三章 王宮編
第95話 国王ガストネ
快癒したマリオンが湖畔の別邸にやってくる二日前。
豪奢な椅子に座った一人の老人が報告書を読みながら、別の報告を受けていた。
その老人の名はガストネ・オリヴィニス・ファルネーゼ。
ルリア父であるグラーフの父にして、オリヴィリス王国の国王である。
ガストネはは六十代も半ばだというのに、筋肉質で若々しく、覇気を纏っている。
髪は白く顔に皺があるが、美しい碧眼も顔立ちもグラーフにそっくりだった。
だが、眉間には深い皺が刻まれており、不機嫌さを隠そうとしない。
「……ナルバチア大公は病ゆえ参内できぬと」
夏だというのに部屋は涼しい。だというのに報告者は気圧され萎縮し汗をかいていた。
「で?」
ガストネは報告書から目をあげることすらせず、指でこめかみを揉んでいる。
最近、ガストネは四六時中頭痛に悩まされており、それが不機嫌さに拍車をかけていた。
「ですから、父上」
「は?」
ガストネは顔を上げて、報告者の顔を睨んだ。
報告者はルリアの伯父である王太子ゲラルド・・オリヴィニス・ファルネーゼだ。
「へ、陛下。ですから、大公はご病気で……」
父上から陛下と言い直して、改めて同じ言葉を繰り返す。
「それで?」
「です――」
「余は大公に参内せよと命じた。そうだな?」
ナルバチア大公は、隣国と密貿易をし禁制品を市中に流した容疑がかけられている。
それゆえ、参内して釈明せよとガストネは命じたのだ。
「はい。ですが――」
「ですがではない。余が命じたのならば、這ってでも来るのが道理であろう?」
口調こそ柔らかいが、有無を言わせぬ力があった。
「ですが、病だというのを無理に参内させて、もし悪化でもしたら」
「そのときは死ねばよかろう?」
「え?」
「余の命に従って死ぬのだ。本望であろう?」
「お、お待ちください。大公は陛下にとっても叔父にあたる御方」
ナルバチア大公は先代の王の庶子であり、王位継承権の順位も高い。
王よりも年上で、広大な領土を持つ国内有数の大貴族である。
王はこれまで数多の反抗的な貴族を取り潰し、処刑してきた。
だが、さすがに叔父でもある大公ともなれば、話は別だ。
「ゲラルド」
ガストネは報告書を机において、ゲラルドを手招きする。
「陛下?」
機密に関わる話でも耳うちされるのかと思ってゲラルドが近づくと、
「ぐはっ、陛下なにを……」
ガストネはゲラルドの胸ぐらを掴んで引きつける。
「この間抜けが! 大公は余を侮っている!」
ガストネは、顔がつきそうなほどの至近距離でゲラルドを怒鳴りつけた。
「自分は大貴族で余の叔父ゆえに、処分されぬと思っているのだ!」
「そ、それは」
「余を侮るとは、このオリヴィニアス王国を侮るのと同義!」
ガストネはゲラルドの胸ぐらから手を離す。
「近衛を動かせ。ナルバチアの屋敷を火の海にし、大公の首を持ってこい」
「お、お待ちください! それでは戦になります」
「そうしろと言っている」
「陛下! せめて、せめて、一月の猶予を。私が大公を説得します」
ゲラルドのあまりに真剣な表情を見て、ガストネはため息をついた。
「……一週間だ。一週間で
「御意」
退室する王太子ゲラルドを見送って、再びガストネはため息をつく。
ガストネは王太子にナルバチア大公の問題を任せたのは早計だったと後悔し始めていた。
ゲラルドは甘すぎる。
その点、グラーフは良い。グラーフは侮られたらどうなるか理解している。
王侯貴族の社会において、侮られれば最後、食い物にされるだけだ。
だから、グラーフは敵対すれば、教会だろうと呪術師の集団だろうと容赦しない。
家族を守るため、徹底的に叩き潰すのだ。
そのうえ、叛意を疑われないように、逐一ガストネに報告をあげる。
グラーフは王を侮ることもない。
侮らないと言うことは、正確に互いの力量差を測ることができていると言うことでもある。
冷静に、油断せず、従順に、爪と牙など持っていないかのように振るまっている。
「もし、余の寝首をかくとすれば、グラーフであろうな」
王になってから、いや、幼い頃からガストネは誰も信用していなかった。
それは幼少期から、何度も命を狙われたからであり、何度も裏切られたからだ。
裏切り者には実の母や兄弟、そして忠臣と信じた者や親友と思っていた者も含まれる。
……誰も信用できぬ。
とはいえ、臣下よりは息子の方がまだましだ。だから、王太子に命じたというのに。
「情けない。……だが、グラーフは油断できぬ」
王太子は甘いが、グラーフは逆に鋭すぎる。
グラーフは王の猜疑心に気づいている。
だから、臣籍に降り、王宮から距離を取って野心がないとアピールしているのだ。
「……そろそろ、グラーフにも何かした方が良いかもしれぬな」
人は恐ろしさに馴れ、忘れる生き物だ。
だからこそ、定期的に王は、恐れろしい存在だと思い知らさねばならない。
グラーフのことを頭に浮かべながら、ガストネは報告書に目を通す。
ガストネは各地に「影」と呼ばれる直属の斥候を放っていた。
もはやガストネが信じられる者は「影」だけだ。
いや、「影」もいつ裏切るかわからぬ。そうガストネは考えていた。
「ん?」
ちょうどその報告書には、昨日湖畔の別邸で起こった出来事が記されていた。
グラーフの領地で、領民の直訴があり、その日のうちに解決したこと。
その際、巨大な動物が、グラーフの娘ルリアに従っているように見えたこと。
「……ふむ。面白い」
動物に愛される幼女。
かつて聖王家の時代に、王族に現われたという聖女の特徴の一つだ。
「……使えるな」
本当に聖女かどうかは関係ない。聖女だとアピールできれば良いのだ。
最近伸長しつつある教会勢力を牽制し、反抗的な貴族を黙らせるのに都合が良い。
「グラーフの娘ルリアについて調べよ」
ぼそっとガストネが言うと、
「…………」
なにかの気配が、音もなく周囲から一つ消えた。
その後、ガストネはグラーフに末娘を連れて参内せよという勅命を出した。
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