怯え。

「ぁあ、お似合いですね本当に、どうしてルツを娶らなかったんですか?」


 また、ルツとアシャ様が長年連れ添った夫婦の様に、息が合った掛け合いをローシュに見せてしまった。

 私に罰は無かったけれど、この状況こそが私への罰だと思う。


『ぁ、いえ、能力だけが欲しかっただけで。好意は無かったのよ、本当』


「そう誤解しているつもりは無いのですが」

『あ、違うの、念の為にね。それにほら、ソチラ側の土地でしか使えないそうだから』


「ぁあ、砂漠の砂にも恩恵が有るので、砂漠地帯を失くすと他の緑地が滅びる可能性が有ると聞いてます。しかもこの地の独特の植物も脅かされる事になるので、多分、その事かと」

『あぁ、そう、そうなのね』


「規模にもよりますが、寧ろ完全に人手でやる方が。そう、運が良ければ毎年ウェザーメイカーは生まれるんでしょうから、ルツを引き抜いてしまえば?」

『そこまでは、ほら、彼にも愛国心が有るでしょうから』


「当時はどうだったかのかは知りませんが、ならアシャが行けば、そう口説き落とせば彼も絆されたのでは?」

『いえ、私には夫が居るから』


「となると、卒業されて直ぐに?」

『そうなの、それでもギリギリだったのよ、余所では行き遅れと言われる年頃だったから』

『愛を持って慎み深く待っていて下さった、と有名ですからね』


『そうなの、身を慎み待っていてくれた、だから新大陸キャラバンにも選ばれたの』


「そうでしたか、本当に羨ましいですね、私は1度目は失敗してしまいましたから」


『本当に、ごめんなさい』

「お気になさらず、もう相手はこの世には居ませんから」

『アシャ様は旦那様を大変に愛してらっしゃいますから、慮る故に、お辛いだろうと』


「なら例の外交手段、あの様な会話を幾ら旦那様が理解有る方でも。いえ、それだけ聡明な旦那様だと言う事ですわね、失礼しました」

『いえ、そうね、ごめんなさい。ありがとう』


 全く同じ立場では無く、真の意味で逆の立場になったとすれば、耐えられないと彼女は涙した。


 体験して初めて分かる事は数知れず。

 夫の有能さに救われていた事、そうして自分の愚かさをも理解した、けれども罰は終わらぬまま。


『では、アシャ様はこの後も他の方と会食が有るので』


『ぁあ、失礼するわね、ゆっくりなさって』


 キャラバンの役割は調停、融和、円滑。

 貴族の下地であるとも言われている、王侯貴族にも求められる役割、だと言うのに。


「ウムト、私、また何か」

『いえ、未熟さを恥じてらっしゃるだけかと』


「そうなのルツ?」

《そう親しくも無いので、私には分かりませんが、ウムトが言うならそうなのかと》


「でも誤解が有っても困るわ、慰めろとまでは言わないから、どうにか」

『それは私に任せて、大丈夫、少し今後の事で繊細になっているだけかも知れませんし』


「でもよ、折角のお知り合いなんだもの。暫くルツはココに残るんですから、協力すべきよね」


《はい、分かりました》


 私は、全く、こんな事は望んではいなかった。

 勿論、ルツは身内なのだから大事に思っている、そこでローシュの恩恵を私も得たかっただけで。


 愛を知らないルツからローシュを奪う気は、本当に、全く無かったのに。


『すまない』

《アシャも君も様子が変ですが、どうしてそう、直ぐに謝るのでしょうか》


『私もまた、己の未熟さを恥じての事だよ』




 分かっている、準備が整うまでには数日ある、その合間に夫とローシュを引き合わせ無いワケにはいかない。

 そしてルツの試練の邪魔をすれば、私にはもっと恐ろしい神罰が下る筈。


 分かっている、当の本人達よりも分かっている筈、なのに。


「流石、アシャが聡明だと豪語する旦那様、知識を知恵として生かしてらっしゃる」

『いや、君こそ。確かに土は海を肥やすとも言われている、そして砂漠の砂が風に乗り、他の地を潤すかも知れないとは。確かに全ては知っている、けれども繋がっていないと理屈とは思えない、君も十二分に聡明な人だよローシュ』


「キャラバン同様、そうした事を聞ける機会に、偶々恵まれただけですわ」

『運に恵まれる事もまた才能でもある。ウムトの知り合いの国の方だとは聞いているけれど、どうだろう、まだ婚姻をしていないなら』

『アナタ、もうその位で、思う方が居るかも知れませんし』


「いえ、国の為になるならどんな方とも婚姻を結ぶつもりですから、ご心配無く」

『素晴らしい、そこまで国を思われているとは』

『でも、愛が有る結婚も素敵なものよ』


「ですが愚か者と婚姻を果たせば、壮絶なる苦労をする事も知っていますので」

『ならルツはどう?』

『あぁ、そうそう、どうなんだい君達は』

《口説いてはいたんですが》


「礼儀としては受けましたわ、ウムトからも。ですが愛をと言うなら全く利害の絡まない妾か何かで十分かと、仮に私達の利害関係が崩れてしまえば、国に影響を及ぼすかも知れませんから」

