第42話 マリオンの家

 マリオンの家は、小さいが古くて立派なお屋敷だった。

 華美な雰囲気は全くなく、質素で作りがしっかりしている。


 馬車が到着するのと同時に、鳥たちが二十羽ほど屋敷の屋根に降り立った。

 いつも中庭で遊んでくれているフクロウたちだ。心強い。


「キャロ。ポケットの中にかくれているといい」

「きゅっきゅ」

「サラとあそぶときまで、隠れているのだぞ?」

「きゅ~」


 キャロは、ダーウよりしっかりしているので安心だ。

 あたしがキャロと話しているのを、母はニコニコ微笑んで眺めている。


 馬車から降りると、マリオンの夫である男爵自ら迎えに来てくれていた。

 従者一人と侍女を馬車に残し、男爵に案内されて屋敷の中へと連れて行かれる。


 護衛に付いた大公家の従者たち四人は、男爵の屋敷の中までついてくる。


 マリオンの治療するために、隠密行動するためには、従者たちの目をかいくぐらなければならない。

 治療のための最大の障壁と言っていいだろう。



 あたしたちは応接室に案内されて、互いに自己紹介をすませた。

 応接室の中に入って、あたしはフードをとって髪を出す。


「……いえ、ルリアお嬢様は本当にお可愛らしい」


 男爵はあたしの赤い髪と目に一瞬反応したが、言葉にすることはなかった。

 きっと男爵は厄災の悪女の伝説を知っているのだ。


「ありがと。男爵。サラはいないの?」


 早速、あたしは男爵に尋ねる。

 男爵が案内してくれた応接室には男爵の他に数人の使用人がいるだけで、子供はいなかった。


「ルリアはサラに会いたいとずっと言っていたのですよ」


 母がそういうと男爵は困ったような表情を浮かべた。


「ですが、サラはまだ幼く礼儀作法なども……」

「お気になさらず。マリオンの子ですもの。身内だと思っているわ」

「もったいなきお言葉……ですが……ご存じだと思いますが、サラは妃殿下にお会いできるような者ではなく……」

「お気になさらずと、私は言ったわ」


 母は笑顔だが有無を言わさぬ威圧感があった。


「なんという寛大なるお言葉!」


 母の言葉に、男爵は大げさなほど、感激してみせるとサラを呼ぶように従者に言う。


 その後、しばらく経って、応接室に綺麗な服を着たサラがやってきた。

 サラは小さくて、頭に犬の耳のようなものが生えていた。

 スカートの中には窮屈そうな尻尾があった。


 サラは犬の獣人なのかもしれない。現世では獣人に初めて会った。

 マリオンも男爵も獣人ではない。ということはおじいちゃんおばあちゃんか、さらにその上に獣人がいるのだろう。


 あたしが尻尾と耳を見つめていると、サラはおどおどしてその耳を隠すように手でぎゅっと掴む。


「…………」

「サラ、自己紹介しなさい」

「サラ……です」

「手はちゃんと体の前に」

「は、はぃ」


 サラは耳から手を放して、体の前に持ってくるとうつむいた。


「ルリアという。よろしくな?」

「…………」


 サラは困ったような表情を浮かべて、ぺこりと頭を下げた。


「サラ。ちゃんとご挨拶しなさい。申し訳ありません。甘やかしすぎたせいか、まったく礼儀作法などが身についておらず……」

