早々に切り上げたい。
「まぁまぁ、夜はこれからですよ」
ガロンの言葉にスミルは咥えていたタバコを落としそうになった。ガロンはまだ飽き足らず自分たちをこき使う気だ。
「せめて夕食は食べさせていただけますと……」
アンジェラの切実な想いはガロンには届かない。
「届けたい荷物があるんです。最後まで付き合っていただきますよ?」
時刻は夜の十時半を迎えようとしている。これから一体どこへ行こうと言うのか?
「その前に用意がありますので、夕食でもしてきてください。お二人のために良い店を予約されていただきました。あの二年待ちのお店ですよ」
思ってもいない一言にアンジェラは飛び上がりスミルをキラキラした目で見つめた。あの有名なシェフのいる頭に超がつくほどの高級店だ。シャーリー家のシェフも元三ツ星レストランのシェフだ。普段似たような食事を取っている事をすっかり忘れてしまっているようだった。
「ところであの車、使っていいですか?」
車とは本庁から乗ってきた覆面のパトカーのことだ。
「いいですけど。何をするんですか?」
ちょっとした興味だった。が、そう言った後にスミルは後悔した。もしかすると手伝わされるかもしれない。さすがにここらで休憩を取らなければ自分も危ない。だがガロンは手を振り、やんわりと断った。
「そんな大層なものではありません。ちょっと荷物を。ただ量が多いだけですので、どうぞお気になさらずお食事に行ってください」
はぁ……と、だけ答えたスミルは足元にタバコの灰が落ちそうになり慌てて灰皿を取る。
今日だけでもこの男は自分のやるべき事ではないと判断した雑用は容赦なく人に押し付けた。それがたかだか荷物を乗せる程度を人に任さずに自分で行うと言うことはそれなりの大事な物だと言う事だろう。
では中身はなんだ?
スミルは店の外へと出た。ちょうど電車が到着したのか、様々な服装の行き交う人々が家路に着こうとしていた。
人に任すことのできない大切な物……開けて見なければわからないが、良くないものだと言うことは想像がつく。隣のアンジェラはもう夕食のことで頭がいっぱいだ。仄暗い闇にスミルのタバコの火だけが照らされていた。
「なぁグレン。車かしてくれよぉ」
会議前の今まさに院長室から出ようとした時にグレンは神頼みのごとく手を合わせた夜雨に捕まった。いつもよりきっちりとスーツを着こなし、おろしたてだろうネクタイに洒落たピンを止めていた。これはグレンの見せかけだけの表面上の姿でしかない。
「断る! 人の車をあんなにしといて誰が貸す?」
「さいですね」
チッと舌打ちした夜雨は次の瞬間ケロッとした顔で、
「まぁ済んだ事は気にすんな!」
と、悪びれもなく肩を叩いてきた。
「腹立つわ。絶対にかしてなどやらん!」
バタンと大きな音を立てて扉が閉められ、反動で夜雨は肩をビクリと震わせた。
グレンの車はまだ修理に出せずに自宅のガレージで療養中だ。しかたなく地下に降りると棗がアルバートから借りた物の補充も兼ねて点検をしていた。
「どうやった?」
夜雨は両掌を上にあげ収穫なしという素振りを見せた。
「だろうな」
壊滅的に傷つけられたのだ、それでも貸してやろうという物好きは多分この世にいない。
「諦めな。しゃぁないやろ」
ふと静かになった夜雨を不審に思い振り返ると一点をじっと見つめていた。
「あ? どないしたんや?」
いきなり黙り込んだ悪友に棗は顔をしかめた。
「これだ」
「わぁお、俺は知らんぞ? 責任はお前がもつんやぞ!」
慌てる棗を他所に夜雨はさっさとキーを取りに行くべく医局へと走った。
「ほんま知らんぞ……俺は」
しばらくして戻ってきた夜雨はさっさと車に乗り込んだ。
「ほら、行くぞ?」
助手席の窓を開けて棗を呼び込む。これで乗り込むと自分まで共犯だ。
「乗らないのか?」
「う……」
棗の頭に天使と悪魔がチラつく。ここでこいつの流れに乗ると共犯、乗らなければ面倒くさい事態になる。イヤ、乗ったところでグレンには怒られるのだから結果的にどちらも面倒だ。ここから徒歩で行くよりも少々派手だがこの車を使った方が時間も短縮できる。棗の中の天使が悪魔に負けた。
棗は車のドアを開け助手席に乗り込んだ。
「そぉこなくっちゃ」
なにが楽しいのか親指を立てた夜雨を無視しシートベルトをつけた。
「安全運転で頼むで」
悪巧みが成功し嬉しそうな夜雨はギアを入れ車を発車させた。
「了ぉ解」
目的のフリン不動産まで後二十分。
どのチャンネルでも爆発のことは報道されていない。病院で爆発したら間違えなくトップニュースになる。しかも予想では二人怪我、または死亡するはずだったのだ。
「やられたな」
なんという悪運の持ち主だろう。ガロンは腹立たしさを隠さずにテレビの電源を切った。
ガロンに爆弾の作り方を教えたホロウという天才は爆弾の作り方以外をおしえてはくれなかった。スイッチだとこういう事態になる。
(せっかく追い詰めたのに……イヤまだチャンスはある)
ここで金を借りた人間は強制的に保険に加入させられる。死亡した時の金は全てガロンに入るように根回しされていたので損はしない。
ふぅと落ち着つかせるように息を吐き、店の一番奥の部屋の扉を開けた。そこには二十個以上の段ボールが山積みにされていた。ガロンはアンジェラから借りた車のキーを取り出し、車のトランクを開けた。それから段ボールを一つづつ慎重に運んでいく。
あとは計画通りに事を進ませれば良いだけ。あの二人ともここまでだ。全て順調だ。今頃、食事に夢中になっていることだろう。少なくとも後一時間はここに戻って来ないはずだ。
全て詰め込んだところで懐にしまっていたスマホが震えた。液晶画面は非通知、それでもガロンは躊躇いなく電話に出た。
「ハイ」
まるで相手が誰なのか知っているような笑みだった。音声を変えた機械音が通話口から聞こえてきた。
「えぇ、準備は出来ました。いつでも出れます」
助手席の扉を閉めたガロンは店の中に戻り嬉しそうに報告した。
『滞りなく進んでいるようでなにより。健闘を祈ります』
「ありがとうございます。見ていてください、必ず成功させてみせます」
うやうやしく頭を下げたガロンはそのまま電話を切り、電源の落ちたスマホの画面に目を下ろす。そこにはなにも映っていなく、ただ黒が広がっているだけだった。
この男はなにを考えているかわからない。いや、本当は男なのかも、歳さえもわからない。ただわかることといえば、興味が無くなったものは平気で切り捨てるということだけ。
利用できるものは利用してやる。それがガロンの心情だ。
(うまくやれば望みは叶う)
車の中を見てガロンはほくそ笑んだ。もう勝ったも同然だ。しかしガロンは気づかなかった。借りた車の下から黒い人影がのっそりと出てきて、暗闇に溶けるように消えて行った事を。
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