『成程、そう慮れるとは何処までも聡明な方だ、ウムトが口説く気持ちも良く分か』

『アナタ』


 そんな気が無いとは知っていても、今だからこそ、思い人が異性を請う言葉を聞くのは辛い。


『君の右腕にしたらどうだい、キャラバンをより安定させられるかも知れないし、女性の船乗りともなれば』

『ローシュも愛国者ですから、ね』


 愛する人から異性を請う言葉を聞くのは、本当に辛い、しかも未婚なら尚の事。

 前は気にしなかった、夫に理解が有るからと、そんな気は無いから大丈夫だろうと。


『珍しいねアシャ、いつもなら有能な者だと分かり次第、何としてでも得ようとするだろうに』

『ルツにも悪いですし、ね』

「いえ、寧ろルツを買って下さっていますし、私よりルツを推すべきですわ旦那様」


『君は味方を売ってしまうのかい?』

「いえ、共有ですわ、彼は有能ですから簡単にこなせるかと」

『いえ、良いのよローシュ、本当に、ごめんなさい』

《先日から本当に、どうなさったんですか》

『どうやら今後が不安な様で、タウジーフ様、アシャ様をお願い出来ますか』


『ぁあ、分かったよウムト。すまないねローシュ、ルツ』

「いえ」

『ごめんなさい、失礼させて貰うわね』

《いえ》


 ローシュは私の様に邪魔をしなかった、しっかりと最後まで聞き、我慢した。

 そうして誤解しない様にと、ルツや私とも話し合おうとした、なのに私は。


『どうしたんだい愛しいアシャ』

『ごめんなさい』


『本来は同じ神を崇める者だ、とされる集団と争うのが嫌なんだね。優しいアシャ、愛しいアシャ、大丈夫だよ』


 違う、私に真の優しさが有れば、思い遣りがもっと有れば。

 ルツもローシュもこうはならなかった。


 ウムトに言われた通り。

 話の途中で私が出しゃばらなければ、長年連れ添った夫婦の様だとも思われなければ、話し合いで済んだかも知れない。


 自分の名誉を優先させ、相手を慮らなかった。

 なのに私は愛する人に慰められて、けれどローシュもルツも。


 同じ傷、夫と別れたくなる程の傷とは、こう言う事なのね。


 私はローシュに、こんな決断をさせてしまった。

 しかも離縁の経験が有る方に、夫に苦労された方に、こんな思いをさせてしまった。


『ごめんなさい、もっと有能になるわ、だから許して』


 別れたくない。

 けれども本当に悪いと思うなら、離れるしかない、でも。




『本当に同じ神を崇めている者かも知れない、だから争う事になるのが辛い、だって』

「分かるけれど、分からないわね」

『まぁ、泣き付ける有能な夫が居るし、間違っても取られたくは無かったのかも知れないね』


 ウムトは凄く必死、仲を取り持とうとしてる、ルツとローシュとアシャと。

 大変そう。


「けど流石に侍従のアーリスの事は言えないし、やっぱり夫が」

『いやいやいや、今まで有ったのかい?こうした事は』

《いえ》

『うん、無いけど、僕を受け入れられる相手なら別に良いんじゃない?どうせ紙と証と儀式だけでしょ?』


『いや、出来るなら結婚には愛が』

「アナタの立場ならね、私達は重役だし、そろそろルツも落ち着いたら?」

《良く言われるんですが、一応、王からも愛する者と結婚しろとの命を受けてるので》


「それでもよ、今後の取り引き材料にされても面倒な面も有るし。あ、ソフィアはどう?年は近いんじゃない?」

《アナタよりは近いかも知れませんが》

『落ち着いてから改めて考えても良いんじゃないかな?』

『でも有能で泣き付ける相手は多い方が良いんじゃない?』


『まぁ、確かにそうだけれども』

「ウムトでも良いけれども、他の奥方との事が面倒そうなのよね」


『いや、うん、私の事は後回しにしてくれて構わないよ』

『ウムトもローシュに飽きちゃったの?』


 ローシュの中ではルツにずっと口説かれてたけど、アシャとのやり取りは残ってて、誰にでも口説くヤツだって事になってる。

 殆どの記憶は残ってる、けどルツは少し違う。


《私は別に、飽きて口説くのを止めたワケでは》

「はいはい、信頼してくれての事よね、ありがとう」

『ローシュ、君も新天地に行く緊張が影響しているのかな、部屋に送るよ』


「いえ、アーリスが居るので大丈夫、では失礼しますね」


 何故なのかウムトはローシュを御使いだとは思って無い、まだデュオニソス様の巫女だって思ってる。

 どう見ても、なのにね。


『気晴らしにいっぱいしようか』

「今朝もしたでしょ、それに食後は少し静かにしないと、本を読んでアーリス」


