第10話
翌朝、夜雨と棗は院長室でグレンの前にバツが悪そうに立っていた。テレビのニュースでは深夜の爆弾騒ぎでSNS諸共盛り上がりをみせている。煩わしいと言うばかりにグレンがリモコンでテレビを乱暴に消した。
「で、どうしてこうなったんだ? 怒らないから言ってみろ」
頭を痛そうに抱えたまま、こめかみを押さえグレンが絞り出すように言った。怒らないと言いつつも相当怒っているのは火を見るより明らかで、夜雨と棗は揃って明後日の方向を見てごまかす気でいた。痺れを切らしたグレンは鶴の一声で名指しで指名した。
「棗」
名を呼ばれ、「やっぱり俺か……」と、いうような顔を一瞬させた棗は錆び付いたロボットさながらに首をゆっくりと前に向けた。
「おまえがついていながら……」
「あーー」やら「うーー」やら、声にならない唸り声を上げていたが観念したように、一つ盛大なため息をつき両手を上げた。
「あいつ事務所で爆弾作ってたんや。まさかそれを持ち出していることまでは掴んでなかった。俺たちのミスだ」
ブスッとしたままソッポを向いていた夜雨の顔がふいに厳しいものになる。確かにガロンはなぜ爆弾を持ってたんだ? 自分たちは奴のアジトに潜入しようとしたらクォートと鉢合わせた。
(なぜだ?)
「宋、おまえの言い分は?」
グレンは引き出しから鎮痛剤を取り出し、それを口に放り込み、水で胃の中に流し込んだ。だが、夜雨は黙ったままだ。
「おい……」
そろそろ怒りが頂点に達しそうになった時、夜雨が口を開いた。
「……どこかに行こうとしていたのか?」
突然ボソリと呟かれた言葉に棗が素っ頓狂な声を上げる。
「はぁ?」
「もしくは誰かと約束をしていた。そうじゃないとおかしい、あのタイミングであいつらが出てきた理由がない」
確かに良いタイミングでクォートは出てきて、ガロンは逃げて行くことができた。ガロンは知っていたのだ、クォートの身に何かあったという事を。
「せやけど誰に会おうとしていたんや?」
「私だ」
絞り出すような声に二人は今まで頭を抱えていた老人を見た。
『……』
ジトっとした睨め付ける目が痛く、いたたまれない。その様子からはさっきまでの威勢は微塵も感じられない。
「なに?」
文句を言いたげな憎たらしい顔は今や苦笑いをしたまま目を彷徨わせていた。
「だから、私だ」
院長室は静寂に包まれていた。ふぅと、夜雨は息をついてなんのこともないように言った。
「ガロンの狙いはグレンだったってわけだ。謎は解けた。殺されなくてよかったな」
まったく心のこもっていないセリフにグレンが再び頭を抱えた。
「どうも」
重苦しい空気がすっかり晴れたところで夜雨はソファにドカッと座った。
「でも、会いにいかなかったんやろ?」
棗も夜雨にならい対面に座る。頬杖をついて顔を支えグレンを見た。
「ああ、おまえたちが行くのがわかっていたからな。断ったし、もとより行く気はなかった。爆弾を持っていたということは、無理やりにでも呼び出す気だったんだろうな」
両手を広げて降参だとでも言うようにグレンが答えた。
「なるほど、グレンが断らなければあの爆破騒ぎは起こらなかったが、もし行っていればあんたがあの噴水の代わりになってたってわけか」
粉々に吹き飛んだ噴水、人一人殺すには少々威力が強すぎる。
「よっぽど怨まれてるみたいだな」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた夜雨はさすが殺し屋らしくこの状況を楽しんでいる。グレンはうるさいと言いたげにため息まじりに話し出した。
「ガロンという男がイーストエンドを騒がしていると私が聞いたのは昨年春、そこから調査してみたらひどい有様だった。あいつから金を借りると高い利子をつけられ、払えないと闇商売に売りつけられる。挙句に暴力で逆らうものをねじ伏せ被害者はこの半年で三十人以上。うち重傷者は五名、その他全て死亡」
夜雨と棗は黙って続きを待った。
「行きつけの情報屋にガロンが来たと連絡が入ったのは今から三か月前。金目の話を持ち出してやったらすぐに乗ってきた」
ガロンは想像以上の金の猛獣なのだろう。グレンは朝から置いてある冷めたコーヒーを飲み干した。
「あいつは私をいい鴨だと思ったんだろうな、自分が経営しているバーに連れてかれたよ。そこでポーカー勝負になった。が、いざ勝負すると始めこそ勝ったが後はいかさまさの連続さ」
