第16話 大司教の奮闘

 ◇◇◇◇

 ルリアが襲撃を受けた次の日の早朝。

 大司教サウロは、襲撃の事実を知った。

 ヴァロア地区の大司教サウロは、ルリアと名付け、その後守護獣たちに襲われたその人だ。


「猊下、どういたしましょう?」


 全身に包帯を巻いた状態で寝台に横たわっていたサウロに、配下の司祭が仕入れた情報を報告し、お伺いを立てる。

 サウロは配下の者たちにルリア周辺を探るよう命じていたのだ。


「ゆゆしき事態ですね」

「……まさか襲撃が失敗するとは」


 思わず呟いた司祭に、大司教は目を見開く。


「……その言葉、あなたは神を冒涜されるのですか?」

「え? そんなつもりは」

「悔い改めなさい。ルリア様を守る。それが神のご意志ですよ? 教えたはずですよね?」

「で、ですが……」


 司祭は、たしかに聞いていた。

 だが、まさか本気で大司教が言っているとは思わなかったのだ。


 周辺を探るようにと言う指示も、弱みを握るためだと思っていた。

 大きな隙があれば、襲撃し、大けがを負わせて脅してもいい。なんなら暗殺してもいい。

 それが、これまでの大司教の、いや、唯一神の教会における一般的な手口だからだ。


「ですが? なんですか? あなたは神の尊きご意志に意見しようと、そういうおつもりなのですか?」

「め、滅相もありません。考え違いをしておりました」


 平伏しながら司祭は先日のことを思い出す。


 先日、大公爵邸の近くの森で、サウロは瀕死の重症を負った。

 助け出されたサウロは「ルリア様を見張れ」と命じたのだ。

 もちろん口では「ルリア様を守るためだ」とは言っていた。


 だが、そんな発言は、もし明るみになったときのための保険と考えるのが普通である。

 見張っていることがばれたときに、守るためだと言い訳するためのもの。

 危害を加えたことがバレたときに、部下が勝手にやったことと言うためのもの。


 唯一神の教会の高位聖職者は、はっきりとは命じないものだ。

 その言葉の裏の意味をいかに正確に忖度できるか。

 それが出世の早さを決めるのだ。


「まさか、本当にルリア様を守ることが、神のご意志だとは……思わず……」

「では、改めて告げましょう。それが神のご意志なのです。理解しましたね」


 そう言うと、サウロは寝台から立ち上がる。

 気絶しそうなほど痛みがサウロを襲う。


「あ、あぁ……」


 その痛みにサウロは恍惚の表情を浮かべた。


 礼拝や活動に支障を来さないよう、骨折だけは治したが他はそのままだ。

 神の遣いにつけられた尊き傷だと、思っているからである。


 卑小なる自分が道を誤りかけたときに、神が正してくれた。

 痛みと傷は、その尊き証なのだ。


 立ち上がったサウロは、傷だらけの顔を司祭にゆっくりと近づける。

 周囲に血の臭いが漂った。動いたことで傷口が開いているからだ。


「猊下、どうか治療を……」

「構いません。これは私が神に愛された証なのですから」

「ですが、せめて、化膿止めを塗ることと、包帯を変えることをお許しください。このままでは神聖なる礼拝所を血でよごすことになりましょう」

「……そうですね。お願いします」


 サウロは椅子に座る。

 司祭により化膿止めを塗られ、新しい包帯を巻かれながら、サウロは尋ねる。


「それで、誰がルリア様を傷付けるなどという愚かなことを?」

「証拠はありませんが、ほぼ確実に――」


 司祭が告げたのは別のとある大司教の名だ。

 大司教の中でも、精霊信仰の弾圧に熱心な過激派で知られている。


「そうですね。彼でしょう。私兵の動きもそう考えればつじつまが合います」


 ルリアが「厄災の悪女」と同じ髪と目の色だと知れば、その大司教は攫おうとするだろう。

 攫えなければ、殺そうとしても、何の不思議もない。


 その大司教がまさか実行に移すとは予想していなかった。

 だが、もっと深く分析すれば、予測できたはずだ。

 襲撃を事前に防げなかったのは自分の落ち度だとサウロは考えた。


「おお、神よ、お許しください、この愚かな子羊をどうか……」


 包帯を巻かれている途中に、突然ひざをつき祈りはじめたサウロを、司祭は唖然として見つめるしかできなかった。

 祈りを終えた後、何事も無かったように、サウロは椅子に座りなおした。


「まず、ルリア様のことを、その大司教に教えた者をあぶり出さなければなりませんね」


 大公爵家は、ルリアが赤い髪と目であることを隠している。

 ならば、その過激派の大司教が、ルリアの髪と目の色を知ったのは、自分の配下からだろう。

 そうサウロは考えた。


「いや、その前に大公爵家にお見舞いを出すべきですね」

「そのようなことすれば、猊下が犯人だと思われるのでは?」


 自分で襲っておいて、直後に見舞いを出すのは、唯一神の教会が行なう一般的な手口だ。

 襲って恐怖心を植え付けた直後、まだ一般に知られていない時点でお見舞いすることで、犯行を臭わせるのだ。

 お見舞いには「これ以上意に沿わぬことをしたら、この程度ではすまぬぞ?」と更に脅す効果もある。


「構いません。それよりも首謀者として疑わしき大司教の名を大公に教える方が重要です」


 そうすれば、大公爵家の捜査の助けになるだろう。


 サウロも大公に信頼して貰えるとは思っていない。

 教会内の内紛だろうと考えて貰えればそれでいい。


「手紙をしたためます。少し待つように」


 サウロは手紙で、お見舞いの言葉を記し、命名の儀の無礼を詫びる。

 それから自分の調査結果を包み隠さず全て記した。


「これを届けなさい」

「畏まりました」

「さて、後は神敵退治といきますか」


 唯一神の教会の内部には、神の敵が多すぎる。

 誠に嘆かわしいことだ。


「神よ。あなたの忠実なる下僕の働きをごらんください」


 そう呟いて、サウロは怪我人とは思えない動きで、教会の中を平然と歩いて行った。



 ◇◇◇◇


 直後、唯一神の教会では内紛が起こった。


 わずか二年の間に過激派として有名な三人の大司教が平司祭に降格され、辺境の小さな教会に飛ばされた。

 それだけでなく、一人の大司教は不可解な事故で突然亡くなったのだ。


 その死んだ大司教こそ、ルリア襲撃の首謀者とされた人物である。


 教会の内紛に、ルリアの父、ヴァロア大公グラーフが介入していたことは、貴族や高位聖職者ならば皆が知ることだ。

 恐怖のあまり誰も口にできず、公然の秘密とされたのだ。


 ◇◇◇◇

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