八か月

第18話 ルリアと探索

 ※※※※

 八か月になりましたが、ルリアはまだほとんど話せません。

 なので、ルリアのセリフは、ルリアが言いたいこと、実際に口に出しているのはルビに書かれていることになります。

 八か月の間はこの方式になります。

 ※※※※


 生まれてから八か月が経った。

 昨日、母と乳母がそう話しているのを聞いたのだ。


「だうだうだうだう!」

 今日も今日とて、ハイハイして部屋の中を動き回る。


「ルリアは元気ね」

「本当に。ルリアお嬢様は母乳も沢山お飲みになりますし」


 母と侍女が優しい目で見つめてくれている。

 あたしがハイハイするようになったのにあわせて、部屋の絨毯は新しくなった。

 父は意外と金持ちだったようだ。


 そのうえ、みんなあたしの部屋の中では靴を脱ぐことになった。

 だから、思い切ってハイハイできる。


「はっはっ、ぴぃ~はっ」


 あたしがハイハイすると、ダーウが尻尾を振って追いかけてくる。


「だーう……」

「わふ?」


 八か月になったので、あたしもほんの少し話せるようになった。

 まだまだ、舌が回らないから少しだけだ。


大きくなったなでかなたな

「わふ」


 ダーウが自慢げに胸を張ってお座りする。


 出会ったばかりの頃、ダーウはあたしより小さかった。

 今は少し小柄な狼ぐらいの大きさだ。

 立ち上がれば前足を母の肩に乗せることができるぐらいなのだ。


「…………」


 あたしはしばらくハイハイした後、母の様子を窺う。


「わふ?」

 どうしたと言いたげなダーウが首をかしげる。


「だーう」

「ゎぅ」

 ダーウを呼び寄せると、ダーウは伏せて耳をあたしに寄せてくれる。


「……外に探検に行くたけん!

「ぁぅ」


 探索するには母の目をかいくぐって、部屋の外に出なければならないのだ。

 ダーウもあたしの意を汲んで、小さな声で吠えてくれる。


「ふんふんふん」

 ダーウはあたしを隠すようにお座りすると、鼻をふんふん鳴らしながら、母の様子を窺っている。


 ちなみに乳母は今日はお休みだ。

 乳母は母乳が出なければ務まらない。

 当然、乳母にはあたしと同い年の子供、いわゆる乳母子めのとごがいる。


 だから、毎日来られるわけではないのだ。

 生まれたばかりの頃は、乳母の母や姉、使用人に乳母子の世話を任せてほとんどあたしの世話をしてくれていた。

 その分を埋め合わせるかのように、今は乳母子との時間を多くしている。


 この部屋に乳母子を連れてくればいいのにと思うかもしれないが、来られない事情があるのだ。


「ダメです。あなたの子を連れてくることは認められません」

 と母がきっぱりと宣言しているのを聞いたことがある。


 あれは、生まれてすぐの頃、あたしが襲われた直後のことだ。


 襲撃があったとき、乳母子がいれば、巻き込まれる可能性が高い。

 赤子の顔など、他人である襲撃者が見分けるのは難しいからだ。


 だから、母が連れてくるなと命じた。

 母があたしのことを大切に思ってくれているのは間違いない。

 それでも、一人の子の母として、乳母子を危険にさらすことをよしとしなかったのだ。


 その判断をした母をあたしは立派だと思う。


 そんなわけで、乳母子に、あたしは会ったことがない。

 だが、いつかは会えるに違いない。


「ゎぅ」


 きっと会えるよとダーウが言ってくれている気がした。


 そんなことより、今は屋敷内の探索が大切だ。


見張ってみはて

「ぁぅ」


 あたしもチラリと母を見る。


「奥方様、公爵閣下と侯爵閣下からの招待状が同日に」

「まあ、困ったわね。どちらが先に送ってくださったの?」


 そんなことを侍女と話ながら、仕事をしている。


今がチャンスだいま!

「……ぁぅ」


 大きなダーウが前足と口を器用に使って、把手をひねる。

 音もなく静かに扉がわずかに開いた。


ありがとうあいあと


 その隙間から、喜び勇んで部屋の外に出る。

 いつも父に抱っこされて見る廊下を、低い視点から見ると新鮮だ。


 部屋の外に出られたらこっちのものである。

「だうだうだうだうだう!」

 自慢の高速ハイハイで、廊下を進む。

 ダーウがぴったりと付いてくる。


屋敷の構造把握はあく!

「わふ」


 構造把握は大切だ。

 万が一のときはハイハイで逃げなければならないのだ。

 どこに何かあるか、知っておかねば逃げ遅れる。


「だうだうだう!」

「ぁぅぁぅぁぅ」


 元気ハイハイしていると、ダーウも楽しくなったのか、あたしの周りをピョンピョン跳ねる。

 調子よく進んでいると、曲がり角で人にぶつかった。


「……だう?」「わふ?」

「あ、ルリア。こんなところまでハイハイできたの?」

まずいまじゅ!

