第13話
「やぁ夜雨、棗」
二人が病院へ出社するとエントランスで見覚えのある人物が立っていた。白髪混じりの高身長のステッキを持った老紳士は二人を見るなり駆け寄り抱きついた。
「アルバートなにしてんのや」
されるがままの夜雨とは違い棗は必死にアルバートを引き剥がそうとしていた。
「いやね、昨日の爆弾事件どうせ二人だろうからさ。ちょっと心配になって来てみたんだよ。元気そうでよかった」
そう言いつつ二人の頭をワシャワシャと撫で回した。
「ふふふ……もう相変わらず僕の息子たちはかわいいなぁ!」
過剰なスキンシップに成す術もなく立ち尽くす夜雨と逃げる隙を見失った棗はアルバートの総攻撃に周りの白い目を無視した。
「なにをしているんだ」
頭を抱えたグレンが来たことによりスキンシップが止まった。
「やぁ、グレン。久しぶりだね。いつも二人が世話になってるよ」
「かけられっぱなしだ」
チクチクと言葉がアルバートに刺さるようにグレンは言った。昨日のあの騒ぎに愛車はめちゃくちゃにされる始末だ。
「こっちは請求書を出してやりないくらいだ!」
そんなグレンからのイヤミなど意に返さないアルバートは高らかに言う。
「それはそれは! 元気のいい事は良い事だ。今後ともよろしく頼むよ」
アルバートの目の色が変わり途端ピリッとした空気が漂う。警告しに来たのだ。昨日のような騒ぎに大事な息子たちを巻き込むなと。無事ならば車の一台や二台吹き飛ぼうがアルバートにしてみればなんの問題もない。今日も生存確認に来たのは言わなくても分かる。しかし、夜雨は知らないふりをして、
「世間話をしにきたのか? それならあっち空いてるぞ」
と、言った。とりあえず彼が暴走しても良いように場所だけは変えようとしたが、アルバートにやんわりと断わられた。
「いや、いいよ。今日はこれを渡しにきただけだから」
そう言いカバンの中から分厚い茶封筒を取り出し夜雨に手渡した。アルバートは夜雨の肩に手を置き耳元で囁いた。
「がんばれ」
中身を確認する前にアルバートは夜雨からほのかな嫌味のない香水の匂いを漂わせて去って行った。次に棗の頭をもう一度両手で撫で回す。腹筋を使わないアルバートの笑い声が周りの賑やかさと混じる。
「これからスクロくんに観光がてらシティを案内して貰うんだ。じゃ、また」
ハットをかぶり直し、ステッキを回しながら陽気に手を振り病院を後にした。後に取り残された夜雨と棗は控えめに揃って手を振った。
「それなんや?」
「さぁ……」
糊付けされた分厚い茶封筒を夜雨はもう一度握りしめた。微かに漂う残り香が鼻をくすぐっていた。
うるさく鳴るドアホンは相変わらずで、耳を塞ぎ息を潜めることしか出来ない毎日がやってきた。それでも見えると言う事はホリーの中に小さな光を灯した。
(怖いけど怖くない)
ホリーは小さい手で母、ナンの手を握った。やがてあんなにうるさく鳴っていたドアホンが静かになった。取立て屋たちが諦めて帰ったのだ。
ふぅと、小さくナンが息をついた。いつもとちがう服装と髪型……見えるようになってわかった事がある。母はまた一つ仕事を増やした。
(自分のせいだ……)
なにも返す事ができない。こんな身体ではまだ学校にも行けないし、働くことも出来ない。自分にできることは物乞いをするくらいしかない。しかし、それすらも母は止めた。止めてくれた。
グッと涙を飲み込み、ホリーはそれでも笑顔でいた。一日くらい食べなくても死ぬ訳ではない、だからせめて笑っていよう。
「じゃぁホリー、行ってくるから家にいるのよ? 外に出てはダメだからね」
「うん。大丈夫だよ」
ニッコリと微笑み、不安を目の奥にしまい込んだ。そんなホリーを心配してナンは抱きしめた。
