第46話 マリオンとサラ

 サラに屋敷に来るよう説得した後、

「帰りましょうか」

 そういって、母は部屋の外へと歩いて行く。


「あ、かあさま。待って」


 あたしは振り返って、窓の外、マリオンのいる離れを見た。

 もう嫌な感じはしない。きっと大丈夫だ。


「ルリア、どうしたの?」

「ん。だいじょうぶ」


 あたしは母の後ろについて部屋を出た。


 サラの右手を握って、肩にキャロを乗せて歩いていく。

 サラは左手に棒の人形を持って、しっかりついてきた。


 部屋を出たあと、母はまっすぐに玄関へと歩いて行く。


 玄関ホールには先ほどあたしに陰口を叩いた貴族の奥方様らしき女がいた。

 サラがびくりとして、耳をぺたんとさせて、尻尾を股の間に挟む。


「……だいじょうぶ、ルリアがいるから」

 サラに囁いて、手をぎゅっと握る。


「妃殿下」


 母を見つけて、その女は笑顔で語りかける。


「今日は私どもの屋敷においでくださり、まことに――」

「あなたの屋敷ではないわね」


 母は足を止めずに冷たい口調で言い切った。

 そのまま玄関の外に向かって歩いて行く。


「私に話しかけるなんて、礼儀をご存じないのかしら?」


 母がぼそっと呟くと、その女は怯えたような表情でびくりとした。

 基本的に目下の者から話しかけるのはマナー違反なのだ。


 先ほど、あたしには話しかけなかったのに、どうしたのだろう。

 よほど嬉しいことでも、あったのだろうか。


 母は振り返らずに、横にいた従者に言う。


「男爵は見送りにもこられないのかしら?」

「……お忙しいのでしょう」

「執事も見送りに来ないなんて」

「……よほど、お忙しいのでございましょう」

「まあ、それならば、仕方のないことね。私を見送るより余程大事なご用があるのでしょうし」


 それは完全なる嫌味である。

 女は顔色を青くして、オロオロしている。


「きゅ!」


 そのとき、キャロが警戒の声をあげた。


「どした?」


 あたしの肩の上に乗ったキャロは、先ほど男爵と挨拶した応接室の方をじっと見つめている。

 あたしもつられてそちらを見た。


「ぬお?」

 思わず変な声が出た。


「ルリア、どうしたの?」

「な、なんでもない」


 応接室の扉の下から黒い靄が漏れ出していた。

 中はきっと黒い靄であふれているに違いない。


(なにがあったんだろ?)


 あたしは足を止めて、応接室の扉をじっと見つめた。

 母はいぶかしげに、サラは不安そうにあたしのことを見ていることには気づいている。

 だが、あたしは応接室から、目を離せなかった。


 男爵が呪いを使って何かやっているのだろうか。

 それならば、止めなければなるまい。


 だが、あたしは剣術を習っているとはいえ、ただの五歳児。

 従者に協力してもらって……いや、従者は呪力のことがわかるまい。


 クロがいれば……いや、守護獣のキャロとダーウがいればなんとかなるかな?