『うん』


 コレは本当だったらルツの役目だった。

 けど苦じゃない、お世話は全部僕が出来るし、手加減しなくて済むし。


 ルツはちょっと可哀想かなって思うけど、手放そうとしてたんだし、因果応報で自業自得。

 少しでも傷付けたらダメな大事な宝物なのに、ルツが悪いんだし、仕方無い。




《ウムト、君は飽きて口説くのを止めたんですか?》

『いや、ルツが先だと思って譲ってるだけだよ』


《強者の余裕ですか》


『いや、確かに愛を知らないで可哀想だと言った事は有る。けれど早く愛を得て欲しいと思っての事で』

《愛とは、恋とは何なのでしょうね》


 キャラバンには慈しんで育てては貰った、親として、家族として。

 けれど愚かにも恋に溺れ利用される者も見てきたし、愛に縛られ身を滅ぼした者も、そうした話を見聞きして来た。


 なのに、どうすればそんな厄介なモノを得ねばならないのだろう、と。


『恋い焦がれると、他が見えなくなるが』

《危険ですね》


『だが再び出会えた時、得も言われぬ甘美な時間が訪れ』

《ずっと一緒に居過ぎて離縁した者も居ると聞きますが》


『アシャ様の所は』

《7年以上待っていた意地、もうその為だけに守り抜いていたとしてもおかしくはないのに、情愛ですか。利害は絡みませんか?》


『確かに絡むかも知れないが、全く絡まないも無理だろう。それに2人は対等なら、夫婦になっても良いんじゃないかな?』


《いえ、寧ろ力関係を考えると、やはり私とローシュが夫婦になるのはリスクが》

『いや、ルツもローシュも頭が良いからこそ、その2人から産まれる子に期待が出来るとは思わないかい』


 そう、そんな事を考えた事も有った気がする。

 ローシュとの子を、名前を。


 痛い。

 と言うか胸の辺りがヒリヒリとする。


 前にローシュが言っていた、胃の調子が悪い兆候だろうか。


《かも知れませんね。少し休ませて貰います、少しこの変がおかしいので》

『それは、心の臓かも知れないじゃないか、医者に見せよう』


《いえ、胃袋かも知れないので、少し休めば》

『いや油断は、いつからなんだい?頻度は?』


《少し前から。今までに無い、ヤケドをした様な、ヒリヒリとした感覚が滲む様に時折現れるんです》


『それはどんな時なんだい?』


《ローシュの事で、ですけど毎回では無く》

『なら今さっきは、何を?』


《ローシュとの子を、名を、考えた事が有った気がするんですが。ウムト、どうして泣いているんですか?》


『ルツ、それは切ないと言う気持ちなんだよ、私にも痛い程に分かる気持ちだ。ルツ、それは病気では無く、寧ろ正常な事なんだよ』


《ならどうして君が》

『神や精霊のお陰なのか、君の切なさが私に伝わって来たらしい』


《恋や愛と同じ様に、厄介な気持ちですね》

『いや、寧ろ有意義で素晴らしい気持ちなんだ、それこそ黄金と同じく、危ないけれども同時に価値も有るモノなんだよ』


《キャラバンでも取り扱いが出来無いのも同じ、なら、やはり厄介では》

『黄金と違って我々に所有が許される極楽浄土への道、天国に通じる道なんだよ』


《同時に地獄へも案内される危ない道ですが》

『相手による、人に贈るには禁忌とされる黄金も神に捧げるのは許される。愛や恋も相手によっては天国以上の場所へと到れるんだよ』


《性行為の事なら》

『気持ち、心と呼ばれるモノが天国へ至るんだよ』


《なら何故、君もアシャもそう苦しい顔をなさるんですかね。まるでニガヨモギでも食べさせられている様な顔で、君達は愛や恋を語る、どう考えても扱い難く利が薄そうですが。そこも黄金と確かに同じく》

『違うんだよルツ、確かに扱いは難しい、けれども利は多い。だから子孫は繁栄し、神々の庇護を得られている、神々は私達の愛を良きモノとして受け取って下さっている。そうしたモノが悪いモノなワケが無いだろう、狩猟ナイフと同じだよ、扱いを間違わねば人々も神々も喜ぶ事なんだよ』


 ローシュにも、似た様な事を言った気がする。

 記憶力は良い筈なのに、どうしてなのか朧げで、曖昧で。


 ウムトの言う切なさ、のせいなのか、また胸の辺りがヒリヒリとして。

 涙が、目が痛いワケでも無いのに。


 思い出せない悔しさからの涙だだろうか、分からない事への苛立ちなのか。

 胸が苦しいのだし、そうなのかも知れない。


《私は、どうして愛が分からないんでしょうね》

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