第102話 ガストネの受難
◇◇◇◇
ルリアがスイを助けた日の午後。国王ガストネは苛立っていた。
国王の執務室にいるのは、ガストネの「影」の長だけだ。
「影」とは、ガストネ直属の王の護衛と情報収集をを担う精鋭部隊である。
「要領を得んな」
不機嫌さを隠さないガストネに対し「影」の長が平伏する。
「……申し訳ありませぬ」
先日、ガストネは「影」にルリアを調べよと命じた。
「簡単な仕事のはずだな?」
だというのに、「影」は失敗した。
「時間の猶予もないというのに」
グラーフがルリアを連れて参内するまでに、全ての情報を手に入れる必要がある。
情報は重要だ。情報が無ければ、あらゆる面で後手に回りかねない。
自分が思うように事態を進める為に、情報は不可欠なのだ。
「しかも、この報告はなんだ? 化け物が出たが、消えたと?」
「その通りです。その後も調べようとしたのですが、動物たちに邪魔をされ……」
ルリアの周りにはヤギたちをはじめとした守護獣たちがいる。
守護獣たちは、ガストネの「影」の動きを怪しいと考えて、妨害したのだ。
「情報が漏れているということか?」
「そんなはずは……」
これまで湖畔の別邸を張っていた「影」は一人だけだった。
それも、気配を消して遠くから様子を窺っていただけだ。
だが、先日からガストネの命でルリアを探る「影」の数が五人に増えた。
そのうえ、より詳細な情報を得るために、物理的に距離を縮めている。
それをルリアを陰ながら守護しつつけてきた守護獣たちが見逃すはずもない。
鳥たちが「影」を見つけだし、牛や猪が突き飛ばし、ヤギが踏みつけた。
結果、這々の体で「影」は逃げ帰ることになったのだ。
だが、そんなことはガストネにわかるはずもない。
猜疑心の塊のようになっているガストネは、ついに「影」の中にも裏切り者がでたと考えた。
「漏れていなければ、なぜ急に妨害される? 余とそなた達以外知らないはずではないか!」
「申し訳ありませぬ」
「影」が手に入れることができたのは暴れるスイの存在と、それが消えたことだけだ。
「使えぬ奴らだ」
「…………」
「影」の長は弁解しない。弁解しても意味がないからだ。
そして、一人、ガストネは考える。
(化け物とはなんだ? 消えたというのは聖女の力によって退治されたということか?)
ガストネが考えてもわからなかった。
そもそも、化け物というのが存在したのか、そこからして疑わしくなる。
「情報が欲しいな」
「御意。今から部下を」
「必要ない。余自ら行く」
「いまなんと?」
「影」に裏切り者がいるならば、正しい情報が上がってくるはずもない。
ならば、自分で情報を得るしかない。ガストネはそう考えた。
「……お待ちを。危険です」
「影」の長の忠告は正論だ。王自ら情報収集など、危険極まりない。
「それゆえ今から行く」
事前に計画を立てれば漏れる可能性が高くなる。
突発的かつ衝動的に動いた方が、敵は狙いを定めることができず却って安全だと考えた。
自覚はなかったが、ガストネは猜疑心が高まりすぎて、冷静さを欠いていた。
「二人だけだ。絶対に裏切っていない者、二人だけ選べ」
「……御意」
命令に逆らうことはできない。
「影」の長が、特に忠義に篤い者二人を選ぶと、ガストネは王宮を出た。
日が沈む前に、ガストネは粗末な馬車に乗り、湖畔の別邸へと向かう。
「……どいつもこいつも」
信用できない。そのうえ使えない。愚か者ばかりだ。
裏切り者を出した「影」を総入れ替えすべきかもしれぬ。
ガストネがそんなことを考えていると、ドンッという衝撃に襲われ、馬車が転がった。
「……な、なにが」
額を切って血を流しながら、ガストネは横転した馬車から這い出した。
「陛下、お会い出来て光栄です」
すると五人の黒ずくめの者に囲まれていた。
服はフード付きの黒いローブで、靴も剣も、身につけている物、全てが真っ黒だ。
顔まで黒いマスクで覆われている。性別も種族もわからない。
声は男にしては高く、女にしては低い。きっと魔法で変えているのだ。
「お逃げくださ――ぐあっ」
ガストネを命がけでかばおうとした「影」は、あっさり倒される。
精鋭である「影」ですら倒すほどの敵だということだ。
「お主ら……」
二人の「影」は逃げられただろうに、ガストネをかばおうとした。
少なくとも自分を裏切っていなかった「影」二人を目の前で失ってしまった。
「……お前たちは何者だ。余に何の用がある」
「陛下に恨みを持つ者ですよ」
そういうと、黒づくめの者たちはガストネの頭を押さえつけ、口を開かせる。
そして口の中に、蠢く蛭のようなものを突っ込んだ。
「ぐご、ごぼぉ」
吐き出そうとしたが、蛭のようなものは自ら体内へと侵入していく。
「これで陛下は呪われました」
「呪い……だと? ぐ。うぐううう」
腹の奥が耐えがたい痛みに襲われる。
吐きたいのに吐けない。頭が、関節が、筋肉が、内臓が、痛い。体の芯から寒い。
手足が痙攣して力が入らない。
「うぐががああ」