やれやれと首を左右に振りつつ、天を仰ぐ。
「で、その勝負どっちが勝ったんや?」
棗はソファから立ち上がり、グレンの空になったカップを取り給湯室に向かう途中に聞いた。
「勝った。正確にはバーテンに賄賂を渡して、いかさまをやめさせた」
元々の腕はグレンの方が上だったようだ。
「それで? 目をつけられたと」
大人なく負けてあげていればこんなことにはならなかったと、夜雨の目は雄弁に語っていた。
「自分でもわかっているよ? それから事あるごとにいい情報があると呼び出しを食らったが、なんのことはない。ただのポーカー対決だった。最近のお誘いは断っていたさ。私も暇ではないんでね。しかし状況は変わった。あの親子がフリン不動産の手に落ちた」
コーヒーを入れ直した棗がグレンの机にそれを置き、再びソファに座る。
「ドレーク親子の事は少しだがガロンから聞いていた。なんでも、父親は酒癖が悪くガロンから借金をし蒸発。それを女手一つで返していると。支払いが間に合わないので夜は自分のところの系列店で面倒をみているようだが、先日の暴行事件だ」
こういう手口は珍しい物ではない、獲物が自分の手中に入ったのだ、借金を返済するどころか利子だけが膨らんでいき、やがて追い詰められと、いう筋書きだろう。幸いにもドレークには娘がいる。ガロンとしては好都合だろう。
「最低なやっちゃ……そもそもなんで不動産屋が金貸なんてやってんねん?」
「さぁな。一つ言える事は道楽にしてはやりすぎてる」
再び院長室に重苦しい空気が充満した。
「クォートに聞けば吐くか?」
肩の力を抜くために大きく伸びをした棗は院長室の時計をチラッと見て言った。これから手術室を借りるとなるとそろそろ準備しなくてはならない。
「どうかな?」
どこかのんびりとしている二人にグレンが叱咤する。
「お前たちさっさと仕事しろ。出来れば今日中にあの子の手術をしたい。棗、任せたぞ」
「よしきた! じゃ、頑張んとな!」
意気揚々とソファーから立ち上がり院長室から出て行く棗の後ろを、ポケットに両手を突っ込み少し背を丸めた夜雨が続く。
「忘れるところだった。一番大事なことだ、宋」
少し眠そうに夜雨は首だけを回しグレンを見た。
「私の車だ! どうしてあんなことになっている!」
「チッ! 気づきやがったか!」
まさか黙っていればバレないとは思ってはいるまい。あそこまで派手にやらかしたのだ、気付かないわけがない。新車のように整備されていた車は今やあちこち細かい傷だらけで大小のヘコミと破片のせいで塗装はハゲていた。夜雨としては吹き飛ばなかっただけ良いと思ってもらいたいのが心情だ。
「おっまえな! どうしてくれるんだ! 弁償しろ!」
椅子から立ち上がりズンズンと歩いてくるグレンに夜雨はさっさと扉を閉めた。その瞬間、グレンのイギリス人らしい高い鼻が扉に衝突する。
「宋!」
扉の向こうから悲痛な叫び声が聞こえて来たが夜雨は気にせず棗と医局へ戻ろうとしていた。グレンとて大金持ちだ、高級車くらいすぐに買い替えることができるのを知っている。その時、棗のポケットが震えた。
「あ、スクロくんや。もしもし」
エレベーターホールで電話を受けると、棗はスマホをスピーカーにした。
『設置されていた監視カメラの映像は別の物とすり替えておきました』
「ありがとぉ、スクロくん。さすがやぁ」
ほわほわと花でも飛ばしそうな棗に、高くつきますよ? と、派手に動きすぎた昨夜のことを年下の少年に遠回しに咎められた。昨夜のスピード違反に道路交通法違反、器物損壊……全てスクロがハッキングし別映像にすり替えた。
『棗さん、気をつけてください……誰だかわかりませんが、病院の事を調べている者がいるようなんです。その筋の情報屋からの話です』
ガロンか? はたまた別の人間か? こんな叩けば埃がバンバン出てくる病院だ、今更調べてなんになる? ゴシップ誌に売るのか? 警察にたれ込みをするつもりか? どちらにせよ下手に動くとグレンに潰されるだろう。特に気にもとめない事なのになにをスクロは気にしているのだろうか?
「肝に命じとく」
それだけ言うと棗は電話を切った。
「さぁ楽しい殺戮の時間と行きましょうか?」
時に物騒な事をすんなりと言う旧友もとい悪友に夜雨は苦笑いをし、やってきたエレベーターの中に乗り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます