第7話

 セントソルテホスピタルにつくと午後の患者で待合室は満員御礼だった。外科の前も人で賑わっていたのでアンジェラは仕方なく空いている眼科の席に座った。

 そこへ、目に包帯を巻いた少女が母親に連れられ隣に座った。飲み物買ってくるね。母はそう言い残し、少し席を離れた。

 すると隣に座っていた少女が持っていたカバンを落とした。それに気づいたアンジェラが少女の膝にそっと置く。

「はい」

「ありがとう」

 少女は一点を見つめ礼を言った。

「お姉ちゃんも目が悪いの?」

 今度はカバンの持ち手をしっかりと握り少女が聞いた。

「ううん……お姉ちゃんは心臓が悪くて」

 そっか……と、少女は包帯を巻かれた顔を俯かせた。

「大変だね」

 自分よりももっと辛い思いをしているであろう少女からの言葉にアンジェラは息を飲んだ。自分は恵まれている方だ。またチクリと胸が痛む。ふとカバンにつけられたネームタグが目に入る。そこにはホリーと書かれていた。きっと彼女の名前だろう。

「私ね、この間怖い人たちに襲われたの」

 ホリーという少女から出た耳を疑う言葉でアンジェラはビクリと身体を震わせた。

「え?」

 ホリーはゆっくりとアンジェラの方へ顔を向けた。

「それで、目見えなくなっちゃったの」

 よく見ると包帯で隠されてはいるが顔に傷がついていた。

「なんてことを……」

 そんな障害事件など聞いていない。警察官になっても救えることのできない人間がいる。自分がすごく無力に思えてアンジェラはギュッと拳を握った。

「でもね、先生がきっと治るって! 信じてるんだ。だから、お姉ちゃんも大丈夫だよ!」

 小さな手がアンジェラの手を握ろうと宙を彷徨う。思わずアンジェラは強くその手を握った。自分よりも小さく暖かい手だった。

「うん!」

 大きくうなずいたアンジェラの目には涙が滲んでいた。

「ホリー」

「ママ」

 声のした方へホリーは顔をゆっくりと向かせた。ホリーの母はアンジェラを見て頭を下げた。

「娘がご迷惑をかけて……」

 ホリーから手を離したアンジェラは今度は左右にそれを振りながら立ち上がった。

「いいえ! こちらこそ!」

 それから髪を振り乱すのも構わないまま自分も頭を下げたその時……

「あぁ、ここにいた。ナン・ドレークさん」

 大柄の男がナンと呼ばれたホリーの母の元へズカズカとやってきた。その声を聞いた途端、ホリーがアンジェラのスカートを震える手で握った。顔が青ざめ、身体中が震えている。その尋常ではない様子にアンジェラはホリーを抱きしめた。

「大丈夫だよ……どうしたの?」

 頭を撫でてやさしくささやく。ホリーはポツリポツリと口を開いた。

「あの人が……あの人のせいで……目が見えなくなったの……」

 アンジェラの耳に届いたのは信じられない言葉だった。

「え……」

 驚いたアンジェラは大柄の男を見上げた。そこには、冷たい感情の無い目がホリー達親子を見下していた。

「クォートさん……」

 ナンが口を開こうとした時、クォートと呼ばれた大柄の男はそれを遮った。

「金はいつ返してくれるんだ? 娘をこんな良い病院に連れて来られるのならこっちにも少しは払ってもらいたいものだが?」

 周りに聞こえるようにわざと大きい声でクォートは叫んだ。この男は取り立て屋だ。しかもかなり太刀が悪い。

「あ、あの……違うんです。ここのお金は……」

 再びクォートはナンに発言権を譲らなかった。

「まさか、ここの金まで払わないつもりか?」

 その言葉を聞いた待合室の人間がざわつき出した。

「そんなこと……!」

 コンコン

 そこへ扉をノックする音が響いた。そこには主治医の棗・フォスターが立っていた。

「ドレークさん、中へどうぞ」

「先生……」

 まだ言い足りないのかクォートが棗に向かい怒鳴り声を上げた。

「まだ話は終わってない! 部外者は黙って……」

 だが予想に反してクォートは最後まで言葉を発することが出来なかった。強い殺気の低い声が耳元でささやいたからだ。音もなく一瞬でこれほどの至近距離を詰められたクォートはゴクリと息を呑んだ。

「部外者はあんただろ?」

 心拍数が上がり、冷や汗が背を伝った。振り返るとそこにはギラついた目を隠すこともなく黒い髪の男が立っていた。宋夜雨だ。

「まずは来院者名簿に記入の上、来館証を首から下げてここまで来てもらわないと。ルール違反ですよ?」

 さっきまでの殺気が消え、ニコリと首を傾げた。

「チッ……」

 クォートは舌打ちを一つして病院を去って行った。

「何が、おこったんだろ?」

 アンジェラからは夜雨の姿は見えなかった。クォートはいきなり青ざめた顔をして帰って行ったように見えたのだ。

「お姉ちゃん、ありがとう」

 ホリーは病室に入る前にお礼を言い手を振った。

「お大事に」

 なぜだが、ひどくざわめいてアンジェラはトイレに駆け込み、仕切り直しに顔を洗い始めた。胸がざわつく。息が苦しいような気さえする。

(これは、一体?)

