ダークレイン

こうやゆた

第1話


 冷たい雨が降るのも構わず暗く狭い路地を全力で走り抜ける一人の青年がいた。黒い髪は雨で額に張り付き、髪同様に真っ黒な全身は明かりもない闇の中に溶けてしまいそうだった。

 白い息を乱し、あちこちに出来た水たまりから上がる水しぶきが青年のズボンとコートを汚して行く。

 暗い路地を走り抜けると河川沿いの倉庫群にたどり着いた。ポケットから懐中電灯を取り出し目的のナンバーを探す。

 M―四〇。

 扉は半開きになっているが中からは物音一つしない。青年は荒い呼吸を正し、腰のホルスターから拳銃を取り出し中へ入って行った。

 雨の音とまじり自分の震える呼吸と靴音が倉庫内にやけに大きく響く。奥の扉から外のほとんど壊れかけの仄暗い街灯がもれていた。青年は吸い寄せられるように息を殺し歩いていく。

「!」

 その部屋の真ん中に倒れている女性がいた。

「エマ!」

 青年はエマと呼んだ女性の元に走り、その華奢な身体を掬い上げた。腹からは生暖かい血が流れ出し床に水たまりを作っていた。

「おい……! しっかりしろ!」

 エマは重たいまぶたを上げ青年の胸を震える手で握った。

「約束、覚えてる?」

「いいから、喋るな!」

 自分の着ていたコートの裾を破りエマの腹に押し当て止血にかかるが、反して血は止まらない。青年は舌打ちをする。

「私、の……を……あの子に……」

 血が抜けて冷たくなり始めた手が青年の頬を触る。その手を震える熱い青年の手が掴んだ。

「約、そ……くよ? 夜雨……」


 ポンというシートベルト着用の音が響き、着陸に向け機内が慌ただしくなる。うたた寝をしていた宋夜雨(そう やう)は重たい目を開けた。

(イヤな、夢を見た……)

 忘れようにも忘れられない、十二年前のロンドンでの出来事。もう二度と訪れることはないと思っていた。それなのに……

 アナウンスが入り、飛行機は着陸体制に入る。高度はだんだんと下がり気圧の変化に耳が詰まる。それから飛行機はドスンという衝撃の後、滑走路に着陸。スピードをだんだんと緩めつつ滑っていった。約十三時間前、香港から飛び立った飛行機がロンドン、ヒースロー空港へと降り立った。

 こげ茶色のコートを小脇に抱えた夜雨はスーツケースを片手に空港を後にした。少し肌寒い風が頬をくすぐる。そこへ胸ポケットに入れていたスマホが震えた。着信は、夜雨を十二年ぶりにロンドンへ呼び寄せた人物だった。夜雨は一度出るのを躊ったが、諦めたように三コール目で電話に出た。

『そろそろ着く頃だと思ったよ。久しぶりだな、宋』

 電話の相手ことグレン・ワイリーは相変わらずの落ち着いた声で言った。

「……来たくなかったんだけど」

 少しふてくされたように言う夜雨にグレンは笑った。

『いいじゃないか、家も用意してあるし、すぐに生活出来るようにしてある』

 用意周到の旧友に苛立ちさえ覚える。グレンはフィッツロビアにあるセントソルテホスピタルの院長をしている。十七で飛び級をし、医師免許を持った夜雨も香港に戻る前まではグレンのもとで働いていたのだが、とにかく人使いが荒い。ため息を吐き、夜雨は列車へ乗るべく駅に急ぐ。

『まぁ、募る話もあるが、早速だが今夜中に片付けて欲しい仕事がある。頼まれてくれないか?』

 仕事という言葉に夜雨は足を止めた。

「断る権利は?」

 意地悪く電話口の相手の思いっきり嫌そうな顔を想像しながら夜雨は言った。向こうでグレンはフッと小さく笑ったのがわかった。

『断らないよ。なんせ、お前は優しいからな』

 おかげで聞きたくもないセリフを聞くハメになった。


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