「どうしたの? いつかきっとこんな生活にも終わりが来るはずだよ」
ナンの目に涙が浮かぶ。ホリーがそう言った時、扉がいきなり開いた。そこに立っていたのはガロン・フリンだ。
「終わりが来る? 笑わせないでほしい。来るはずはないし私が来させない」
ナンはホリーを後ろに隠した。ホリーの震える手を自分の震える手で強く握り返す。
「お前たち親子は死ぬまでこの私の下僕となり一生働き続けるんだ」
ガロンは整えてあったナンの髪を掴んだ。絶望の滲む目から涙が溢れていた。ガロンはこの目がなによりも好きだった。恐怖に沈む目はこんなにも自分を掻き立てる。
(もっともっと沈めばいい)
しかし、その奥の奥、さらに深い部分に根付く希望をガロンは見抜く事は出来なかった。
何か音が聞こえたような気がしてアンジェラは後ろを振り返った。
治安の悪いイーストエンドでは駐車禁止やいざこざは日常茶飯事でそのたびに暇になってしまったアンジェラ達は出動させられる。
「スミルさん何か壊れたような音しませんでしたか?」
タバコに火をつけスミルが煙を吐いた。
「そんなのここじゃよくある話だろ? ほらそこ路上駐車するな! しかし本当に狙われているんだろうな、あいつは?」
「本人が言うんですから確かめないとダメですよね」
人は殺しても人に狙われるような人間ではないのは重々承知だ。
するとそこへまたしてもガラスの割れる音。その方向を見ると男が二人ケンカをしていた。
「そこまでだ、終わりにしろ」
スミルが仲介に入るが、男たちの怒号は止まらない。
「おい、新人! こっち手伝え!」
「ハイ!」
懐から笛を取り出し、アンジェラは身体をねじらせ野次馬たちの間を塗って行き、やっとのことで男たちの間に割って入った。
「近所迷惑ですよ!」
すると今まで騒いでいた男たちの動きがピタリと止まる。誰が呼んだのか遠くから救急車のサイレンの音がこちらに向かってきた。
「チッ!」
と、舌打ちをした男たちはスミルから腕を振り払いそれぞれ別々の路地に消えた。
「まったく……あれ? あの人って、もしかしてガロン・フリン?」
見覚えのある後ろ姿が少し先を歩いていて曲がり角で消えた。いつの間にか大きく鳴り響いていたサイレンの音が止まっていた。
「おい、あっちに救急車が止まったぞ!」
「よしそっち行くぞ!」
今まで男たちを囲んでいた野次馬たちがこぞって救急車が止まったと思われる場所へと走っていく。
「そんなにうまいか? 人の不幸は……」
その心の荒んだ者たちを見たアンジェラとスミルは、新たな暴動が起こらないように彼らを追いかけた。
「ちょっと、あなたたち……!」
現場には近所の野次馬まで集まってきていて、さっきよりさらにひどい状況になっていた。人をかき分けて前に行くことすら出来ない。
「ママ……ママ!」
ガラガラという引きずった音と共に女の子の悲鳴にも似た声が聞きえて来た。
「え?」
それはすぐに救急車の中へと吸い込まれて行き、サイレンが鳴り始めたことによりかき消された。
「今の声って……」
アンジェラは去っていく救急車を見つめた。周りの野次馬たちが救急車が去ったことにより皆解散とばかりにそれぞれの場所へと戻って行く。
「どうした?」
黙って救急車を見つめていたアンジェラにタバコをふかしながらスミルが隣に並んだ。
「いえ……病院で会った子の声がしたような気がしたんですが……」
彼女は目が見えないし、第一こんな危ない場所にいるはずはない。アンジェラは視線を落とした。自分の使い込まれた靴のつま先が見える。もし、さっきの人がガロンで今運ばれて行ったのがホリーたち親子だったら?
