第45話 アマーリアの戦い
◇◇◇◇
ルリアが侍女に連れられてサラの部屋に向かった直後。
アマーリアは男爵に微笑んだ。
「さて、大切な話をいたしましょう?」
「大切な……とおっしゃいますと……一体」
「サラのことです」
「っ」
何を言われるのかと、緊張し男爵は息を呑む。
「順当にいけば……、男爵家の後継はサラになりますでしょう?」
「はい。そのとおりです」
サラは、男爵と正妻であるマリオンの一人娘だ。
サラには十歳年上の兄がいたが、サラが生まれる前に不慮の事故で亡くなっている。
「このままだと、サラに婿養子を迎えることになるのでしょうが……」
このオリヴィニス王国においては、男が爵位を継承するのが一般的だ。
女が継承する場合は例外的な事例に限られる。
順当にいけば、マリオンの婿養子である男爵が跡を継いだように、サラの夫が次代の男爵になることになる。
「そのことについて、男爵はどうお考えなの?」
「どう……とは?」
「あら、私、まどろっこしいのは嫌いなの」
「そう……申されても、私には……」
困惑する男爵に、アマーリアは顔をしかめた。
「仮にもクレーブルク侯爵家に連なる男爵家の後継の耳が、あのような形であることについて、どう思われるの?」
「それはっ!」
そこでやっと男爵はアマーリアの言葉の意味を理解した気になったらしい。
「私もっ! 私も問題だと思っております」
「そうでしょうね。男爵は他に跡継ぎをご用意なさっているご様子」
「そ、そんなことは……」
「大公家の情報収集力を侮らないでくださいな」
大公家はルリアがお見舞いに行きたいと言ってから大急ぎで男爵家の情報を集めた。
ルリアの安全のためである。
なにか理由がなければ、友好的な他家の情報を集めたりはしないものだ。
情報収集のための人的資源も限られているし、なによりも失礼だからである。
それゆえ、男爵には妊娠中の愛人がいて、愛人と一緒にサラを虐めているということを、これまでグラーフもアマーリアも知らなかった。
「男爵は、これから生まれてくる自分の子に跡を継がせたい。だからサラが邪魔ということよね?」
「じゃ、邪魔などと……」
「建前は不要よ」
「っ! そのとおりです。卑しい獣人が栄光あるクレーブルク侯爵家に連なる家の後継になるなど!」
「男爵は、そう思われるのね」
アマーリアはにこりと微笑む。
まるで教師に正解だと言われたかのように男爵は嬉しそうに続ける。
「はい! もちろんです! ですから私は――」
「それ以上、おっしゃらなくて結構。ただ、外聞が悪いことは理解しておられる?」
「獣人が後継になること以上に……でございますか?」
「もちろん。男爵家の血を引いているのはマリオンよ。あなたは男爵家の血を引いていない。これでは乗っ取りと思われても仕方ないのではなくて?」
「それは……」
男爵は言葉に詰まった。
アマーリアの指摘は正論過ぎた。
獣人の貴族は少ないがいる。法的には問題ないのだ。
正統な後継者を廃嫡し、愛人に産ませた子を嫡子にするとなれば、外聞は著しく悪い。
しかも男爵自身は男爵家の血を引いてすらいないのだから。
「ならば、サラを大公家の
「え? 猶子でございますか?」
男爵は驚いて、目を見開いた。
猶子とは、相続権のない養子のようなものである。
「その方が、男爵も都合が良いのではなくて?」
猶子になったとしても、サラの男爵位の継承権はなくならない。
だが、サラが大公爵家の一員となれば、男爵と愛人の子を後継にしても目立たない。
猶子になったサラはよその家の子供なのだから。
しかも、その家は大公爵家。男爵家とは比べものにならないほど格上の家だ。
男爵家が大公爵家の意向に逆らえると周囲の者は思わないので、サラが猶子になったことは大公家の意向だと思うだろう。
男爵が自分の欲望のために、サラを猶子にし、愛人の子を嫡子にしたと思う者はいない。
「そう……かもしれません。ですが、大公殿下はそれでよいとお考えなのですか?」