「いえいえ。お気になさらないで。サラ。あなたのお母様のお友達のアマーリアよ」

「…………」


 サラはぺこりと頭を下げる。

 母は腰をかがめて、サラの手を優しく握る。


「サラ。何か困ったことがあったら、私にいうのよ? 力になれると思うわ」

「……はい」


 男爵が母には見えない角度で、サラに向かって手をひらひらとさせた。

 それをみたサラは、もう一度深く頭を下げて、部屋を走って出て行ってしまった。


「……本当にお恥ずかしい。母親が病気になり教育が行き届かなく……」

「いえいえ。可愛らしいわ。いい子ね」

「もったいなきお言葉」


 恐縮しきった様子の男爵に、母はマリオンの病状などを聞いていく。

 男爵も深刻な表情で答えていた。


 三分ほど、大人しく話を聞いていたが、あたしにとっては、鳥の守護獣たちから既に聞いたことばかり。

 なんとかして、この場を脱出して、マリオンの治療に向かわねば。


 そう思っていると、

「もう、ルリアったら仕方ないわね」

「む?」

 突然母に微笑まれて、少し困惑した。


「大人同士の話が退屈なのね。そんなに眠そうにして」

「ねむくない!」


 本当に眠くないのに、母は誤解しているらしい。


「幼い子には大人の話は、少し難しかったかもしれないわね」

「子供とはそういうものです」


 男爵がにこりと笑う。


「あ、そうだわ。サラと遊んでいらっしゃい。男爵、かまわないでしょう?」

「で、ですが、我が娘は――」


 なぜか男爵は戸惑っている。

 その戸惑いに母は気づいているはずだろうに、全く気にする様子はない。

 いつもあたしたちや使用人の表情を見て配慮してくれる母とは思えない強引さで言葉を続ける。


「ああ、お気になさらないで。そこのあなた。ルリアをサラの部屋に連れて行ってあげて」

「殿下、お待ち――」

「まあ、男爵! 本当にお気になさらないで!」


 母の押しが異常に強い。

 主家にあたる侯爵家出身かつ大公妃殿下である母に強く言われて、男爵は言葉を返せない。

 

「ルリアもマナーはまだまだなの。幼い子というものは――」


 母は男爵に言葉を継がせず、話し続ける。

 男爵は困惑しているが、母の言葉を遮るわけにもいかず、曖昧に微笑むばかりだ。


 話している途中で母は一瞬だまって、侍女に微笑む。

「はやく、ルリアをサラの元に案内してあげてくださる?」


 侍女に向けた母の笑顔を見て、思わずあたしは心の中で「っわ」と呟いた。

 それほど母の圧はすごかった。


 いつもあたしに向ける笑顔とは違った。


(これが……おうぞくのあつ……)


 臣下が思わず従ってしまいそうになる力があった。

 母は生まれついての王族では無く、王族に嫁いだ者だ。

 それでもこれほどの圧を出せるものなのか。


 あたしは尊敬のまなざしで母を見る。


「か、畏まりました」


 母の圧に押されて、侍女も男爵の指示を待たずに動き出した。


「殿下、あの――」

「子供とはかわいいものですね。男爵は――」


 男爵は何か言おうとしていたが、母は最後まで言わせなかった。


(……これがしゃこう)