(考えすぎ)
アンジェラは首を左右に振ってその考えを消したが不安は消えなかった。
(でもイヤな予感がする)
救急車はイーストエンドを出てシティ・オブ・ロンドンへと向かう。目的地はセントソルテホスピタルだ。
ホリーが退院して数日がたったが、ガロンは不動産屋には戻っていなく、悪質な取り立てもしていないのか音沙汰がなかった。
「平和やな……」
医局で書類の処理をしてた棗がポツリと漏らした。緊急の患者も受け持っている手術もない。外来も終え定時まで待つのみとなっている。
「この前、平和なことっちゅうのはええことやとかなんとか言ってたのはどこのどいつだ」
「誰やそんなこと言うのは! って俺やん!」
ペチっと額を叩いた棗がお笑い芸人のごとく楽しそうに言った。呆れ顔の夜雨はふと窓から外を見た。雲が出始め風も出てきた。遠くから聞こえる雷鳴が、この後のことを知らせているようだった。
「降るな」
予報はハズレのようで傘を持ってきていなかった事を後悔しそうになった時、医局に電話が鳴り響いた。
「ハイハイ。なに……! 母親? どう言うことや!」
電話を切った棗はすぐに今聞いた事を夜雨に話た。
「ホリーの母親が倒れた、もうすぐ緊急搬送される」
聴診器を首にかけて急ぐ棗を夜雨が止めた。
「待て」
「待てるか!」
珍しく感情的になる棗。無理もない、なんの病気かわからないのだ。これからいろいろな検査をし、最終的な病名を見つけなければならないのだ。生死がともなうのならば尚更急がねばならない。そこにミスは許されない。しかし、夜雨は落ち着きはらい言った。
「母親が来たらまず肝臓を疑え」
「は?」
なんでわかる……と、言うより先に夜雨が立ち上がり言った。
「この間、下腹部に手を添えていた。無意識かもしれないが痛みがあったのかもしれない」
驚き動けないでいる棗の肩を夜雨は叩いた。
「しっかりしろよ、センセ」
今はドクターではない夜雨は後ろ手に手を振った。
「ま、待ってや!」
棗は相変わらず抜け目ない戦友の後を急いで追った。
意識がないまま運ばれてきたホリーの母ナンはすぐにストレッチャーから診察台に移された。中に入ろうとするホリーを夜雨がやっとのことで引き留めた。
「ママ! ママ……!」
「大丈夫、治る」
同じ目線にしゃがみ込みホリーの頭を撫でた。その大きなようやく見えるようになった瞳から大粒の涙がこぼれ出ている。
「なにがあった」
処置室の扉と正面の扉が閉まるのを横目で確認してから、ホリーを近くに長椅子に座らせた。外はゴロゴロと雷鳴が鳴り、時折強い風が吹き窓ガラスに雨が叩きつけられる。
「怖い人がきたの……」
グズグズと鼻をすすりながらゆっくりと話出すホリーを両ポケットに手を突っ込み隣に座り続きを待つ。
「それからママ、殴られて動けなくなっちゃって……」
顔が歪みまた涙がこぼれ落ちる。
「一人で電話したのか?」
無言で頷くホリーに夜雨はもう一度少々乱暴に頭を撫でた。
「偉かったな」
驚いたように夜雨を見つめた。その青い瞳に夜のような黒が映る。英国では珍しい色にホリーはどこか吸い寄せられるようにそれを見つめた。
「大丈夫だ、俺たちがなんとかする」
ホリーはグッと涙を拭った。自分の目を治してくれたように母も治してくれるとそう思い、ホリーは夜雨の白衣をギュッと握った。
ふとランプの点灯された処置室を夜雨は見上げた。棗のことだ、もう病名などわかっているはずだ。ただ状況はあまりよろしくない。夜雨は黙って処置室を見つめ目を細めた。
中ではナンの診断が始まった。採血を取り終えたが、ナンは意識はなく先日見た時より痩せていた。足にはむくみ、目には黄疸がある。これは夜雨の言っていた通り肝臓に問題があるという事だ。
しかし、一つ気になったのは服装だった。いつものカジュアルな物とかけ離れ、まるで夜の仕事のようなきらびやかで艶やかな服装だった。
ガロンは自分の系列店に金が返せない者を働かせているという。スクロから彼女たちの情報はあらかた聞いていた。ナンは朝からホリーが学校から帰宅する夕方までパートをいくつか掛け持ちしていたという。しかし悪質なガロンの取立てと違法な利子に借金は膨らむばかりだった。最近音沙汰がなかったのはこの二人に近づいていたからかもしれない。
棗に計り知れない怒りが込み上げてくる。自分が平和ボケしなければ防げたかもしれない。
「くそ……!」
ナンは深く乱れた呼吸で必死に息をしている。夜雨は神などいないとよく言う。自分だってそう思って入るが、こういう時その神に縋るしかない。頼むから持ち堪えて欲しい。そう祈りながら棗は検査結果を待った。
その頃、院長室ではグレンの元に電話が鳴り響いた。それは普段鳴る病院の電話ではなくYとして使用している携帯電話のほうからだった。
訝しみながら電話を取ると聞き慣れた声が聞こえてきた。
『先日はどうも』