「殿下はね。ルリアを愛しているの。でも、ルリアは……ね?」
「は、はぁ」
「事情があって、友達を作りにくいでしょう? その点サラは丁度いいわ」
「なるほど。そう言うことでしたら、ぜひ」
男爵は、ルリアが赤い目と髪をしているから、恥ずかしくて社交には出せないのだと誤解した。
そう男爵が誤解するように、アマーリアは言葉を選んだのだ。
「善は急げね。お願い」
「畏まりました」
従者がテキパキとサラを猶子とするための書類の準備をする。
「サインしてくださる?」
「は、はい」
男爵はあっさりとサラを大公家の猶子とすることを承諾する書類にサインをした。
「これでいいわ。早速サラをもらっていくわね」
そういってアマーリアは立ち上がる。
「あの妃殿下」
「なにかしら?」
「私の『子』を……よろしくおねがいします」
その「子」というのは愛人との間に今度生まれる子供のことだ。
サラを廃嫡し、愛人の子に男爵家を継がせるためには、本家の、つまりアマーリアの実家の了承が必要だ。
「もちろん。まかせて」
「ありがとうございます」
アマーリアは部屋をでてサラの部屋へと歩いて行く。
歩きながらアマーリアは「拍子抜けね」と心の中で呟いた。
アマーリアは怒っていた。
マリオンが病気で苦しんでいる間に浮気をしただけでも腹立たしいというのに、あろうことかサラを虐待したのだから。
だから、グラーフにもお願いして、サラを大公家の猶子とし、サラに男爵位を直接継がせることにしたのだ。
(……もう少し面倒になるかと思ったのだけど)
男爵は、アマーリアの父である亡くなった先代侯爵が、マリオンの旦那として選んだ男だ。
だから、もっと優秀な男だと思っていた。
父も
それとも結婚した後にクズになったのだろうか。
「まあ、いいわ」
目論見は全てあっさりと成功した。
これもそれも、男爵が、アマーリアの言葉の裏を読まないからだ。
アマーリアは一言も嘘をついていない。
ただ、誤解されやすい言い方をしただけだ。
獣人が男爵位を継ぐことを、アマーリアが不快に思っていると、男爵は誤解してくれた。
単にどう思うか尋ねただけなのに。
猶子にすることで、サラを男爵の嫡子から外そうと考えているのだと誤解してくれた。
逆だ。猶子にした以上、サラは大公家の後ろ盾を得たのだ。
大公家の後ろ盾があれば、女性でありながら、例外的に男爵の位を継ぐことも難しくない。
貴族同士の会話ならば、言ったことと言っていないことを明確に分けなければならないのに。
男爵が本気でこれから生まれてくる子に跡を継がせたかったならば、もっと警戒すべきなのだ。
大公妃が突然お見舞いに来ると行った時点で、警戒して情報を集めるべきだった。
もちろん、大公家はそれに対抗するために偽の情報を流す準備もしていたが、無駄になった。
ごねたときのために、男爵の弱みとなる情報も集めたが、それも無駄になった。
とにかく、手応えがなさ過ぎた。
これでは遅かれ早かれ、男爵家は食い物にされていただろう。
(……あ、そうね)
まさに今、愛人に食い物にされている最中だった。
アマーリアが歩いていくと、部屋の前に立つ従者が見えた。
その向こうには、こちらに背を向けたキャロがいる。
その配置で、アマーリアは悟った。
これはルリアがキャロを見張りに立たせているのだ。
ルリアが従者に見つかりたくない何かをしているに違いない。
そっと静かに近づくと、
「きゅっきゅっ!」と案の定、慌てたようにキャロが警戒音を出す。
そして部屋の中にはルリアとサラと、そして窓の向こうにはダーウがいた。
「あら? ダーウが来てしまったのね」
隠そうとしていたのはダーウだったらしい。
虫関連の何かでなくて良かった。
アマーリアはほっと胸をなで下ろし、キャロを抱きあげると、ルリアの元へと歩いて行った。
◇◇◇◇
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