第4話

 古い古い夢だった。

 まだ小さい少女が無機質な部屋のベッドに横たわっている。眠っていると昼間より余計自分の中にある心臓が悲鳴を上げているのが分かる。時折訪れる発作が一ヶ月に一回から二週間に一回になり、とうとう一日に何回か来るようになってしまった。

 眠るのが怖い。ベッドから起き上がるのが怖い……呼吸が奪われて目の前が真っ暗になる。ここから解放されたい。この苦しみから逃れられるなら死んだっていい……

「死んだら、終わりだぞ?」

 月のない夜だった。シトシトと雨の音が聞こえる。ふと目を覚ますと目を真っ赤にした男が自分を覗いていた。少女の目は霞んでいてはっきりと見えないが、その男は白い服を着ていた。

 どうやら、うわごとでも言っていたようで白い服の男が寝ているにもかかわらず答えてくれたようだった。

「え?」

 変わった人だ。寝言に付き合う人間などそう多くはない。まだ霞む目でその男を少女は見つめた。潤んだ目の奥には絶望を隠している。

「君のドナーが見つかった。今から移植するよ」

 今から? 声を出そうにもうまく出せなかった。反面、目の前が先ほどよりクリアになっていく。そこには両親の姿も無いし、病室でもなかった。

「大丈夫、絶対に助けるから」

 抑揚のない声だが、熱い感情を隠し、それでいて落ち着く不思議な声だった。

 なんで……

 声の出ない口を開く。

 なんでそんなに……

 意識が白く包まれていく。遠くから聞こえる聞き覚えのある電子音に脳が覚醒されていく。


 ピピピピピピピ


アンジェラ・シャーリーはスマホの目覚ましアラームを消した。

なぜだがすごく古い夢をみたような気がする……

 どこかザワつく胸の内と眠気が自分の中で戦っている。しかし、持ち前のあっけらかんとした性格のせいもあり、先程までのザワつきはなんのその。眠気の方が勝ち、二度寝を始めた時だった、目覚ましアラームとは違う着信音に叩き起こされた。

「ふぁい……シャーリーです……」

 寝ぼけたまま電話に出ると、上司、スミル・サクールの大きな声にベッドから跳ね上がった。

『いつまでも寝てんじゃねぇ! 起きろ! 事件だ!』

「ハイィ!」

 アンジェラは資産家の一人娘で高級住宅地、メイフェアにある大豪邸に住んでいる。普通ならば家を継がなければならないのだが、昔からの夢を叶えてしまった今、好きなようにやらせてもらっている。

 電話を片手にバタバタと身支度を整え階段を駆け下りる。現場はここから十分ほどのグリーンパーク。

『バカいえ、もうそろそろ現場検証が終わる。お前は本庁に行け! すぐに会議が始まる』

 そう言うとスミルは電話を切った。ここからだと本庁に行くよりも近いのに。アンジェラは切れてしまったスマホを見つめ、遅刻しているのにもかかわらずそんな事を思った。

 ふと目が会ったのは暖炉の上に置いてあった写真立てだ。中の人物は相変わらず今日も微笑んでいた。

「おはよう、お母さん」

 そう言いアンジェラは小さく微笑んだ。

「お嬢様、朝食は何にいたしましょうか?」

 側近のメイドがリビングで紅茶を入れながら言った。今、朝食を食べてしまったら上司に殺されるだろう。

「ごめんね、今日はコレだけ頂いてもう出るわ」

 そう言い入れてくれた紅茶を一気に飲み干した。その間にメイドがあっ……と、小さく言葉を漏らした。猫舌ではないアンジェラだったが入れ立ての紅茶は流石に熱く……

「熱っ……!」

 朝から小さな悲鳴が上がったのだった。


 アンジェラが本庁に着くと上司のスミルはまだいなかったが、会議が始まろうとしていた。先に戻っていた刑事らにホワイトボードに被害者の写真、名前、どのように殺されたかの詳細が書かれていく。アンジェラがそれを見ていた時、頭をベシッと叩かれた。

「いたっ!」

「この寝坊助が! 何時だと思ってるんだ!」

 上司のスミル・サクールだ。一見すると本当に刑事なのかと疑いたくなるほど鋭い目をしている。スミルは上司というより、教育係になっていた。

「昨日借りた本を読んでいたらついつい時間を忘れてちゃって……気付いたら朝でした」

 えへ? とでも言うような反省のない笑顔を向けたアンジェラは昨日出会ったアジア系の男を思い出した。スミルより少し年下に見えた彼。出会った途端、心臓がドクンと鳴り、目が離せなくなった。こんな事は初めてだ。また、会えるだろうか?