ガロンだ。何度か連絡は取った事はあったが直に彼がかけてくるのは初めてだ。無理もない、彼を取り巻く二人は夜雨と棗によって葬られたのだから。それはガロンが知るよしもない事だ。グレンはどうせまたポーカーの誘いだと思い電話をスピーカーに切り替え書類にペンを走らせながら軽くあしらおうとした。しかし……
『うちの二人の件もあなたの仕業かな?』
書類を走っていたペンがふと止まり、グレンの目が厳しくなる。
「なんのことだね?」
『しらばっくれる気ですか? あなたというお方が……』
背にしている窓にはもう雨がひっきりなしに叩いていた。
『そんなに警戒していただかなくても大丈夫ですよ。むしろありがたい、犯罪者を排除してくださったのには感謝しているんですから』
電話の向こうで笑い声が聞こえてくる。それから心底楽しそうに言った。
『駆け引きはやめにしませんか? セントソルテホスピタル院長グレン・ワイリーさん』
雷がピシャリと頭上で怒った。自分の影がやけに薄気味悪く目に写る。
こいつは知ったのだ。我々の存在を……
「要件はなんでしょう?」
素性がバレた今、肯定も否定もしない。あくまでも受け流し、状況を判断するしかない。電話の向こうのガロンはクスクスと笑いを堪えているが、それが癪に触ると言ったら間違いではない。
『お会いできませんか? お渡ししたいものがあります』
危ない橋は渡らない、相手は爆弾魔だ。
「悪いが会う事は……」
グレンの言葉を遮るようにガロンが言った。
『こう言った方がわかりやすいですか? 十二年前、とある倉庫で起こった事件……エマ・ヴァイオレットでしたかな?』
どうしてエマの事をこの男が知っているのか? 第一あの事件には犯人の証拠がいっさい消し去られていて、まったくの手詰まりの状況だった。それをどうしてこいつが知り得る事ができると言う?
それを知っていると言う事は、この男が犯人だとでも言うのか?
グレンはすぐその仮説を拭い去った。いっさいの痕跡を残さないなどという芸当がこの男にできるとは到底考えられない。
『もしかしてこちらを案じてくれているのでしょうか? なら心配ご無用、先日よりボディーガードがついておりまして、なかなか楽しくやっていますよ』
こちらの対策は万全と言いたいのだろう。
『しかし、有力者のあなたがこんな殺し屋まがいのことをされているとは』
止まらない笑いは自信に満ちている。勝利を確信して上から人を見下ろすような傲慢さが電話越しから伝わってくる。
『しかも院長とは。人を助ける職業を隠れ蓑とでもしていらっしゃるのでしょうか? これが世にバレたら……』
もちろんタダでは済まされないだろう。
『どうでしょう? 手始めに三億』
グレンの目の色が変わる。
「脅しですか?」
ここで金を払ってもまた新たな金をせびられる。そして金が無くなればまた。ガロンの良い金ズルとなる。下調べでは彼は政界や警察関係、どこにもつながりがない。どこから調べ上げたかはわからないが、金を求めると言う事はそう簡単にはリークする気はないと言う事だ。そしてあわよくば病院ごと飲み込もうという算段だというのは予想できる。
『十二年前の真実が三億なんて安いものでしょう?』
雷雲は少し去り音が離れたところで鳴っている。
答えは……
アンジェラはセントソルテホスピタルに来ていた。車にスミルを置いて自分だけ病院の緊急処置室へと闊歩した。息が切れる中で鼻をすする音が聞こえてきた。待合室の長椅子にホリーが座っていた。
「ホリー!」
名前を呼ばれて驚いたホリーは近づいてくるアンジェラを見上げた。
「お、姉ちゃん?」
前にあったときは目に包帯を巻かれていたので完全な初対面である。
「あの時の?」
涙を拭いながら目線を合わせてくるアンジェラを見つめた。
「そう。見えるようになったんだね、よかった……お母さんは?」
お母さんという言葉を聞くなりホリーは瞳から大粒の涙を流した。
「ママ……怖い人に殴られて……」
アンジェラの顔がどんどんと青ざめて行く。怖い人ってたしかこの間病院で出会ったクォートとか言う大柄な男だ。
(まさか……)
こんなのは歴とした暴行傷害事件だ。なのに警察に連絡がないとはどういう事なのか。アンジェラは怒りさえ覚えた。
「一人で救急車を呼んだの?」
コクリとうなずくホリーをアンジェラはギュッと抱きしめた。
「偉かったね……警察には連絡した?」
今度は首を左右に振った。
「助けて、くれないから……」
「え?」
押し殺し、絞り出した言葉は耳を疑いたくなるようなものだった。
「何度も言ったの。でも助けてくれなかった。うちが貧乏なのが悪いって……お金借りたから悪いって……!」
スカートの裾をギュッと握りしめ、ホロホロと泣き出すホリーにアンジェラは居た堪れなくなった。警察は弱い者の味方なのに。それなのになにもしてあげないなんて、見捨てるような言葉を浴びさせるなんて。
「ひどい……」
無力だ。たとえ自分が吠えても管轄外という事で追い出される。
(また、なにも出来ない……)
アンジェラはホリーを抱きしめる腕に力を込めた。悪い奴を捕まえないで、野放しにしていておいてなにが警察だ。
確かめないと。この二人を絶対に救う……!
