貴族、とは。

《愛してるよゾフィー》

『私もよ、次期当主様』


 僕には家族が決めた婚約者が居る。

 その相手と一生添い遂げなくてはいけない、その相手と、だけ。


 家の為、家族の為。

 だからコレは練習、僕の体は純潔のまま。


《ただいま戻りました》


「お帰りなさい、ロバート」


 彼女は緋色ルアンド

 けれど名とは反対で煌びやかさは無い、黒い髪に黒い瞳、そして黒い色味のドレスばかり。

 僕とほぼ同じ背、そして婚約者と同じく僕に媚びない、可愛らしさが圧倒的に足りない。


 けれど色気は有る。

 体付きは良い、見る目の無い夫に捨てられたらしいが、多くの男を侍らせている。


 金でも無く、器量でも無い、何かを持っている。

 それは多分、体を使う事だろう。


《今日は来てくれますか》

「ぁあ、忙しくて、すみません。後でお伺いさせて頂きますわ」


 そう頭も良くない僕は、婚約者に捨てられない様にするしか無い。

 技術を磨いて婚約者を悦ばせ、喜ばせる、その為だけの彼女達は練習台。




『あの、ローシュ』

「本当にごめんなさいネオス」


 先日の話し合いの直後から、私はローシュのもう1人の相手として振る舞っている。

 そのもう1人はルツさん、アーリスは侍従として常にローシュの傍に居る、今も見られている。


『いえ』

「本当に、ココで我慢しなくても大丈夫、嫌がっても合わせるから」 


 嫌では無いのが本当に困る。

 寧ろ、如何に罪悪感を持つかで苦心している。


 そう歯止めが無いと何処までも何処までも、嗅いで、触れて。

 ローシュが意図する事とは違う意味で、我慢をしている。


『ローシュを嫌がる人なんて居ませんよ』

「はいはい、我慢の限界前に言って、私から離れるから」


『はい』


 良く嗅いでみてやっと分かる、仄かなラベンダーの香り、それとカモミール。


「何か臭い?」

『いえ、本当にほんの少しの香りだけなんですね』


「私も匂いがキツいのはダメだから、けど何の香りも無いのもね、コレが妥協点なの」

『良い香りだと思いますよ』


 前は何の香りかも分からないまま、ただ良い香りに包まれ、声を抑えるので手一杯で。

 けど今なら良く嗅げる、焦らずに味わえる。


「お母さんの香り?」

『いえ、母は特別な時だけ薔薇で、後はローリエでした』


「嗅ぎ慣れない?」

『いえ』


 最近気付いた事は、ローシュは気まずさを感じると口数が増える。

 それから私の体に自分の体を触れさせない様に、私に触れない様に、少しずつ体をズラして距離を取ろうとする。


 そうして逃げ場を無くすと。


「もうちょっと、後ろに下がってくれない?」

『すみません、慣れて無いもので』


 私の為に逃げる仕草が、凄く堪らない。

 勝手に奔放だと勘違いされてしまうローシュだけれど、何処ででも誰に対しても、常に一定の距離を取ってきた。


「本当に、もう」

『ダメですよ、観察するにはコレが1番だとルツさんも言ってたんですから』


「例えルツでも私でも、間違ってたら苦言を呈すべきなんです」

『間違ってはいないと思うので何も言わないだけですよ』


 こうしていて、もう1つ気付いた事が有る。

 手に触れると一瞬だけ赤くなる、けれど直ぐに大きく息を吸い込み、あっと言う間に冷静になってしまう。


 私に嫌悪を抱いてはいないし、私の為に、敢えて一線を引いてくれている様にも思える。

 例えそれが勘違いだとしても、紛い物の気持ちでも、凄く満たされてしまう。


 なのに、直ぐにも減り始め。

 また、近付きたくなる。


「ネオス、くっ付き過ぎなのよ、それとも意地悪してるつもり?」

『そんな気は無かったんですが、嫌ですか?』


「厭々されるのはイヤ」

『厭々じゃないですよ』


 寧ろご褒美です。




《微笑ましいですね》

《凄い余裕ですね?》


《まぁ、最低でも50年はローシュの様な者が居ない人生を歩んできましたし。ローシュは優秀ですから、知恵の泉を独占しては争いが起こるだけ、そうした争いを好まない人でもありますから》


