第2話

 空港から列車を乗り継ぎ市街地についた。途中グレンからのメールで用意された家はアーチウェイにあると地図まで添付され送られてきた。それから立て続けに今夜中に片付けてほしい仕事内容まで長々と送りつけられた。

相変わらず口うるさい旧友に長旅を労る言葉の一つくらいよこせないのかと、腹の中で悪態をつく。

 夜雨の家となるマンションは一階がペンタと言うオープンカフェのある古い建物だった。実質三階にあるA二一号室が新たな住処となる。

鍵はポストに入っておりそのまま階段で上へ上がる。古い外観の割には何回か改装されているようでなかなかキレイな内装だ。

 鍵を開け、部屋の電気をつける。男一人では大きすぎる部屋だった。夜雨は転がしてきたスーツケースを置き窓へと寄り、備え付けられていた薄いカーテンを開けた。 

 街路樹が赤く色付き、雲は多いが青空が広がっていた。時刻は午後四時、十一月だが、ロンドンは緯度が高いためなかなか日が暮れない。マンションの一階のカフェからまばらな人が出たり入ったりを繰り返している。

「カーテン買わないとな」

 薄すぎるカーテンを少し引っ張り夜雨が呟いた。部屋を見回すとほとんどの電化商品が揃えられていてリビングには小さいが暖炉、一人にしては大きすぎるソファも設置されている。全てが揃えられたオープンキッチン、別の部屋にはベッドも書斎さえある。

「至れり尽くせり、ってか?」

 ただし、カーテンを除いては。両腰に手を置き夜雨は嬉しそうに笑った。

 始めはちゃんとした部屋じゃなかった時は断ってやろうと思っていた。が、ここまでやられると断る理由がない。グレンの言う通り、断らない。と、いう選択に少々負に落ちない点はあるが、ここは目を瞑ることにする。

 そう夜雨が思った時、キッチンカウンターの上に置いてあった一枚の写真に気がついた。それはロンドンにまだ夜雨が住んでいた頃の写真だった。十二年前のまだなにも起こらなかった頃の古い記憶が脳裏にふと走り、よろけるように近くのソファに座り込んだ。

「やっぱり、断ればよかった」

 わざわざ余計なことをする。ロンドンの風は涼しすぎる。自分には香港のホコリ臭い風が似合う。そう思いこの国を離れたというのに、まったくもって滑稽だ。そうは言っても来てしまったからには任務を遂行するほかない。夜雨はスマホを取り出しもう一通のメールを確認した。

 時間は深夜三時、ハイゲイト墓地の前。ここからだとそう遠くはない距離だ。

「しゃぁないか」

 約束の時間までまだたっぷりとある。

「大英図書館で暇を潰すか」

 何はともあれ、久々の英国だ。大いに楽しもう。


 アーチウェイから大英図書館まで電車で数十分。およそ二億の資料を保管している図書館は暇潰しするには十分すぎる場所だ。中にはカフェも住設されているし、ギャラリーなども見放題だ。

 夜雨はエントランスを闊歩した。さぁどこから行こうか? そう考えていた時、前からたくさんの本を運んでいた女性が客にぶつかり持っていた荷物を盛大にばらまいた。

「あ……!」

 ちいさな悲鳴を上げた女性はすぐにその場に座り込むと書類や本を集め始めた。落とした拍子にカバンの中までばらまいてしまっていた。

「ああ!」

 女性は荷物をまとめるのに必死になりすぎプラスチックケースが転がるのを阻止できなかった。夜雨の靴に丸い筒状のプラスチックケースがあたった。

「ん?」

 転がってきたそれを拾う。その中には白く丸い錠剤が入っていた。どうやらピルケースのようだ。

「あの、これ」

 夜雨がしゃがんだままの女性にピルケースを差し出した。

「え?」

 その途端、女性は驚いたように大きな青い目を見張った。胸に手を当て、夜雨の顔を凝視したまま動かない。さすがの夜雨もその様子に小さく首を傾げた。

「あの、大丈夫……ですか?」

 女性はハッとしたように立ち上がりクセのある長いダークブラウンの髪を振り乱し姿勢を正し、頭を下げ礼を言った。

「あ、ありがとうございます!」

 夜雨の手からピルケースを受け取りほっとしたような顔をした。それから女性はじっと夜雨の顔を見つめた。

 あまりにも見つめられ、いたたまれなくなってきた夜雨はまだ散乱している本を拾い始めた。それを見た女性も気づいたように慌てて本を拾い集め始める。本はどれも法律関係のもので初級から上級まで揃っていた。

(弁護士か検事? はたまた……)

 チラリと女性を盗み見た。服装からは職業はわからない。年齢は二十代すぎと言ったところか。

「はい、終わり」

「本当にありがとうございました!」

 夜雨は半分本を持つのを手伝い手短な机の上に置いた。女性はキレイな角度で頭を下げて再び礼を言った。

「気をつけて」

 そう言い残し夜雨は図書館の中へと入って行った。チラリと後ろを振り返ると女性は本をサブバックに詰め込んでいるところだった。

 お辞儀の角度、法律関係の本……彼女はきっと警察関係者だ。

 目を細めた夜雨は女性の後ろ姿を目で追った。それよりも気になるのはあの薬だった。彼女の持っていた薬は免疫抑制剤。そんなものを飲む人間は限られている。リウマチなどの疾患や炎症性の治療、それと臓器移植をした者。

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