第43話 サラ

 サラの部屋に入ると、カビ臭かった。

 昼間だというのに日光はほとんど差し込んでおらず薄暗い。

 窓はあるのだが、北向きなうえ、窓のすぐ近くに大きめの木があるせいだろう。


 その薄暗い部屋の中に寝台があった。

 寝台のシーツは黄ばんでいて、湿っていそうだ。恐らくカビ臭さの原因は寝台だ。


 部屋の出入り口からみて、カビ臭い寝台の向こう側に隠れるようにしてサラはいた。


 床の上にぺたりと座り、

「……――……――」

 かすかに小さな声で、ぼそぼそとしゃべっている。

 どうやら、サラはあたしに気づいていないようだ。


 何を話しているのだろう。


 あたしは気になって、音を立てずに近づいた。


「……――……」


 サラは囁きながら、木の棒にぼろきれを巻き付けた物を大切そうに抱きしめている。

 それはただの棒だ。

 ただ、左右に少しずれてはえた枝が、腕のようにみえなくもないただの棒である。

 ただの棒に布を巻いただけだが、それがサラの人形らしい。


 仮にも貴族のご令嬢が、まともな人形一つ与えてもらえないのか。


「……サラはかわいいね。……いいこいいこ」


 サラは呟く。

 それは、きっと母マリオンに言ってもらって嬉しかった大切な言葉。


「……サラはママのたからものだからね。……いいこ」


 かけてもらって嬉しかった言葉を、自分に見立てた人形に向かって呟いている。


 あたしは泣きそうになった。


「サラ」

「ひぅ」


 あたしに気づいたサラはビクッとして、慌てたように木の棒の人形をスカートの中に隠す。

 尻尾を股の間に挟んで、プルプル震えた。


 そんなサラをあたしは抱きしめた。

 サラはまるで満足にご飯も貰えていないのではと思えるほど、細くて小さかった。


「……だいじょうぶ。ルリアにまかせろ」

「るりあ……さま?」

「サラは、ルリアの、妹みたいなものだから。ルリアは姉だから」

「おねえ……ちゃん?」

「うむ。サラの母上のおちちで、ルリアはそだったのだから」


 あたしは「だいじょうぶ」と繰り返しながら、サラを抱きしめた。


 どうやら男爵はサラを可愛がっていないらしい。

 理由はわからない。


 男爵は「サラは妃殿下にお会いできるような者ではなく」と言った。

 てっきり礼儀が身についていないからだと思ったが、少し違和感はあった。

 まるで、サラが身分の低い者であるかのような口調ではないか。


 しばらく抱きしめていると、やっとサラの震えが収まった。


「サラ。うちにきたらいい」

「……でも」

「マリオンのびょうきもきっと治る。治ったらいっしょにくらせばいい」

「……でも」

「でも?」

「サラは、獣人だから……むりなの」

「どうしてそう思う?」

「サラは、……獣人だから……いやしいの」


 サラは悲しそうに自分の犬のような耳をぎゅっと掴む。

 そうか。サラはそう言われて育ったのか。


 やはり男爵の「お会いできるような者ではなく」という言葉も、そういう意味だったのか。

 あたしは男爵に、大いに腹を立てた。


「いやしくない。サラはいやしくない」

「でも……」

「でもじゃない。サラはマリオンのたからものなんだから」


 サラは目に涙を浮かべた。


「サラはかわいい。いいこ。そしてルリアの妹だ」

「ぇぇ……ぇぇぇっぐ」


 サラはボロボロと涙をこぼす。


「サラはルリアの妹。そしてルリアは姉だから。サラはいいこでかわいい」


 あたしはサラが泣き止むまで、声をかけながら、抱きしめた。

 キャロもポケットからでてきて、サラの頭を優しく撫でる。


「……りす?」

 サラがキャロを見て首をかしげる。


「プレーリードッグのキャロだ」

「かわいいね」


 サラは初めて笑った。


(きゃろ、でかした!)

 あたしは、キャロに無言でよくやったと目で伝えた。


「きゅ」

 キャロもどや顔をしている。



 サラのことはあとでかあさまに頼むとして、今はマリオンの病気を治すのが先だ。

 マリオンが元気になれば、サラも幸せになれるし、寂しくない。

 マリオンさえ元気になれば、あの愚かな男爵だって、どうにでもなる。


「さて……サラ」

「はい。ルリアさま」


 サラは肩に乗ったキャロを撫でている。

 様はいらないと言おうと思ったが、礼儀がなってないと怒られたら困るので後回しだ。


「……キャロ、ていさつして」

「きゅ」


 キャロはタタタと四足歩行で開いた扉まで走って部屋の外を窺う。

 従者が何をしているのか確認してくれているのだ。


「サラ、こっちにきて」

「うん」


 窓のそばに連れて行き、小声で話す。


「しずかにな?」

「うん」

「マリオンの、サラのかあさまの場所はわかる?」

「えっと……あっち」


 サラは窓の外に生えている木のさらに向こうを指さした。


 窓からその建物までは、大人の足で七十歩ぐらい離れている。

 つまり、窓から建物までの距離は大体五十メルトぐらいだ。


 ちなみに、長さの距離メルトについては兄に教えてもらった。


「あのたてものか」

「そう。サラも中にはいれないの」

「うつるからなー」


 そう言いながら、あたしはマリオンの建物まで近寄る方法を考える。

 剣術訓練のおかげで、体力がついたので、五歳にしては速く走ることはできる。


 だが、見つかったらまずい。

 とくに大公爵家の従者に見つかったらまずい。


 従者たちは護衛を務めているだけあって、とにかく速いのだ。

 十歩も進む前に確保されて、連れ戻されるだろう。


「むむぅ……ん?」


 いちかばちか、全力で走ろうかと思っていたら、違和感にふと気づいた。


「あれ……まさか、もやかな?」

「もや? ルリアさま、もやって?」

「たてものに、くろいもやが少しかかっているように……みえぬか?」

「サラには、そんなのはみえないの」


 サラには見えないということは、呪力だろうか?


「……まさか」


 もう一度よく見たら、あたしの誕生直後、母を殺しかけたあの呪力の靄に少し似ている。

 いや、だがもし呪力なら、守護獣たちが、気づいて教えてくれたはずではないだろうか?


「……まよっている場合じゃない。んっしょっと」


 あたしは窓を開ける。下から押し上げるタイプの窓だ。

 非常に固く、重かったが、剣術訓練しているので、なんとか開けられた。


「うお」

「…………」


 窓を開けると、窓の下に隠れるように伏せをしたダーウがいた。

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