 きっちり着込んでいたワイシャツのボタンを二個外した。その時、ふと目についたのは胸にある傷跡。

 そう、今朝見たあの事件の身元不明の男とまったく同じなのだ。自分の胸にある縫合跡が……


 診察室ではホリーが包帯を解かれていた。

「うん、傷は大分良くなったね」

 鋭利な刃物で斬り付けられた目の傷は跡も薄くなり大分良くなっていた。夜雨は棗の後ろでホリーのカルテを読んでいた。

「あとはこれからのことだね。そこの看護師さんが別室で教えてくれるよ」

「ハイ」

 看護師は捕まって。と、ホリーに言いゆっくりと立ち上がらせた。ナンは左胸少し下を押さえて娘と同じくらいゆっくりと立ち上がり頭を下げた。その様子に夜雨の目が鋭く光る。二人っきりになった診察室で棗が言った。

「で、どう?」

 棗をチラリと見て、カルテを置いた夜雨はため息混じりに言った。

「どうもこうも、真っ黒だろ」

「だよな」

 ホリーの顔の傷はやがてきれいさっぱり治るが目は治らない。斬り付けられた水晶体は元には戻らない。

「クォートって奴、ここらでは有名な取り立て屋らしい。スクロくん」

 背後のカーテンの裏からパーカーを着た身長の低い小柄な少年が現れた。歳は大体、十二歳前後だ。

「こちらスクロくん。僕の情報提供者だよ」

 スクロと呼ばれた短髪のブロンドの少年は青い目を真っ直ぐに夜雨に向け頭を下げた。

「お噂はかねがね聞いております。ダークレインさん」

 改めてそう言われてしまうと気恥ずかしい物がある。そんな夜雨の姿にスクロは首を少々傾げたが、話を進めた。

「クォートと言う男はイーストエンドあたりを根城にしています」

 イーストエンドというとロンドン一の貧困街だ。スクロはそう言うと二枚の写真を棗に手渡した。一枚はクォート、もう一枚は背の高い細身の意地の悪い顔をした男。

「こいつの名はガロン。表向きは名だけの不動産屋ですが、裏の顔はただの薄汚い金貸し屋です。資本金は三億以上、取り立て屋はただの金持ちの暇つぶしでしょう」

 顎に手を当て写真を覗き込んでいた夜雨は考え込んだ。ガロンという男は写真で見る限りクォートより頭が利きそうだ。資本金がたんまりあるということはそれだけ悪どいことをしてきた現れだろう。

「ちなみにガロンはロンドン国籍こそ持っていますが、その手ではちょっとした有名人です。クォートはパイント同様、在留資格もない流れ物で無国籍です」

 聞くからに骨が折れそうだ。クォートの方はいいが、ガロンの方の処理は少々億劫になる。とはいえ、グレンに目をつけられているのだ。理由はわからないが、自分らが出なくとも遅かれ早かれ潰されるのは目に見えている。知らなかったとはいえ、夜雨はまんまとグレンの策に乗せられてしまったようだ。今朝の多すぎる報酬はコレの分も兼ねてなのか? そう考えると府に落ちてしまうし、グレンのあの、してやったりな顔を思い出し少し腹立たしくもなる。

「それにしてもやり過ぎや。どうして子供まで手を出さなあかん? ひどいとちゃうか! なぁ? 夜!」

 詰め寄ってくる棗から顔を逸らすが、逸らした先には背の低いスクロが今度はジャンプしながら夜雨に言う。

「せやせや」

 完全に棗のエセ関西弁を覚えたスクロ。こんなザ・外国人が関西弁なんて本場の人間が見たら驚くだろう。まったくどいつもこいつも悪い言葉だけはすぐに覚える。

「近いっちゅーーねん! その無駄にイケメンやめろ!」

 自分だってすっかりうつった関西弁で言い返す。こういう顔や! と、駄々をこねる棗の顔を両手で押し遠ざけた。

「せやけど、このままやと彼女達は泣き寝入りやぞ?」

 イスに座り直し棗は自分を落ち着けるようにカルテを睨んだ。

「俺は許せへん……」

 凍てつくような静かな声だった。スクロが黙って夜雨を見つめた。その曇りのない真っ直ぐな青が夜雨の何物をも染めてしまいそうな黒と交差する。

(この目は苦手だ……)

 正直に迫ってくる、直に心臓を握られるような錯覚さえ覚える。言おうとしている事は分かる。協力してやってくれと彼は言いたいのだ。

「そう煽るなっての……」

 夜雨は診察室の扉をガラッと開けた。

「夜、どこいくんや!」

 のんびりと振り返ると不安そうな棗とやっぱり何か言いたそうなスクロがいた。これはなにか勘違いしているな。と、思い、片方の手をポケットの中に入れた。

「どこって、調達するもん調達しないとダメだろう?」

 必要なものはほとんどなにも手に入っていない。棗はというと、普段のイケメンをすっかり間の抜けた顔にし、目を白黒とさせ、こちらを見つめていた。

「ふは! 変な顔」

 クククと、笑いながら夜雨は診察室を表から出て行った。隣でスクロがポツリと意外そうにつぶやいた「笑った……」と、言う言葉が妙に頭に響いた。

 そうか、周りからは大抵あの男は冷静沈着なイメージを与えてはいるが、本当はそうではない。多分、自分でも気づいてはいないと思うが、意外と表情豊かだったりする。闇の中に留めておくには少々惜しい人材だ。しかし、今は彼をまだ光の元に出すわけにはいかないし、自分とてそんなことを考えている時ではない。棗はすぐに切り替え、後を追う。

「まて夜! そっちは、表や!」

 グレンの命でもある。とにかく今はまだ、裏にいて貰わなければ。

 棗に首根っこをひっ捕まれた夜雨が再び診察室に連行されたのはその三分後だった。

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