第23話 アマーリアの懸念

 ◇◇◇◇

 ルリアの母、ヴァロア大公妃アマーリアが、部屋で招待状への返事を書いていると、

「あ、ルリアお嬢様が剣術の稽古をはじめましたよ」

 中庭を見た若い侍女が教えてくれた。


「よく教えてくれました!」

 アマーリアは窓に駆け寄って、中庭を窺う。


 ギルベルトと教師は中庭にはいない。今日は座学の日なのだ。

 代わりに乳母と沢山の鳥とプレーリードッグが、ルリアとダーウを見守っている。


「ふんぬ! ふんぬ! ふんぬ! ちゃ~~」「わふ、わふ、わふ、わぁぅー」

 木の棒を振り回すルリアの周りを、木の棒を咥えたダーウが走り回っている。

 剣術と言うより、お遊戯である。


「ルリアお嬢様は、本当にお可愛らしいですね」


 アマーリアと一緒に中庭を眺めていた年かさの侍女が呟いた。


「本当に……元気に育ってくれて嬉しいわ」


 アマーリアの頬が緩む。


「赤ちゃんのときは全く泣かなくて、心配していたのだけど……」


 ルリアは本当に泣かない子だった。

 お腹が空いても、おしめが汚れても、泣かなかった。

 ダーウが吠えて、やっとおしめが汚れていることに気づいたぐらいだ。


 じっと人を睨むように見つめるか、空中にある何かを掴もうしているかの、どちらかだった。


 母乳だけはよく飲んでくれたし、抱っこしたらふにゃあと笑ってくれたが、不安だった。


 ルリアを産む際に、アマーリアは死にかけた。

 そのせいで、虚弱な体になってしまったのではと不安だったのだ。


「最近は元気すぎるぐらいよね」

「はい。まるで男の子のようで……」


 アマーリアの言葉に、年かさの侍女が遠い目をして頷いた。


「……ギルベルトよりわんぱくね」 

「…………本当に、本当にわんぱくでいらっしゃいます」


 アマーリアには忘れられないことがある。

 あれはルリアが一歳半の頃。


 ルリアは毛虫を沢山ポケットに入れていたのだ。

 外に出してもらっていなかったルリアがどうやって集めたのかは謎だ。

 恐らくダーウにお願いして集めさせたのだろう。


 ポケットに何かを詰め込んでいることに気付いたアマーリアが、

「ルリア、それはなにかしら?」

 と尋ねると、

「ひじょーしょく!」

 と満面の笑みを浮かべてもぞもぞ動く毛虫を鷲掴みにして見せてくれた。

 近くにいたリディアは悲鳴を上げ、アマーリアは気絶しそうになったものだ。


 その後「毛虫は集めてはいけない。リディアも母も毛虫が怖いのだ」と諭した。

 ルリアは反省したように見えたが、まったくアマーリアの言葉を理解していなかった。


 それがわかったのは、半年後、二歳になったばかりのころだ。


 春になり、ルリアが寝台の下に隠していた五個のカマキリの卵が一斉に孵化したのだ。

 カマキリの卵一個からはおよそ二百匹の幼虫が孵る。

 それが五個。つまり千匹のカマキリの幼虫がルリアの部屋を埋め尽くした。


「もう、カマキリの卵を隠したりしないといいのだけど」

 アマーリアが言うと、侍女たちはみな深く頷いた。


 ルリアを尋ねて部屋に入ったアマーリアはあまりの惨状に気絶した。

 そして、悲鳴を聞いて駆けつけたリディアも気絶した。

 いつもならカマキリを喜ぶ男の子のギルベルトも顔を真っ青にしていたと聞いている。


 それほど、千匹のカマキリの幼虫が部屋を埋め尽くすさまは恐ろしいのだ。


「あのときもお嬢様は非常食として集めたと、おっしゃってましたね」

「そうなの。食欲があるのはよいのだけど……」


 ルリアは王族の姫としては、食い意地が張りすぎている。

 赤ちゃんのときから、母乳をごくごく飲んでいた。


 今でも、出されたご飯はなんでもバクバク食べるし、ギルベルトやリディアが食べ物を残そうものなら、

「にーさま、のこすならくれ!」

 といって食べようとする。


 足りないなら新しいのを持ってこさせようと言っても「もったいない」というのだ。


「好き嫌いが全くないのはよいことだし、食べ物を大事にするのはいいのだけど……」

「ですが、ルリアお嬢様はまだ三歳です。マナーはおいおい学べばよろしいのでは?」

「そうよね!」


 今は一杯食べて、大きく育ってくれれば良い。


「カマキリ事件もありましたが、基本的にはルリアお嬢様は言えば、わかるお方ですから」

「そうよね!」


 カマキリ事件から、アマーリアはルリアが虫や卵を拾ってきても叱らないことにした。

 そのかわり、何を拾ったのか絶対に報告するようにとお願いしたのだ。


「わかった!」

 そう元気に返事をしたルリアは毎回報告に来てくれるようになった。