「まずくないよ。見つかって良かったよ」


 兄に見つかってしまった。

 兄の周りには、いつもふわふわした精霊が飛んでいる。


逃げるよ!にじぇ!

 方向転換して逃げようとしたが、所詮はハイハイ。


「ルリア。だ~め。兄から逃げないで」

まだ探索するの!たさくしゅる!

「だめだよ、探索なら、兄と一緒にしようね。あぶないからね」


 兄に抱っこされてしまった。

 ダーウは遊んで貰えると思っているのか、嬉しそうに兄の周りをぐるぐる回っている。


「ダーウ、ルリアの子守お疲れさま」

「わふ!」


 ダーウは誇らしげに尻尾を振っている。


「あのね、ルリア。廊下をハイハイしたらダメ。汚いからね?」

汚いかーきちゃな

「そだね、汚いんだよ」


 あたしの部屋は土足禁止だが、廊下はみんな靴を履いて歩いている。

 汚いと言われれば、確かにそうだ。


「ルリアはすぐ、手をぺろぺろするからね。特にダメだよ」

そんなことしない!しにゃい

「そっかー、しないのかー。でも汚いからねー」


 したことない。いや、あるが、たまにである。


「リディアは大人しかったけど、ルリアは元気だねー」

「むふー」

「こんな所まで来るってことは……探検したいの?」

するしゅる

「うーん、じゃあ、母上に許可をもらってから家を見てまわろうか」

自分でまわりたいのだんだー


 あまり長い言葉はやっぱり話せない。

 でも、八か月でここまで話せるのは凄いと思う。

 姉も昨日、「ルリアは言葉が早いわね」と言っていた。


「自分で見てまわりたいの? それはもう少し大きくなったらね」

「むふー」


 兄は不明瞭なあたしの言葉を理解している気がする。

 不思議なこともあるものだ。


「ルリアがいないことに気づいたら、母上が心配するからね」

それもそうだねしょかー

「うん、そうなんだ。気をつけないとね」

わかったわきゃた


 兄に連れられて、自室に戻ると、

「ルリア! いつの間に!」

 と母が驚愕し、ぎゅっと兄ごと抱きしめられた。


「は、母上……」


 母に抱きしめられて、兄は照れていた。


兄さま、良かったなよき


 兄もしっかりしているし、あたしからみたら凄く大人だが、十歳。

 客観的にみれば、まだまだ子供なのだ。


「どうやって、ルリアは外に出たのかしら。扉を閉めておいたのに」

「ダーウが開けたのでしょう」


 兄が指摘して、兄と母の視線がダーウに向かう。

 あたしも一緒になってダーウを見た。


「…………」


 ダーウは無言で目をそらす。怒られると思っているのだろう。

 数日前、ダーウが捕まえてきた虫をあたしが口に入れようとして、怒られたときも同じようにダーウは目をそらしていた。


 あのときもダーウは悪くなかった。

 あたしがおやつに虫を食べたいに違いないと思っただけなのだ。

 ダーウの親切心である。


だーうは悪くないだう、わるにゃい


 長い文章はまだ発話できないので、ダーウは悪くないと、兄の腕の中で手足を元気に動かしてアピールしておく。

 実際、今回もダーウはあたしの指示に従っただけである。

 そしてあたしが怪我しないように見守ってくれていたのだ。

 何も悪くない。


悪いのはるりあだりゅりあ!

「ルリア、暴れないの。部屋を一人で抜け出したら母上が心配するからね。今度、探検したくなったら、兄にいうんだよ」

兄さまがいるとはにしゃまかぎらないしにゃいー

「……母上、柵を用意した方がいいかもしれません」


 兄が母にそんなことを言ったせいで、母も「やっぱり必要かしら」と言い出した。


柵は必要ないと思うしゃく、にゃい

「でも、隙があればルリアは外に出ちゃうでしょう?」

そんなことないにゃい

「約束できる?」

「…………」

「母上、やはり柵が必要なようで」

約束できる!じぇきる 柵いらないいらにゃい


 兄に、部屋をハイハイで勝手に出ないよう約束させられてしまった。

 約束したからには守らなければならぬ。


「ぶむー」

「ふくれてもだーめ。その代わり兄が沢山ルリアを連れて散歩してあげるからね」

本当だう?

「本当だよ。用事があったりしたらだめだけど」

ありがとうあいあと


 兄に抱っこしてもらって見てまわるのはそれはそれで楽しいかも知れない。


「母上。ルリアは勝手に部屋を出ないと約束してくれました」

大きくなるまでね!だい

「もちろん、ルリアが大きくなったら、一人で家の中を歩いていいよ」

ならいいいい!

「偉いね」


 そういうと、兄は頭を撫でてくれた。


「それでは、母上。ルリアを連れて散歩してきます」

「家の中だけですよ」

「もちろんです。ダーウ行くよ」

「ばう」


 そして、あたしは兄に抱っこされて家の中を散歩したのだった。

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