第7話 ルイサと父
◇◇◇◇
あたしはルイサで……はない。名前はまだない。
日がな一日「だうだう」いいながら、寝たり母乳を飲んだり、手足をもぞもぞさせたりしている。
「わふ!」
「だーう(きょうもげんきだな?)」
「はっはっ」
いつも目を覚ますと、子犬がいる。
あたしが手をもぞもぞ動かすと、子犬はその手の上に前足をぽんと乗せてくれるのだ。
とても可愛い。
「きゃっきゃ」
「わふ」
あたしが喜ぶと、子犬も嬉しそうに尻尾を振ってくれる。
子犬の前足をにぎにぎしながら、あたしは考える。
「だーう(いまはいつで、ここはどこなのだろう、そしてわたしはなにものなのだろうか)」
「はっはっはっ」
子犬に手をベロベロなめられながら、考える。
生まれ落ちてしばらく経ち、転生したらしいという事実をやっと受けとめることができた。
理由はわからないが転生したのは間違いない。
ならば新たな人生をどうするか、それが問題である。
気になるのは父の髪色と目の色が前世の王族と同じことだ。
しかも、父の立ち居振る舞いや、家の様子から判断するに、どうやら貴族っぽい。
「だう……(おなじ国であるかのうせいも……)」
王族だった前世の記憶から判断するに、父母の衣装も部屋の装飾もさほど良くない。
貴族でも下級貴族の可能性が高いだろう。
「んあー(……)」
前世を思い出す。辛いことばかりだった。
精霊王ロアや精霊たちが優しくしてくれたから、何とか耐えられた。
もうあのような目には合いたくない。
前世の父は名君と慕われていたのに、殺された。
王位の争いに巻き込まれたら碌なことにならないのだ。
下級であっても貴族であれば、いつ政争に巻き込まれるかわからない。
王位の争いでなくとも、爵位継承の争いなどのお家騒動は充分あり得る。
婚姻すれば婚家とのかかわりで、巻き込まれる可能性が高くなる。
「ぁぅ!」
暗い気分で考えていると、子犬が黒くて可愛い鼻をぺたりとくっつけてくれた。
まるで「大丈夫?」と言ってくれているかのようだ。
「だーう(だいじょうぶだよ)」
子犬の前足をにぎにぎしておく。
「ぬむー(けっこんはなしだね)」
そして、出来れば、山の中で地味に目立たぬよう暮らしたい。
精霊は自然の化身。山の中の方が沢山精霊もいるのだ。
「んめー(ヤギとくらしたい)」
前世では家畜小屋で寝起きしていた。
ご飯をほとんどもらえない私を心配して、ヤギが草を分けてくれたりもした。
もちろん、ヤギの食べる草は消化できないのだけど、気持ちだけでありがたかった。
人からは、お前は家畜だとののしられて、殴られたが、ヤギは優しかったのだ。
ヤギだけではなく、もふもふたちと山の中でのんびり暮らしたい。
「ふぬー(もくひょうがきまった)」
目標が決まったら、やることが決まる。少し気が楽になった。
ふと周囲を見回すと、私を気遣うように精霊がぽあぽあ浮いていた。
声をかけたこともあるが、返事はなかった。
今世のあたしには精霊を見る能力はあるが、精霊の声を聞く能力はないのかもしれない。
「んだー(こっちおいで)」
だが、声をかけると、精霊は寄ってきてくれる。
精霊たちは、いつもふわふわ、ぽわぽわして、とても可愛い。
声がきけたらいいのだけど。
話せないほど幼い精霊なのかとも思ったけど、充分輝いているから多分話せるはずだ。
「ぁぅぁぅ」
子犬は集まってきた精霊にじゃれついている。
とても可愛い。
「ぬぬ(ありがとね)」
前世では精霊たちに救われた。
いじめられていた日々。精霊たちがいなければ死んでいた。
辛かった日々も精霊たちが慰めてくれたから耐えられたのだ。
「んうー(いいこだね)」
満足に動かせない手で、精霊に触れる。
精霊は物質ではないので触れることは当然できない。
だが、手を魔力で覆えば、撫でたりすることができるのだ。
もぞもぞしてたら、乳母が、
「あ、また勝手にお嬢様の寝台に忍び込んで」
子犬の存在に気づいたようだ。
「くーん」
「ダメです。あとで奥方様のところに連れて行きますからね!」
「きゅーん」
甘える子犬を叱ると、乳母はあたしを抱きかかえる。