 ◇◇

 昨日も、ルリアはやってきた。


「かーさま! いなご!」「わふわふ~」

「あ、ああ、そうね、イナゴね。どうするの?」


 虫は苦手だ。だから顔が引きつる。

 それでも、悲鳴を上げたり、大きな声で叱ったりしてはいけない。

 隠されて収集されたら、もっと大変なことになるからだ。


「おやつにたべる」

「だ、だめよ」

「どして?」

「イナゴには寄生虫がいるの。だから、お腹を壊すわ」

「そかー。じゃあたべるのやめる。あ、でもさっき、だーうがたべてた!」

「わ、わふぅ~」


 うろたえるダーウの頭をアマーリアは優しく撫でて諭すように言う。


「犬なら大丈夫よ。犬は人より胃酸が強いの」

「そかー。だーうよかったな!」

「わふ!」

「ルリア。イナゴさんは可哀想だから、庭に放してあげなさいな」

「わかった! だーういこ!」「わふわふ~」


 そんな感じで、大惨事を防いでいる。

 対応するためにアマーリアの部屋には虫と生物の図鑑が何冊もある。

 おかげで、アマーリア自身も、虫と生物にずいぶんと詳しくなった。


 ◇◇


「どうして、ルリアは……食に執着するのかしら」


 アマーリアは、ルリアの前世を知らない。

 だから、生まれてから飢えた覚えの無いはずのルリアが、なぜ、飢えを恐れるのかわからなかった。


 アマーリアが剣術の練習と称した遊戯をするルリアを眺めていると、

「ルリアお嬢様、おやつですよ」

 そういって、侍女がおやつを持ってやってきた。


「おやつ!」「わふ!」

 ルリアが目を輝かせ、ダーウが尻尾を振って、侍女に駆け寄る。


「中庭でお召し上がりになりますか?」

「うん!」


 ルリアは侍女から山盛りのクッキー入りの籠をもらって、中庭の地面に座る。

 ルリアがいつも沢山食べるので、三歳児にしてはおやつの量も多いのだ。


「ダーウにもおやつですよ」

「わふ!」

 ダーウはおやつの牛骨をもらって、ガシガシ噛みはじめた。


 一方、おやつのクッキーを食べようとしたルリアの周りに鳥たちが集まる。

 鳥たちはおやつに群がっていると言うよりも、ルリアに群がっているのだ。


「…………たべたい?」


 だが、ルリアは鳥たちを見て、鳥たちがお腹を空かせていると思ったらしい。


「くるっぽー」「ほっほう」「きゅいきゅい」

「しかたないな! あげる。すこしずつだぞ」


 ルリアはクッキーを砕いて、鳥たちに分け始めた。

 クッキーは沢山あるが、鳥たちも沢山いる。


 三歳児にしては多めでも、全ての鳥たちに分け与えるには、圧倒的に足りない。


「すこししかなくて、すまんな」


 結局ルリアはおやつのクッキーを全部鳥たちに分けてしまった。


「わふ?」

 ダーウが牛骨を、ルリアの前にぼとっと落とす。


「それはだーうがたべるといい。るりあはおなかすいてない」

「がう~」


 ルリアは手に付いたクッキーの粉をペロリと舐めると、ダーウのことをわしわしと撫でた。


 その様子を見たアマーリアは、

「うん、大丈夫ね」

 と呟いた。


「何が大丈夫なのですか?」


 年かさの侍女に尋ねられたアマーリアは、よくぞ聞いてくれたとばかりに語り出す。


「私、心配してたの。ルリアが人の食べ物を奪ってまで食欲を満たす子になるんじゃないかって」


 アマーリアは嬉しそうにルリアを見つめている。


「でも、ルリアは自分より他人を気遣える優しい子。だから大丈夫」


 手についたクッキーの粉を舐めるぐらいだ。

 クッキーは大好きだし、お腹も空いているのだろう。

 でも、鳥たちやプレーリードッグが、お腹が空いていると思って我慢したのだ。


「三歳の時、私は大好きなお菓子を友達に分けられたかしら。……自信がないわ」

「そんなことはありません。お嬢様は、いえ奥方様は三歳のころから優しい方でした」


 アマーリアが幼少時から仕えている年かさの侍女はそういって微笑んだ。


「ありがとう」

「きっと、ルリアお嬢様の優しさは、奥方様に似たのでしょう」


 アマーリアと侍女が、のんびり話していると、

「あ、けむしだ! こいつ、たべられるかな!」

「わふ~?」

「きせいちゅうがいるかもしれないからな! やいたら、たべられるか?」

「わふ」

 ルリアとダーウがそんなことを相談し始めた。


「いけないわ。すぐにルリアにお菓子を届けて。毛虫を食べようとする前に」

「はい! 大至急!」


 アマーリアと侍女は大急ぎで、沢山のクッキーをルリアに届けたのだった。


 ◇◇◇◇

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