第8話 命名の儀
生まれてから十日ぐらい経ったとき、乳母に抱かれて立派な部屋に連れて行かれた。
そこには、父と知らない若い男がいた。
「だあ!(おまえ!)」
三十前後に見えるその男は唯一神の教会の神官服を着ている。
デザインこそ同じだが、生地の品質は前世の記憶よりだいぶ悪い。
「大司教
「はい」
質の悪い生地の神官服を着ているくせに、大司教らしい。それにまず驚いた。
乳母によって寝台に寝かせられた私に、大司教は笑顔で近づいてくる。
「だああ!(かえれ!)」
恐ろしくて泣きそうになるが、泣いてやらない。
泣いても誰も気にしないだろう。赤子が泣いても当然だと思っているのだ。
それに、唯一神の神官服を着た大司教に泣いて見せるなど、負けた気になる。
「……ご兄姉とは違い、赤い髪で赤い目なのですね」
「ええ、綺麗な色でしょう?」
「……そうですね……いえ」
大司教はなにか含みのある言い方をしている。
「ぶげええ(かえれ!)」
威嚇しても大司教は動じない。
それから、大司教はあたしのおでこに水をかけたり、なにやらした。
たしか洗礼だ。前世の私も受けたと聞いた覚えがある。
ちなみに洗礼に何の効果も意味も無い。
神は存在するが、神が現世に影響を及ぼすことはないからだ。
無意味な儀式を終えると、
「なんて不吉な色だ……、お前は幸せにはなれんぞ?」
まるで呪いのように、あたしの耳元でささやいた。
「だあ! だぁぁぁぁ!(しね! うんこもらせ!)」
大司教は父の方を向いてほほ笑んだ。
「この娘の名はルリアです。ルリアに神の祝福を」
前世と同じならば、親が名前の候補をいくつか教会に渡して、その中から聖職者が決める。
前世の名前ルイサに音が似ている。
「ありがとうございます。神の祝福を」
父が大司教にお礼を述べる。
大司教はあたしに洗礼を施し、名前を付けるために来たようだ。
それにしても、ルイサとルリア。音が似ているが、これは偶然だろうかと考えていると、
「殿下。ルリア様を我が教会に預けませんか?」
「ふぎゃ?」
「突然なにをおっしゃるのですか」
大司教がとんでもないことを言った。
父も驚いている。私も驚いた。
「王族に生まれた赤い髪と赤い目を持つ少女。王国をいや人族を滅ぼしかけた厄災の悪女ルイサと同じ。不吉です」
大司教は笑顔のまま、そう言った。
厄災の魔女? 王国と人族を滅ぼしかけたって、なんのことだろう?
疑問に思うと同時に、大司教が前世と似た名前を選んだのは偶然ではなかったらしいとわかった。
「ルリア様は唯一神の教会に入られて、神に祈って過ごすべきでしょう。そうすれば、厄災は回避されるでしょう」
まるで、このままでは厄災が起こるかのような口ぶりだ。
「ふぎゃああああ!(やだやだやだ!)」
絶対に嫌だ。唯一神の教会になど、近寄りたくない。
それに教会に預けられたら虐められるに違いない。
あいつらは性格が陰険でねじ曲がっているのだ。
少なくとも前世ではそうだった。きっと今世でもそうだろう。
それに唯一神の教会は自然、つまり精霊が嫌いなのだ。
精霊を集めやすいモフモフを嫌うのだ。
唯一神の教会に入れられたら、ヤギとは暮らせない。
「ふぎゃあああ!(いなかで! やぎと! くらすの!」
そう必死に主張する。
だが、父はあっさり教会に私を引き渡してしまうかもしれない。
なにせ、父は前世の王家の奴らと同じ髪と目の色をしているのだ。
「お断りします」
「ふぎゃ?(ちち?)」
だが、父が冷たい目で大司教を睨むようにして、はっきりと言った。
声が止まるほど驚いた。
「この子は私とアマーリアの大切な愛しい子です」
「……ご家族に不吉な子がいれば、ご兄姉のギルベルト様やリディア様の婚姻や将来にまで、悪影響を及ぼしかねませんよ?」
「そのような迷信に囚われるような者は、ギルベルトの妻にも、リディアの夫にもふさわしくない」
父のこんな怖い表情を見たことが無かった。
いつも、あたしに向ける目が、いかに優しい目だったのか理解した。
「……わかりました。ご忠告は申し上げましたよ」
「ああ、猊下のお気遣いに感謝する」
言葉とは裏腹に、父は全く感謝していない様子だった。
◇◇◇◇
二百年前。この国、オリヴィニス王国は大災害に見舞われた。
疫病、大地震、噴火、津波、干魃、大虫害。
民の三分の一と貴族の五分の一が死に、当時のオリヴィニス聖王家の者たちはクーデターにより処刑された。
聖王家に対するクーデターを指揮したのが、ファルネーゼ家である。
ファルネーゼ家は、聖王家の傍流にあたる地方貴族だった。
ファルネーゼ朝は二百年たった今でも続いている。
ファルネーゼ家の当主にして今上の王はルリアの祖父にしてグラーフの父である。
ちなみにファルネーゼ朝の初代王は、ルイサの再従兄に当たる人物だった。
その初代ファルネーゼ王は唯一神の教会を国教から外すことには成功した。
聖王家と組んで唯一神の教会が行なった暴挙が、精霊の怒りを買ったのだろうと思われたからだ。
だが、続けて禁教にもしようとしたが、できなかった。
民と貴族の間に精霊に対する恐怖が広がっており「精霊を神の名の下に人の支配下に置くべきである」という唯一神の教会の教義は一定の信仰を獲得していたからだ。
潰されなかった唯一神の教会は、その後二百年かけて信者を増やし、力をつけ、政治にも浸食しつつあった。
◇◇◇◇
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