全身の皮膚が耐えがたいほどかゆくなったと思うと、腫れ物ができていく。
黒ずくめの者たちは鏡を使って、わざわざガストネに変化した自分の顔を見せる。
「これで、もう陛下を陛下と認識できる者はいませんよ」
「ぁ……あっ」
「声も出せないでしょう? 声帯も腫れ上がっていますからね」
黒ずくめの者たちは本当に楽しそうに嘲笑する。
これで、ガストネをガストネと証明する方法がなくなった。
手が痙攣しているので筆跡で証明することも不可能だ。
「ぁ……」
「これで終わりではないですよ?」
黒ずくめの者たちはガストネを耐えがたい悪臭のする壺の中に頭から突っ込んだ。
「ごぼぉっごぼっ!」
汚物が目、耳、鼻や口から入る。汚物が腫れ物に染みて、耐えがたい痛さだ。
汚物で窒息しそうになったころ、引き出される。
「げぉぉぉ……」
体は汚物を吐こうとしたが、吐けなかった。きっとそれも呪いの効果なのだろう。
「……ぁ……ぁ」
なぜ、こんなことを。そう尋ねたかったが、声が出なかった。
「陛下は汚物にまみれて、誰にも知られず、苦痛の中、惨めに死んでいくんですよ」
「……ぁ」
「こんなに臭くて汚い老人など、誰も助けませんからね」
「…………」
「孤独で惨めな死が陛下にはお似合いです」
楽しそうに黒ずくめの者たちは笑った。
「……ぁ」
だが、ガストネにはかすかな希望があった。
ガストネが行方不明になったら、「影」の長が駆けつけるという希望だ。
「影」の長ならば、魔法で探しだし、見つけ出してくれるはずだ。
「そうそう。呪いの効果の一つに、陛下の存在を隠すというものもあります」
「…………ぁ?」
「仮に陛下を魔法で探している者がいたとしても、見つけ出すことはできませんよ」
「…………」
「まあ、陛下は人望がないので、探す者などいないかも知れませんがね」
そういっては黒ずくめの者たちは笑った。
そして、黒ずくめの者たちは街道から離れた森の中にガストネを放置した。
「……ぁ」
日が沈み周囲が暗くなっていく。
森の中、生物の気配はするが、近づいてこない。
苦しくて痛くて寒い。全身の腫れ物が耐えがたいほどかゆい。
「…………ぁ」
黒ずくめの者達の言うとおりだ。
王だとわからない自分を、助ける者はいないだろう。
そのうえ、今の自分は汚物まみれなのだ。
このような汚物まみれの老人を助ける者などいるはずがない。
人は自分に得がなければ、人を助けたりはしないものだ。
「…………」
自分の人生はなんだったのか。幼少期から、命を狙われ続けた。
親、叔父、祖父母、兄弟姉妹、息子達、腹心も全て信用できなかった。
それでも、民にとって良い王であろうとした。
恨みを買っている覚えはある。
大貴族だろうと、法を破れば、容赦無く罰した。
だが、それも、身分を笠に着て、民を虐げていたから罰したのだ。
「…………ぁ」
神よ、私のしたことは罪深いことだったのでしょうか。
こんな報いを受けなければならないほど、罪深い人間だったのでしょうか。
「……ぅぅ」
声を出せないガストネは、森の中で、一人泣いた。
明け方になって、ガストネは守護獣のフクロウに見つかり、牛に運ばれた。
しばらくの間、守護獣たちの間で会議が行なわれた。
「ぶおおお」「めええ~」「もおお!」「ほほぅ!」
議論は白熱した。
議題は人命を重視すべきか、ルリアの安全を重視すべきかだ。
猪は「死にそうな人を見つける度にルリア様を呼ぶのか。それは不可能だ」と主張する。
ヤギは「それでもルリア様なら、助けたいと考えるはずだ」と主張した。
議論の果て、精霊王のクロが呼ばれ、最終的に、判断をルリアに任せることになった。
クロはルリアの安全を重視し、ヤギは人命を重視した。
だからこそ、クロは屋敷に戻れと言い、ヤギは倒れている人がいるとルリアに伝えたのだ。
「…………ぁ……(こいつらは一体)」
守護獣が議論している間、ガストネはひたすら苦しんでいた。
獣たちは自分を食べようとしているのだろうか。
なにも汚物まみれの自分を食べなくてもいいのに。そんなことを考えていた。
「だいじょうぶ、でも、サラちゃん、離れて」
どのくらい経っただろうか。突然人の声がした。幼い女の子の声だ。
「あ……あ……。あ……」
ガストネはすがるようにその幼女を見た。
こんなに不潔で、みにくい自分を助けてくれるわけがない。そう思いながらも助けを求める。
「もう、大丈夫だからね。話さなくてもいいよ」
幼女はそういうと汚物まみれの自分に躊躇いなく触れる。
そして、きれいにし、治療をしてくれた。
「……ぁ」
幼女は自分を王だと認識していない。不潔な病気の老人にしか見えなかっただろう。
だというのに、幼女は躊躇せずに助けてくれた。
汚物が手に付くことも厭わず、うつることも気にせずにだ。
どれほどの自己犠牲と無私のふるまいだろうか。
その行いに、ガストネは言葉に出来ないほど感謝し、感動し、涙を流した。
◇◇◇◇
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