 でもキャロはしっかりしているが体が小さい。

 ダーウは大きいが、家の外だ。

 色々考えたが、良い案が浮かばない。


「……ど、どうしよ」

「ルリア。なんのこと?」


 そのとき、応接室の扉が乱暴に開かれて、男爵家の執事が外に飛び出してきた。

 同時に黒い靄が廊下に、一気に流れ出す。


「うわぁ」

 あたしが思わず悲鳴をあげて、

「何事? 調べて」

 母が従者をチラリと見る。


「お待ちを」


 大公家の従者の一人が、男爵家の執事の元に走っていった。

 そしてすぐに戻ってくる。


「……男爵が倒れたようです」

「そうなの? 心労かしらね」


 それを聞いて、あたしに陰口を叩いた女も、大慌てで応接室に走っていった。


「ルリア、サラ。帰るわよ」


 男爵の病状が気になる。

 そもそも、呪力が部屋からあふれ出したのは、なぜなのだろう。


 気になっていると、

『返事をしないで欲しいのだ』

 あたしの足元の床からクロが上半身だけ出して、語りかけてきた。


「……」


 あたしは歩きながら無言でクロを見つめる。

 クロはあたしの歩調にあわせて移動しながら、教えてくれる。


『マリオンの呪いが男爵に返ったのだ』

「……なにもしなくていいの?」


 あたしの問いに

「私たちにしてあげられることはないわ。自分たちで医者を呼ぶでしょう」

『ルリア様なら、呪いを払うことはできるけど、自分で呪ったんだから、自業自得なのだ』


 母とクロが同時に答えてくれた。


「そっかー」


 あとで、クロに呪いについて詳しく聞かねばならぬ。

 そう心に決めた。


 歩き出した母について、玄関から外に出ると、侍女が待機していた。


「馬車の準備はできております」

「ありがとう。でも、帰る前に行く場所があるの」


 そういうと母は馬車の方では無く、屋敷の裏手に向かって歩き始めた。


 庭は手入れされているが、ドレスで歩くための道は無い。

 母はドレスの裾が茂みに引っかかるのを無視して、どんどん進む。


 その後ろをあたしとサラ、そして侍女、従者がついていく。


「奥方様、一体何を……」

「ダーウが来てしまったから、迎えに行ってあげないといけないわ」

「それならば、私が迎えにいきます」

「いいの。私が行きたいだけなのだから」


 母は困惑する侍女ににこりと微笑む。


「ですがドレスで、……このような場所を歩かれては……」

「ごめんなさい」


 そういって、いたずらっぽく笑った母は、少女のようだった。


「かーさまは、おてんばなのだなぁ」


 母は十八歳で兄を産んだ。その兄が今年で十五歳。

 つまり、母は三十三歳なのだ。だが、十代にみえるときがある。


「ルリアお嬢様は、奥方様にそっくりですね」

「そうかな? ふへへ」


 母に似ていると言われると嬉しい。照れてしまう。

 照れ笑いしていると、サラが頭を撫でてくれた。


「へへへ」


 照れながら、歩いて屋敷の裏手に回ると、ダーウがいた。

 ダーウは、母に「その場で待機」と言われたので、待機していたのだ。


「わふぅわふぅ」


 ダーウは甘えて、あたしに大きな頭を押しつけにくる。


「……きょうはたすかった。ありがとうな」


 ダーウの耳元で囁いて、力一杯撫でまくる。


「きゅーん」

「おこられるときは、いっしょだ」

「ぴぃー」


 ダーウは仰向けになって、ごろごろする。

 そんなダーウのお腹を撫でまくる。


「サラもなでるといい」

「うん」

 サラもダーウのお腹を撫でる。


「もふもふだね」

「うむ。ダーウはもふもふだ。それと、ダーウは鼻よりもお腹をなでた方がよろこぶ」

「うん」


 先ほどサラはダーウの鼻をペタペタ撫でていたので、教えておく。


 あたしとサラがダーウを撫でている間、母はマリオンの離れに向かって歩いて行った。


「マリオン! 私よ。アマーリアよ! 返事はしなくて良いわ!」


 母はマリオンのいる離れに大声で呼びかける。


「サラのことは安心して。私が責任を持って預かったわ!」

「……ありがとう……ございます」


 マリオンの声がした。

 母は何かを言いかけた。きっと返事はしなくていいと言おうとしたのだろう。

 声を出すだけで、体力を消耗するからだ。


 だが、母が言葉を発する前に、サラが走っていって、大きな声で叫んだ。

「ママ! サラだよ」


 サラは棒の人形をぎゅっと握る。

 まるで、マリオンに自分が忘れられているのではないかと不安になっているかのようだ。


「サラ……元気そうね」

「うん!」


 マリオンの声を聞いてサラは笑顔になった。


「可愛いサラ。ごめんなさいね。守ってあげられなくて。抱きしめてあげられなくて……ごめんなさい」

「ママはわるくないの! だいすき」

「ありがとう。ママもあなたが大好きよ。可愛いサラ。奥方様の言うことをよく聞くのよ」

「うん。サラいうこときく」

「いいこね。サラは私の宝物なの。幸せになるのよ」


 それはマリオンからサラへの遺言のようだった。


「うん。サラはママのたからものなの」


 サラの目から涙がこぼれた。その涙をごしごしと袖で拭う。


「マリオン。すぐによくなる。それにサラはルリアの妹だから、安心するといい」

「ありがとうございます。私の可愛いお嬢様」


 マリオンの声は力が無かった。

 体力がないのだろう。


「かあさま。マリオンにご飯を……とどけてほしい」

「わかっているわ。まかせておいて。このままにはさせないから」

「うん」


 それからしばらくサラはマリオンと壁越しに会話をした。

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