「先生、結果出ました!」
棗は急ぎで出してもらった結果を上から下まで舐めるように見つめた。
「肝不全だ。それもかなり深刻な……」
検査を終え病室で寝ているナンのそばにホリーが伏せっている。夜雨と棗は病室の外で中を覗き見ながらヒソヒソと話していた。
「アルコールによる損傷が高いと思う。数値からして移植ギリギリや」
今も昏睡状態で目が覚めていない。
「クォートからも取れなかった。取れたとしてレシピエントに不適合だ。血液型が一致しない、彼女はO型だ」
他の血液型と違いO型はO型の人からしか臓器を貰うことが出来ない。その上家族はホリー以外いない。そのホリーも先日手術をしたばかりだ。
「後はガロンにかけるしかない」
棗が悔し紛れに言ったその時。
「そのガロンから今しがた脅迫が入った」
「はぁ?」
驚きのあまり裏返った声の棗は不貞腐れたグレンに詰め寄る。普段の様子からは考えられないどこかの不良のようだ。
「どういうことや!」
黙ったままでいる夜雨を見て、グレンは親指でレントゲン室を示した。
「場所を変えよう」
中に入るとナンのレントゲンが飾ったままになっている。それを見つめつつグレンが話し出した。
「どう言ったわけか私たちのことをガロンは嗅ぎつけたようだ。しっかり脅しにきたよ、三億出せとな」
脅迫する者のよくある手だ、夜雨と棗は相手にするにも足らないというように肩をすくませた。一度話を区切ったグレンは次に苦虫を噛み潰したような顔になり夜雨を見た。
「ガロンはこうも言った、エマ・ヴァイオレット」
「!」
今まで微動だにしなかった夜雨の顔が変わる。
「奴め十二年前の事件の真実を知っているような口振りだった」
どうしてガロンがエマの事を調べたのか? 自分たちでさえ見つけ出すことの出来なかった事実をどうしたら奴が見つけ出すことができたのか?
「で、その脅しには乗ったのか?」
金を払えばもれなく十二年前の真実も知ることができる。
「乗るわけないだろ」
安定のグレンの強気な態度に二人は呆れながらも懸命な処置だと思った。そんな事はガロンを捕まえればどうにでもなる。
「なんとしてでもガロン・フリンを生かしてここに連れてこい」
本気になったグレンは珍しくもある。彼も知りたいのだろう、自分たちが気づけなかった十二年前の真実を……
「ここがバレた以上ホリーを返すわけにはいかへんぞ?」
グレンにドレーク親子、ガロンは喉から手が出るほど欲しい事だろう。
「ここから出すな。今夜は母親の隣で眠ってもらう。他の者にもくれぐれも目を離すなと伝えておく」
薄暗いレントゲン室にあるパソコン画面に映る母親、ナンのCT画像をグレンがチラリと見た途端、顔をしかめた。
「なんだこれは……ひどいな。移植が必要になるかもしれんな」
しばらく現場に出ていなかったが、まだ感は狂ってはいないようだ。
「ギリギリまで薬で抑えさせるつもりや。それがダメなら……」
投薬で抑えられればそれに越した事はないが、もしもの時に備えてここは肝臓を確保しておきたい。
「とにかく、ガロンを生かして吐かせろ。話はそれからだ」
グレンの指示に頷いた二人の目に宿っていた炎が地獄の業火と化した。
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