「はいはい。お嬢様お腹が空いたのですね。はいどうぞ」
「……だ~う」
お腹が空いたと言っていたわけではないのだが、乳母が乳房を出してくれたので、咥えてみる。
とても美味しい。
母乳を飲んだら眠くなったので、あたしは眠った。
◇
目が覚めたら、また子犬が居てくれた。
「だー(おはよう)」
「ぁぅ」
子犬に挨拶してから、一刻も早く動けるようになるように手足を精一杯動かす。
世の中には悪い人族が一杯いるのだ。
だから、自力で動けないこの状態は恐ろしい。
現世こそは精霊たちを守ってやりたい。
そんなことを考えながら、手足を動かしていると父が来た。
父は一日に何度もやってきて、毎回あたしを優しく抱きあげるのだ。
「だう!(くんな!)」
「また、犬が入り込んでいるぞ」
「きゅーん」
子犬が甘えた声を出すが、父は無視をする。
父は、前世、あたしをいじめ抜いた王族と同じ髪色と目の色をしているのだ。
警戒せずにはいられない。
そのうえ、可愛い子犬をすぐ追い出そうとするのだ。
「も、申し訳ありません、いつの間にか入り込んでいて」
「それは困ったな。いくら洗っているとは言え、赤子に獣が近づいたら衛生面が心配だ」
「おっしゃるとおりです」
「きゅーん」
乳母が子犬が抱き上げて、寝台の外に出される。
「だう!(子犬はわるくない!)」
抗議のために手足をバタバタさせると、
「可愛いなぁ。おお、そんなに手足を動かして、元気だな!」
「お嬢様は本当に旦那様がお好きなのでしょう」
「だう!(ちがう!)」
余計なことをいう乳母に文句を言うが、
「そうか~」
嬉しそうな父が額にキスしてくる。
「旦那様がいらっしゃると、お嬢様はじっと旦那様の顔を見つめていらっしゃいます」
「そうかそうか」
「だだぅ!(にらんでたの!)」
「よほど旦那様のことがお好きなのでしょう」
「そうかそうか~」
警戒して睨んでいたというのに、全く伝わっていない。
「だう……(ひとぞくはおろか)」
「かわいいな。どんどんアマーリアに似てきている」
とても美人である母に似ているならば、それは嬉しい。
そんなことを考えていると、父にほっぺたをツンツンされた。
「だー(さわんな!)」
「いい子だな。元気に育つんだぞ」
父に抱きあげられ、揺らされているうちに眠ってしまった。
◇◇◇◇
ルイサが眠った頃。
荷馬車に乗って、屋敷にやってきた出入りの商人が、
「え? いったい……なにが?」
屋敷の屋根の上を見て絶句した。
屋根の上には沢山の鳥が止まっていた。
その数、三十羽ほど。この辺りではあまり見ない猛禽類や鳩、燕、雀のような小鳥まで。
「ひひーん」
「落ち着け! どうどう」
馬がいななき、商人はやっとの思いで落ち着かせる。
「どうしたんだ、珍しいな」
「ぶるる」
普段は大人しく従順な馬が落ち着かない様子で耳を絞っている。
そのとき背筋がぞわっとして、商人は周囲を見回す。
「……これは……まるで」
商人は、若い頃に魔物が大量にいる深い森を夜に通ったことがあった。
泣きそうになりながら、大きな商機のために命を懸けたのだ。
その時の雰囲気に、今の状況が似ていると思ったのだ。
周囲から魔物のような強い生き物に見張られているような。
強力すぎる魔物がひしめいているような。
自然と膝が笑いはじめて、商人は周囲を見回した。
当然のように何もいない。
「だが、まるで魔物に睨まれているような確かな気配…………いや、いやいや、ありえぬ」
近くの小さな森にはリスのような小動物しかいない。
野犬や猪すらいない安全な森だ。
それこそ五歳児が一人で入っても無事に帰ってこれるぐらい安全な森なのだ。
「だが……生き物の気配が……多すぎる」
なのに生き物の音がしない。
「ぶるるる」
「……そうだな、今日は早めに帰ろう」
商人は、笑う膝を拳で殴って、気合いを入れる。
そして屋敷に商品を卸したあと、急いで帰っていったのだった。
◇◇◇◇
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