 会議前に不謹慎な事に心がふわっと温かくなる。そんなアンジェラをスミルは訝しみ、

「ぼーっとしてんじゃない。会議始まるぞ!」

 そう言い、半数以上集まり始めた席につく。それを見たアンジェラもスミルに習いその隣に座った。

「今朝グリーンパークで発見された男性は住所不定、身元を表すものはなにも所持していない。また、昨晩の雨による下足跡は洗い流されたと思われる。次に手元の資料から鑑識」

 アンジェラはそこまでの話の大事な部分を手帳に書き写し、資料をめくった。第一発見者は犬の散歩をしていた近所の老人だった。前の角に座っていた鑑識が立ち上がり説明を始めた。

「暴行等はありません。ただ腹部に真新しい縫合部があり確認してみると……複数の主要臓器がありませんでした」

 途端ざわつき出す室内に鑑識が以上です。と、言い席に着いた。その声さえもざわつきにかき消されそうで、指揮官の静かにしろという罵声が上がった。一人の刑事が恐る恐る手を上げた。

「ですが、指揮官。これはもしかして……」

 手を上げた刑事はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。その顔色はここからでも分かるほど青ざめていた。

「イマジナリーユニット」

 アンジェラの隣に座っていたスミルが大きな声で言った。室内の視線が一気にスミルに集まり、さらにざわつき始めた。配属されてからアンジェラも何度も会議に参加したが、こんな風に半数が動揺するような会議は初めてだった。

「あの……スミルさん? イマジナ……? ってなんですか?」

 まだ新人ゆえにわからない事だらけのアンジェラは周りを伺いながらヒソヒソとスミルに聞いた。

「イマジナリーユニットな。十二年くらい前になるか? コレと全く同じ事件が世界中に起こっていた」

「いた?」

 過去形という事はその犯人は捕まったのだろうか? だとしたらこれは?

「犯人は暴力団風の人間ばかり狙いその腹を生きたまま引き裂き臓器だけ抜いておいてその辺の公園に遺棄する。おまけにキレイに縫合してくれてな。猟奇的で残忍……今回の事件と同じだ」

 アンジェラは資料から被害者の腹の縫合部を見た。

(あれ?)

「その縫合部から犯人は複数で病院関係者だと狙いをつけて星を追った。各国の警察が対談し、めぼしい医者と公園を張っていたが、結局見つからなかった」

 会議が終了したようで周りの刑事たちが席を立ち始め会議室を出て行く中、スミルは話を続けた。

「犯人、捕まってないんですか?」

 アンジェラの手帳を握る手に力が入る。

「あぁ。被害者は皆、戸籍すらあるのかわからないやつらでな。中には偽装パスポートで国内に侵入していたやつもいた。大半は警察の手を免れた罪人でな。犯人グループと言おうか、そいつらは一般の人間には手を出さない。その点から各国の警察上層部の一部からこの犯人らをイマジナリーユニットと呼ぶようになった」

 アンジェラはジッとスミルを見つめた。知らず緊張で手に汗が滲む。

「数学は詳しいか?」

 素直に首を横に振るアンジェラにスミルは言った。

「イマジナリーユニットとは数学で言う虚数単位iのことだ。二乗するとマイナスになる。つまり存在しない数字……お偉いさんは洒落でもきかせたのか、複数いる星とマイナス状態として遺棄される被害者をかけたようだ。そもそもその被害者すら表の社会だと存在しているのか危うい」

 いきなりの難しい説明に文系のアンジェラは頭がショートしかけ目が回りそうだった。

「それは、えっと……つまり?」

 慌ててこめかみを抑えて最終結論を聞こうと先を急いだ。このままでは脳の整理が治らない。法律書のほかに数学書まで借りなければならなくなる。

「つまりだ、この事件の星は存在しない。忘れろ。と、いう意味だ」

 そういうや否や、スミルは立ち上がった。

「え? じゃぁ、この事件はこれで終わりなんですか? でも、亡くなってる人がいるんですよ? スミルさん? スミルさ……」

 言い終わらないうちにアンジェラは頭を叩かれた。

「いった……!」

「終わるわけないだろ? 聞き込み行くぞ!」

 頭を撫でていたアンジェラは気をつけの姿勢を取り、元気に返事をした。

「ハイッ!」

 十二年ぶりに再び動き出した事件。それがなにを意味していてなにが始まろうとしているのかはわからない。だが、自分たちの使命は市民を守ることだ。覆面パトカーに乗り、アンジェラとスミルは聞き込み調査をすべく街に向かい車を発車させた。

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