第15話 父の決心

 ◇◇◇◇

 精霊王が精霊に言い聞かせていた頃、人間たちは大騒ぎだ。


 ちょうど入浴中だった母が濡れた髪のまま駆けつけて、眠っていたルリアを抱きしめて泣いた。

 別室にいた兄と姉も慌てて駆け付けた。


 医者である治癒術士が呼ばれて、ルリアと乳母と子犬が完全に無傷であることが確認されて皆が安堵した。


 捕えた賊を牢に連れていき尋問が始り、その背後関係や目的の調査が始った。

 侵入経路の確認と警備の穴を塞ぐ処置も進められる。



 その日の夜。襲撃から数時間後。

 父グラーフは執務室で考え込んでいた。


「……ルリアが魔法を使っているとしか考えられぬ」


 レオナルドも乳母も怪我をしたはずだった。だが無傷だ。

 治癒術士は返り血と言っていたが、賊の出血を見れば違うことはあきらかだ。


 グラーフは産後直後、アマーリアに起きた奇跡を思い出した。


「やはり、ルリアは特別な子なのかもしれぬ」


 ルリアの顔が見たくなったグラーフは、ルリアの部屋へと向かう。

 ルリアの部屋の扉は開かれていて、中には妻アマーリアとギルベルトとリディアがいた。


 妻子たちは、眠っているルリアの周りで、目を覚ましたレオナルドと遊んでいたらしい。

 グラーフは部屋に入らず様子をそっと窺った。


「レオナルド、おいでー」

「……」

「レオナルドは呼んでも来ないのよ。レオナルド。おやつよ」

「わふ!」


 ギルベルトの呼びかけに反応しなかったレオナルドは、リディアが干し肉を見せると駆けよった。


「……だーうー」

 そのときルリアが寝言をつぶやいた。


「はっはっ」


 干し肉目掛けて走っていたレオナルドが、くるりと振り返ってルリアの下にかけて行く。

 ルリアの寝台にぴょんと飛び乗って、ふんふんと匂いを嗅ぐ。

 それで気が済んだのか、寝台から降りると、干し肉を持つリディアのもとに走っていく。


「レオナルドは、ルリアの寝言を聞いたらすぐに駆け付けるのね」

 リディアがくすりとと笑うと、

「…………僕、わかったかも」

 ギルベルトがつぶやいた。


「お兄さま。なにがわかったの?」

「うん。見てて。ダーウーおいで」

「わふ?」


 ギルベルトに呼ばれると、干し肉を放置してダーウは近寄っていく。


「やっぱり」

「どういうことかしら?」


 近くで子供たちの様子を見ていたアマーリアが首をかしげる。

 三児の母となったというのに我が妻は、相変わらず美しい。


「母上。レオナルドは、自分の名前をダーウーだと思っているのです」

「そうなの? ダーウー、こっちにいらっしゃい」

「はっはっ」


 ダーウーは嬉しそうにアマーリアのところに走っていった。

 それをみてリディアが呼ぶ。


「ダーウ、おいでー」

「はっはっ」

「ダーウーじゃなくて、ダーウなのかも?」

「そうかな? ダーウ」

「はっはっはっ」


 ダーウと呼ばれるたび、尻尾がちぎれそうなほど振って、駆け寄ってくる。


「レオナルド、こちらにいらっしゃい」

「…………」

「やっぱりそうなのね。あら、あなた。そんなところで何をしていらっしゃるの?」


 気配を消して陰から窺っていたグラーフだったが、アマーリアに気付かれた。

 グラーフは仕方がないので部屋の中に入り、扉をしっかりと閉める。


「いやなに、子供たちが仲良く遊んでいるのを見ていたくてね」

「それなら、中に入って近くでご覧になればよろしいのに」

「そうだな」


 そんなグラーフにギルベルトが嬉しそうに言う。


「父上! レオナルドはどうやら自分のことをダーウだと思っているようです」

「よく気づいたね。ギルベルト」


 グラーフは褒めて息子の頭を撫でた。


「ダーウ」

「わふ?」

「よくルリアを守った。感謝する」

「わう~」

「これからも頼む」

「わふ!」


 ダーウは任せろと、胸を張って、尻尾をぴんと立てた。


 それから、グラーフは妻と子供たちに言う。


「ルリアについて、大切な話がある」

「はい」


 アマーリアと子供たちはきちんとグラーフを見た。


「赤い髪と目を持つルリアは目立ってしまう。特にルリアは厄災の悪女を出した我が一族の娘だからね」

「はい」

「だからルリアに何が起こったのか、ルリアがどんな子か、よそで話してはいけないよ」


 襲撃者の話をすれば、アマーリアの呪いの話をすれば、ルリアの特異性に誰かが気づくかもしれない。

 そして、その特異性はいい意味で受け取られないだろう。


 厄災の悪女の生まれ変わりと、誹謗中傷する者が出てもおかしくない。

 実際、唯一神の教会の大司教は、教会に預けろと言ってきたぐらいなのだ。


「ですが、父上。どんな小さなこともですか?」

「そうだな。言っていいことと、言ってはいけないことの判断はそなたたちには難しかろう」

「そんなことは……」

「ギルベルトとリディアが幼いから、そう言っているのではないぞ。襲撃者の背後がわからぬからな」

「政治的……判断ってやつね。父上」


 なぜか、リディアが目をキラキラと輝かせていた。


「そうだ。私自身、把握できていない。どこに敵がいるのかわからない。ならば情報は少しも漏らさない方がいいだろう?」

「わかりました」

「二人ともいい子だ」


 グラーフはギルベルトとリディアを抱きしめた。


 それから寝台に近づき、ルリアの寝顔を見る。

 とても愛らしい寝顔だった。


 ルリアはきっと神に愛された子なのだ。

 こんなに可愛いのだから、神もきっと愛しているに違いない。


 アマーリアを苦しめた呪いも、ルリアを抱いたら消え去ったぐらいだ。

 きっと、神が可愛いルリアを産んだご褒美に解呪してくれたのだろう。


 我ながら、親バカだとは思うが、そうとしか思えなかった。


「だー……ふぎゅ」


 ルリアは寝言まで可愛い。

 寝たまま手足を動かそうとしている。その仕草も可愛い。


 それを見ながら、グラーフが独り言のように呟く。

「まるで……」

「まるでルリアは天使みたい?」


 アマーリアがほほ笑んだ。


「あ、ああ、そうだな。その通りだ」


 グラーフもルリアを可愛いと思っている。

 天使かも知れないと思う。


 だが、グラーフが言おうとしたのは別のことだ。

 事件の直後、ダーウの毛皮は血塗れだった。だが、無傷だったのだ。

 それは、まるで重傷を治癒魔法で癒やされたかのようだった。


 そんな強力な治癒魔法を使える者などいない。

 この国一番の治癒魔術師と名高い医者にも無理だ。

 重傷ならば、数十分、数時間、いやときには数日かけてゆっくりと治療を施すのが一般的だ。


 それを、あの一瞬で。


「ルリアは神に選ばれし、いや、精霊に愛されし娘なのかもしれないな」

「そうね」


 グラーフは愛する妻を抱きしめた。


 愛する娘の類い希なる能力は隠さねばなるまい。

 そう心に決めた。

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