 信頼は勿論ですが、すっかり私に把握されてますからね、ローシュは。

 あの好意を必死に誤魔化そう、勘違いだと思い込もうとしているのが、実にいじらしい。


《じゃあ、もし、ローシュ様が争って欲しいって言ったら?》

《それこそご子息の様な方を最低2名用意し、ローシュを景品に争わせるだけですよ》


《なるほどぉ》


《それでも足りなかったら、次は君達を競わせて》

《えー、ネオスさんは大人だから僕は無理ですよぉ》


《冗談ですよ、そんな事をすれば怒られてしまいますし》


《何か、喜んで怒られそう》

《本気で怒られるのは嫌ですよ》


《本気じゃないのは嫌じゃないんだぁ》

《ですね》




 馬鹿は死んでも治らないって、多分、本当だと思う。


「ロバート様」

《ぁあ、ルアンド、さぁ入って》


「ご婚約破棄のご相談ですか?」

《いや、僕は婚約者を愛している、寧ろ彼女を繋ぎ止める方法を教えて欲しいんだ》


「それはもう既に他の方に習ってらっしゃるのでは?」

《ぁあ、けれどアナタの方が上手そうだ》


「なら、先ずは見せて下さい、意外と初歩的な所に問題が有る場合が多いですから。さ、いつも通り、どうぞ」


《流石に彼は下げてくれないかな》

「なら衝立の向こうに参りましょう」


 ネオスなら触っても良いけど、流石に仕事でもこんな馬鹿に触って欲しくない。

 けど、でも、来るって言ったのは僕だし。


《ルアンド》

「ちゃんと見ててあげますから、いつも通りで」


 コイツの匂いは嗅ぎたく無いなぁ。


《どう、かな》

「最後までですよ」


《その、今日はちょっと》

「何回、お出しに?」


《それは、1回だけだけど》

「回数も大切ですよ」


《こう、触って貰えれば》

「触る事を恥ずかしがったり、怖がったりする方もいらっしゃるんですよ。はい、目を瞑って、愛する方を思い浮かべて下さいまし」


《せめて触》

「お身内以外の異性に触れるのは本来はとてもはしたない行為なんですが、まぁ今日はお疲れのようですし、失礼致しますわね」


 意気揚々と衝立の向こうからローシュが出て来て、そのまま報告へ。


『ぁあ、ローシュ嬢、どうですか息子は』


「アレでは、この家は滅びますわね」

《あぁ、やっぱり》


「男なら女の見る目の無さ、女なら男の見る目の無さが、果ては家や国を滅ぼすかと」

『審美眼の有無は重要だからね、そして嫁や婿は家を支える2本目の柱』


「歪みや虫食い等が有れば、容易く家を傾かせましょう」

『貴族の本分は確かに統治、だが同時に子へも目を配らねばならないのだが』

《その、どうにかならないかしら?》


「相手に入れ込んではおりませんが、己が行動が婚約者や家へ損になるとの考えも無いので、無理かと」

『あの子は廃嫡しよう、そしてお前の姪に継がせよう』

《アナタの甥でも良いわよ、あの子は良い子だもの》


「そのお2人に継いで頂いては?」


《ぁあ、けど思ってる方が居たら、そうよね》

『そうだな、改めて尋ねてみよう』


《そうね、後で手紙を書くわ》

『なら、後はロバートの事だな』


《えぇ、そうね》


 それから直ぐ、愚息が呼ばれて。


『呼んだ意味は分かるかい、ロバート』


《いえ?》


 コレで本当にダメだと、やっとキャサリン夫人も悟ったらしい。


『そうか、だからお前は廃嫡にする。今まですまなかった、身の丈に合わぬ重圧に、さぞ辛い思いをしていただろう』

《え、いや、父上》

《ルアンド》

「他の女性に生殖器を触らせる事を、婚約者様はよしとしておりませんので、婚約破棄。であればアナタは廃嫡、こうなるとは分かりませんでしたか?」


