第26話 ルリアと乳母
キャロが仲間になってくれてから一週間後の午後。
今日もあたしはダーウと一緒に中庭で木剣を振り回して訓練していた。
「ふんぬ、ふんぬ、ちゃっちゃっちゃちゃ~~」
「わふっ、わふっ、あぁぁぅぅぅぁぁぅう~~」
あたしがぶんぶんと木剣を振り回すと、いつものようにダーウも咥えた木の枝を一緒になって振り回してくれる。
「きゅきゅ~」
あたしとダーウの様子をキャロは、鳥たちと一緒にどこか呆れたように見つめていた。
「ふんぬ! ふんぬ……ふう……こんなもんか」
「わふっ! わふっ!」
しばらく集中した後、あたしとダーウは汗だくになって、訓練を終える。
「む? きゃろはどした?」
「わふ?」
先ほどまであたしとダーウを見つめていたキャロが居なかった。
「まいご?」
「わふ?」
「とりたち、しらぬか?」
「ほっほう?」
どこか誤魔化すように、鳥たちは目をそらした。
鳥たちは知っていそうだが、教えてはくれないらしい。
「むむ? かくれんぼだな? だーう、きゃろをさがすのだ」
「わふ!」
あたしとダーウはキャロを探す。
「こっちかな? ふむー」
「わふう!」
「お、だーう、でかした」
ダーウはその鋭い鼻を使って、あっさり見つけたらしい。
「どれどれ……」
ダーウの鼻の先には、結構大きな穴があった。
あたしが通るのは難しいが、キャロなら充分入れるだろう。
「きゃろ? あなのなかにかくれたのか? きゃろ、でてこいー」
「…………きゅう?」
呼びかけたら、穴からキャロが顔を出す。
「あなほっちゃったか……」
草原に穴を掘って、そこで暮らすのがプレーリドッグの習性なのだ。
つい、本能を抑えきれなくなったのだろう。
「おこ……られる……か?」
「きゅ?」「わふ?」
怒られるかもしれないと思ったのか、キャロは少しびくりとした。
ダーウも不安そうに尻尾をゆったりと動かしている。
微妙なところだ。中庭に穴を掘ったら、普通は怒られる。
だが、キャロの場合は、本能だから許されるかもしれない。
あたしは穴の上に立って、周囲を見回す。
庭木や花、中庭にあるオブジェによって、うまいこと死角になっている。
「みつからないかな?」
「きゅる~」「わふ~」
キャロはほっとしたようだ。
安心したダーウの尻尾の動きが激しくなった。
「ふむ……あとは……」
「きゅ~?」
「……こっそりあらおう。どろだらけだと、おこられるかもしれないからな?」
「きゅきゅ」
あたしはキャロを服の中に入れて隠して、ダーウの背の上に乗る。
「だーう、あたしのへやにもどろう」
「わふ」
あたしの部屋にもどれば、桶もあるしお湯も出せる。
こっそり洗えば、キャロが穴掘りしたことも、バレないだろう。
部屋に戻って、大きな桶を用意する。
「ええっと、おゆはー」
自分でお湯を用意したことは無いが、乳母や侍女がやっているのを見たことがあるので大丈夫だ。
「これだな!?」
高い場所にあるレバーをひねれば、魔道具が動き出してお湯が出るらしい。
仕組みはわからないが、そうらしい。侍女がそんなことを話していた。
「だーう、うごかないで。せなかにたつからな?」
「わふ」
頭にキャロを乗せ、ダーウの背に乗り、レバーをひねる。
途端に蛇口から冷たい水が噴き出した。
「うわぷ、つめた、つめたい。ふっぎゃああ」
「きゃふう」「きゅきゅきゅ」
ダーウとキャロと一緒に全身に冷たい水を浴びてしまった。
レバーを戻そうと思ったが、転んでしまったので、届かない。
「うぷぷ……つめちゃ」
「ルリア様、何をされているのですか!」
そこに乳母が駆けつけてきて、レバーを戻してくれた。
「たすかった」「わふ……」「きゃう……」
「ルリア様。勝手に動かしてはいけません」
「ごめなさい」「わふぅ」「きゅ」
あたしが謝ると、ダーウとキャロも一緒に謝ってくれた。
あたししか悪くないのに、申し訳なくなる。
「だーうときゃろはわるくない。あたしがわるい」
「怒ってませんよ」
乳母は優しく微笑んでくれた。
「ルリア様、なにをされたかったのですか?」
「えっとあせをながして、きゃろがよごれたから、きゃろも……」
「わかりました。お待ちください」
乳母はテキパキ動いて、お湯を出してくれた。
「お湯を出すにはまずこちらを動かさなければなりませんし、そもそも、温度調節が難しいので一人で動かしてはいけません」
「あい」
「約束ですよ?」
「あい」
あたしは乳母には勝てない。
乳母は、母と協力してあたしを母乳で育ててくれたのだ。
特に生まれた直後は、死にかけていた母に代わって、一日中面倒見てくれた。
家族の次に大切な恩人であるのは間違いない。
乳母はマリオンという名で、元々母の遠縁の者らしい。
あたしを洗いながら、マリオンが呟く。
「こうして、お嬢様のお世話をするのもあと少しですね」
「さみしい」
乳母というのは乳が出なければ務まらない。
だから、必然的に、あたしの乳母には、あたしと同じ年齢の子供がいるのだ。
もちろん、赤子の死亡率は低くないから、乳母の子が死んでいる場合もある。
だが、幸運にもマリオンの子は、元気に育っていると聞いている。
「私も寂しいです」
「でも、まりおんの子はもっとさみしいもんな?」
それがわかっているから、とめられない。
あたしの世話ばかりしているせいで、マリオンは実子に毎日会えていないのだ。
「まりおんの子に、ルリアも会ってみたいけどなー」
「…………旦那様と奥方様が許可されればいつでも」
「そっかー」
乳母の子は
つまりあたしが養君で、マリオンの子が乳母子だ。
乳母子は、養君の無二の腹心になったりする。
むしろ、乳母子が腹心になることを期待して、出自や人柄、頭の良さなどを見て、乳母を選ぶことも多い。
実際、兄と姉の乳母子は、よく一緒にいるし、一緒に勉強したり訓練したりしている。
あたしも、剣術訓練の際には、兄の乳母子と会ったこともあるし、姉の乳母子に絵本を読んでもらったこともある。
だが、あたしの乳母子には会わせてもらったことがない。
会わせて貰えない理由は明白だ
あたしは生まれてすぐ襲撃された。
もし、乳母子が襲撃の際に近くにいれば、巻き込まれかねない。
それを父も母も懸念しているのだ。
「そろそろ、あわせてくれても、いいとおもうのだけどなー」
三歳になった今でも、あたしは中庭以外の屋外に出ることを禁じられている。
いまだに父と母は、あたしが会う人物をなるべく少なくしようとしている気がする。
「うーん。旦那様はルリア様が大切なのですよ」
「そっかー」
それでも過保護すぎる気がするのだ。
「ふむう~」
「また難しい顔をなされて。旦那様も奥方様も、そしてこのマリオンも、お嬢様が大好きなのは確かなのですから。安心なさってください」
「そだね! るりあも、まりおんすき」
「ありがとうございます」
大切な乳母、マリオンが役を辞して家に帰ったのは、それから三日後のことだった。
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