第6話 精霊王と子犬

 ◇◇◇◇

「……ふぎゃ……すぴー」


 母に抱かれたままルイサが寝ると、精霊王がやってくる。


『あ、おうさま』

『うむうむ。よく寝ておられるのだ。すくすく育ってくだされ』


 猫の姿で現われた精霊王はルイサの額にキスをする。


『おうさま。フェンリルがきたよ』

『ああ、気付いておるのだ』

『これで、あんしんだね!』

『うむ。守護獣のなかでも強力なフェンリルが来てくれたのだ。心強い』


 精霊は物質の体を持たないために、基本的に人や動物、魔物から危害を加えられることはない。

 だが、精霊は無敵ではない。天敵がいる。

 その天敵は、呪者じゅしゃと呼ばれる者たちだ。


 ルイサは知らなかったが、唯一神の協会が精霊を拘束した技術は、呪者の呪術を利用したものだった。

 そして、ルイサの母を蝕んでいたのも、呪者の呪いだ。


『我らは人を介さねば、基本的に現世に影響を与えることはできぬのだし……』


 だから精霊は強力な魔力を持つのに、呪者から身を守ることが難しい。

 そんな精霊を守るのが守護獣と呼ばれる強力な生物である。


『守護獣は、呪者の天敵。フェンリルがいてくれれば、呪者はルイサ様に近づくまい』

『あんしんだね!』

『ああ』


 そういいながら、精霊王は少し不安も感じていた。

 あの守護獣はまだ赤ちゃんなのだ。


 強力無比なフェンリルとはいえ、赤ちゃんは弱い。

 それでも、呪者は恐れて近づかないだろうが、人や魔物には負ける。


 それに悪意を持った人間かどうか、行動するまで精霊にはわからない。


 それは、噛み癖のある犬かどうか、実際に噛むまで、人間にはわからないのと同じだ

 噛み癖のある犬も、人にとって見た目は可愛い犬である。


 精霊にとっても、悪意を持った人間も、見た目は可愛い人間なのだ。


『神よ。ルイサ様をどうかお守りください』


 せめて、フェンリルが成長するまで、お守りください。

 人間の悪意に対して、我らは無力なのだ。


 だから、精霊王は、神に祈った。

 神は現世に一切介入しないことはわかっているが、精霊王は祈るしかなかった。


 精霊王が祈っていると、精霊が首をかしげながら尋ねる。


『どうして、おうさまは、ルイサ様がねないとでてこないの?』

『それは、目立つからなのだ』


 精霊たちは、綿毛のようなほわほわした姿だ。

 ルイサは精霊たちを視認しているが、話せない精霊だと思っているので気にしてはいない。


『でも、おうさまも、ぼくたちみたいな、すがたになれるでしょう?』

『なれるが、輝きがすごい。目立つのだ』


 一瞬、精霊王はふわふわの姿になる。

 他の精霊より大きいし、力強く輝いている。


『な?』

 すぐに猫の姿に戻った精霊王が言う。


『そっかー』


 精霊王がほわほわな姿で現われても、ルイサは気付くだろう。

 そして、「だだーう?(あなたはだれ?)」と尋ねてくるはずだ。


『わしを見れば当然ルイサさまは話そうとされるに違いないのだ』

『そだねー』


 だが、精霊と話すことは、赤子の成長に良くない影響を及ぼす。

 だから、精霊王はルイサと話せない。


『ルイサさまに話しかけられて、無視するなど胸が苦しくなるのだ』

『そっかー』『わかるー』『つらくなるー』


 精霊たちも精霊王の気持ちがわかるようだった。



 その後、精霊王はフェンリルの様子を見に隣の部屋に移動した。


「きゅーんきゅーん」


 子犬は甘えた声を出しながら、侍女にバシャバシャ洗われていた。

 精霊王が近づくと、子犬は尻尾を振った。


「こら、大人しくしなさい!」

「わふ」

「まあ、ほんとうに汚いわね。お湯がこんなに汚れてしまって」

「きゅーん」


 精霊王は子犬が虐められているのかと心配したが、子犬は気持ちよさそうだ。

 侍女も子犬を手慣れた様子で、丁寧に洗っている。


 先ほどは、役目として子犬に冷たく当たっていただけで、侍女も犬が好きらしい。


「こんな汚い体でお嬢様に近づいて、もーほんとにー。顔を洗うから目を閉じて」

「きゅーん」

「可愛く甘えても駄目です! その汚れた顔でお嬢様の匂いとか嗅ぎにいったんじゃないでしょうね」

「わう?」


 子犬は相当汚れていたようで、お湯を三回換えて洗われていた。

 洗い終えると、侍女は子犬をタオルでくるんで抱っこする。


「奥方様は飼うとおっしゃったけど……どうするのかしら? トイレとか寝床とか」

「はっはっ」


 子犬は侍女の顔を舐める。


「甘えるんじゃないの。お前のご主人様は奥方様なのよ」

「きゅーん」

「お腹空いているのかしら……子犬は……牛のミルクでいいのかしら? 待っていなさい」


 侍女はミルクを手に入れるために、そしてトイレと寝床を手配するために部屋の外へと出て行った。


 入れ替わるように精霊王は子犬の元に駆け寄る。


『お主、可愛がられておるな?』

「ぁぅ?」

『ルイサさまを頼むのだ』

「わふ!」


 子犬は「任せろ」と力強く尻尾を振った。

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