 大公爵妃が外で見せる社交の顔というのを初めて見たかもしれない。


 母にはあたしに聞かせたくない話でもあるのだろう。

 それは、どうせあたしにはよくわからないし、母が聞かせたくないならば、聞かなくてもいい。


 それに今、母から離れることができたのは、好都合だ。


 今はとにもかくにも、マリオンの治癒が大事なのだから。

 この機会を利用させてもらおう。


 あたしは侍女の後ろをついて、部屋の外に出る。

「マリオンの離れはどっちにあるの?」

「あ、はい。あちらの方にございますが、流行病がうつりますので……」

「うむ。それはわかっている」


 方角がわかれば、なんとかなる。侍女一人なら撒けるかもしれない。

 なにしろあたしは毎日剣術訓練をして、体を鍛えているのだから。


 そう思ってキョロキョロしていたら、

「ご安心ください。ルリア様。しっかり護衛させていただいておりますからね」

 一人付いてきていた大公家の従者に、後ろから声をかけられた。


 気配を全く感じなかった。恐ろしい。


「つ、ついてこなくていいよ?」

「そういうわけには参りません。お嬢様を守ることが私の仕事ですので」

 と、有無を言わさぬ口調で、満面の笑顔で言われてしまった。


 屋敷に入った四人の従者のうち、一人しか付いてこなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。


 とはいえ、一人であっても一流の護衛でもある従者を撒くのは難しい。

 仕方がない。従者にはサラの部屋の外で待っていてもらおう。



 少し歩くと、侍女は足を止めた。


「どした?」

「お嬢様。少しここでお待ちを……」


 侍女は廊下の突き当たりにある部屋に向かって歩いて行く。


 あたしはその部屋の中に向けて耳をそばだてた。


 実はあたしには、集中すると耳がよく聞こえるようになる特技がある。

 ちなみに集中すれば目もよく見えるようになるのである。


 それはまるで、前世の頃、身体強化の魔法を使ったときのようにだ。


 だが魔法を使っているつもりはないので、魔法ではなく特技だろう。

 特技であって魔法ではないのだから、この技を使っても身長は伸びるに違いなかった。


 その特技を使って、部屋の中の音を聞き取ると、

「この恥さらしが!」

「…………」

「お前のような者が男爵家の――」

 大人の女が罵る声が聞こえてくる。


「……ふおん不穏だな?」


 あたしは侍女に聞こえないぐらい小さな声で呟いた。


「失礼いたします!」


 侍女が大きな声を出して部屋の中に呼びかける。


「一体なにごと?」

「大公家のルリアお嬢様がおいでになりました」

「…………」


 扉が開いて、貴族の奥方様のような恰好の女が出てきた。

 その貴族の奥方様のような女があたしをじろりと睨むように見る。


「なんと。……不吉な」


 口を扇で隠しながら馬鹿にしたように言った。

 その女のお腹はぽっこりと膨れている。


 七か月といったところだろうか。

 きっと妊娠して実家に帰ってきた男爵の姉とか妹とかだろう。


 あたしはその女を無視した。

 あたしのことを不吉などと言った女に、自己紹介などしてやるものか。


「名乗りもしないなんて礼儀しらずね」


 目上の者から声をかけるのが礼儀。

 その女は、仮にも大公家の令嬢であるあたしには、自分からは声をかけられない。


 だから陰口を叩く。五歳児だと思って侮っているのだ。


「無礼で不吉な娘なら、陰気で愚かなサラとお似合いかも知れないわね」


 父があたしを屋敷の外に出さなかったのは、このような陰口から守るためだったのだろう。


「きこえてるぞ? おまえ、なまえは?」

「は?」


 その女は間抜けな声を出す。幼児に問い詰められるとは思わなかったのだろう。

 あたしは怒っていた。

 あたしに対する悪口はどうでもいい。


 いや、本当はどうでも良くはないが、それよりずっとサラに対する悪口は聞き逃せない。

 あたしはサラのことはよく知らないが、マリオンの乳を分けて貰った恩がある。


「は? じゃない。なまえは? 父にほうこくせねばならぬからな?」

「えっ?」


 問い詰められると思わなかったのか、女はぽかんとした表情を浮かべた。


「お嬢様。聞くまでもありません。名前は私の方でしっかりと調べておきましょう」

「ん、たのんだ」

「えっと、失礼しますわ」


 慌てたようにその女は扇で顔を隠すようにして去って行く。

 今更、顔を隠そうと、もう遅い。大公爵家の従者に見られた後だ。

 あっという間に全ての情報が丸裸にされるだろう。


「すまない。そなたは、へやの外にいてほしい」

何故なにゆえでございましょう?」

「サラはいじめられていた。泣いているかもしれない」


 今日同行してくれた従者は特殊な訓練を受けている。

 五感強化の魔法を使っているので、きっと女に虐められていた声も聞こえていたはずだ。


「……畏まりました。ですが、何かあったときにすぐに対処できるよう扉は開けておいてください」


 あたしの身を守るのが仕事である従者にとって最大の譲歩だ。


「わかった。じじょとかが来ないようにみはってて」

「畏まりました」


 あたしは侍女たちが近づかないよう従者に頼むと、扉を開けたまま静かにサラの部屋へと入った。

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