第5話 謎の子犬
目が覚めて、ふと気配を感じて、横を見ると、
「…………」
小さな茶色の犬が、こちらをじっと見つめていた。
長毛種で耳が折れていて、体の割に手足が太い。
体長は赤ちゃんであるあたしより小さいぐらいだ。子犬だろう。
「だう?」
子犬の周りには精霊が集まっている。
もふもふな子犬の周りに、ふわふわな精霊が集まって、わけのわからない生物に見えるほどだ。
精霊はいつも部屋の中に沢山いるのだけれど、他の人がやってきても集まるということはない。
どうやら、子犬は精霊に気に入られているようだ。
前世では意地悪な人間には山ほど会った、いや父母を殺されてからは意地悪な人間にしか会わなかった。
だが、意地悪な動物には会ったことがない。
肉食の熊だろうと獅子だろうと、前世のあたしには優しかった。
だから、子犬を恐ろしいとは全く感じなかった。
「だーう?」
「ふんふん」
特に意味の無い言葉で語りかけると子犬は呼ばれたと思ったのだろう。
嬉しそうに小さい尻尾を揺らして、私の匂いを嗅ぎにくる。
黒くて湿った鼻と、黒い目が可愛らしい。
だが、かなり汚れていて、犬臭かった。
「だう?(おこられるよ?)」
「きゅーん。ふんふんふん」
あたしが声を出すたび、子犬は嬉しそうに尻尾を揺らす。
可愛い。
ヤギも可愛いが犬も可愛い。
きっと、両親が飼っている子犬に違いない。
なぜなら、たとえ使用人が犬を飼っていても、屋敷には連れてこないだろうからだ。
「だぅ~(それにしても)」
この寝台にどうやって入ったのだろう。
子犬が自分で入り込むことは難しい。
誰かが、あたしが寂しくないように入れてくれたのだろうか。
子犬は可愛いので、とてもありがたいのだが、汚すぎる。
兄か姉が父母に怒られないか不安になる。
少し黙って、子犬をみていると、
「はっはっ」
子犬は精霊を捕えようとしているのか、前足を宙に伸ばして空ぶっている。
子犬にも精霊が見えるらしい。
前世の私の犬版のような存在なのかもしれない。
「だーう」
あたしが声を出すと、子犬はどうしたのと言うかのように、顔を近づけてくる。
犬臭いが嫌な臭いではない。獣の臭いは懐かしい。
「ふんふん」
子犬はあたしの匂いを嗅いで尻尾を振る。
「だう」
声を出すと、子犬の尻尾の揺れが激しくなる。
それをみていると、楽しくなってくる。
「きゃっきゃ」
「ふんふんふん」
あたしが笑うと、子犬も嬉しそうだ。
子犬を赤ちゃんのベッドに入れるなど非常識だ。
とはいえ、そんな非常識なことをした誰かに感謝した。
やっぱり、可愛い。
子犬と楽しく過ごしていると、母が侍女と一緒にやってきた。
あたしを産んだ後、体調を崩していたのに毎日欠かさず来てくれている。
しかも、一日に何度も来てくれるのだ。
当初すごく顔色が悪くて、あたしの方が心配したほどだ。
最近は顔色が良くなってきたし、たまに母乳もくれる。
回復しつつあるようで安心だ。
「だーう!」
「ご機嫌ね。……あら?」
母は子犬をみて、首をかしげる。
「え? いつの間に! 犬が?」
部屋の中にいた乳母が慌てている。
「だう?(きづいてなかったの?)」
びっくりである。
「子犬ね」
「お嬢様の身に何かあったらどうするつもりだ!」
侍女の一人が乳母を怒鳴りつける。
「も、申し訳ありません」
侍女は謝る乳母を無視して、首の後ろを掴んで子犬を持ち上げた。
「きゅーん」
子犬は哀れな声を出す。怯えた様子で尻尾を股の間に挟んでいる。
「だう!(いじめないで)」
言ってみたが、通じるわけもない。
「随分と汚いですね。どこから紛れ込んだのでしょう?」
「ちゃんとお尻を支えてあげなさい。子犬が可哀想だわ」
「は、はい」
母にたしなめられて、侍女は子犬を抱き直す。
その子犬を母はじっと見つめる。
「うーん。知らない子犬ね。誰かが飼っている子犬かしら? それとも外から?」
「さすがに野良犬がお嬢様の部屋にまぎれこむなど、考えにくいです」
「そうよね。うーん」
「子犬を連れ込んだのが誰か調べます」
「そうね、それは大事ね」
あたしは母に抱きあげられた。
母は、すごく綺麗だ。父がべたぼれする理由もわかるというもの。
「あと寝具をかえてあげて」
「畏まりました。この犬、汚れていますからね。衛生的に問題です」
「きゅーん」
子犬は不安げに鳴いた。
このままだと、子犬は捨てられてしまうだろう。
「だう!(すてないであげて)」
母にあたしが子犬を気に入っていると伝えるために、子犬に向かって手を伸ばす。
そんなことをしても、伝わるわけがないのに。
「この犬、どういたしましょう?」
「そうね。洗ってあげて」
「え? 洗うのですか?」
「ええ。この子が気に入っているみたいだもの。それに、とっても可愛いわ」
「だう? (はは?)」
まさか母に伝わるとは思わなかった。
「きゃっきゃ!」
嬉しくなって笑うと、母も微笑んでくれた。
「くぅーん」
途端に子犬は尻尾を揺らす。
まるで言葉がわかっているみたいだ。
「この子は私が飼うわ」
「……かしこまりました」
侍女は納得していなそうだが、反論はしなかった。
子犬を抱っこして退室する侍女に、
「大切に扱ってあげてね。私のかわいい犬なのだから」
母は念を押してくれた。
母がここまで言ってくれたら、きっと子犬は大丈夫だ。
近いうちに遊びに来てくれるに違いない。
そういえば、誰が子犬をベッドの中に入れたのだろう。
子犬の大きさから考えて、自力で上がれる高さではないはずなのに……。
そんなことを考えながら、母の乳を飲み、ゲップをして眠ったのだった。
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