《けれど》

「そもそも、幾ら他の方で練習をしても彼女に合わない技なら無意味ですし、寧ろ新鮮味が薄れるだけ損です」


《いや、彼女に怪我を》

「最低限は既に本から学ばれたと聞いていますし、そも相手から要求を引き出す事も重要な技術なんです。交渉、社交術はその為でもあるのですから。だからこそ、ご両親も見守っていた、けれどもアナタは違う意味で技を磨いてしまった。愚か者の口程、軽いのですよ、既に他のご令嬢と親しくなっていた時点で婚約者様には伝わっておりました。その下品なご令嬢のお陰で」


《そんな、彼女は一言も》

「彼女、とはどちらのご令嬢の事か。どちらにせよ、言うワケが無いじゃないですか、自分以外の相手に平気で勃起なさるんですか?なんて。そして特に平民のゾフィー嬢ですが、何の勘違いをなさったのか、アナタの側室になろうとしてたんですから余計な事は言いませんよ」


『お前、庶子で平民のゾフィー嬢と、前にも関わるなと言った筈だろうに』

《いや、今日だけで》

《ロバート、他の方も居ると言うの?!》


《その、だから喜ばせようと》

「キャサリン、下がりましょう、お手紙も書かなくてはいけないのですし。アーリス、付き添ってあげて」


ウィはい


 コレもお仕事お仕事。

 ローシュも馬鹿の相手をしてるんだし、僕も役に立たないとね。




《“はぁ、もうアナタがウチの子にならない?”》

「“もう、キャサリン、ファウストを口説いても無駄ですよ、まだそこまで言葉は分からないんですから”」


 僕の事を話してるのは分かる。

 そしてキャサリン夫人が落ち込んでる事も、夫人が良い人なのも、嫌な事が体に悪いって事も分かってる。


 だから僕は笑う。

 ニコニコすると夫人が喜んで褒めてくれるから、そうするとローシュ様も喜んで、褒めてくれるから。


《えへへへ》


《“可愛いわぁ……暫く、貸してくれない?”》


「ファウスト、暫くココに留まってキャサリンを慰めてあげてくれない?」

《置いて行かないですよね?》


「大丈夫、ファウストもネオスもアンジェリークも置いて行かないわ、私のモノだもの」

《絶対ですからね》


「勿論。“湖に行く間、宜しくお願い致します”」

《“もう、半分は冗談だったのに”》


「“もう半分は本気でらっしゃったでしょう、今回は大きな痛手です、仮初でも埋まると意外にも楽なモノですよ”」


《“本当に、アナタがウチの子だったら良かったのに”》

「“ロバートの人柄自体は悪くは無いのですから、お孫さんを見る事はまだ可能かと、寧ろご成婚前で良かったのですよ”」


《“そうよね、コレで子が出来無いとなれば、本当にどうなっていたか”》


《アーリス、通訳を良いですか》

『結婚前で良かったねって、子供が出来無いってなったら孫に会えないかもだしって』


《ぁあ、仕事でもそこまで上にはいけませんし、種馬以下なら断種して愛人になるしか無いですからね》

『あの、ルツさん』


《少なくとも、ファウストにはココの実情を知って貰うべきでしょう》

『でも、他はココまででは』

『そう?ココまでじゃ無いだけで、結構こんなものじゃない?』

《そうなんですか?》


《ではローシュの髪が毟り取られるのと、見ず知らずの女性の髪が毟り取られる、どちらが嫌ですか?》

《ローシュ様のです》


《そのどうでも良い女性の髪を貰っても、取られてもどうでも良いですよね》

《はい》


《では、ファウストの1番大切なモノは何ですか?》

《ローシュ様ですけど》


《もしローシュを人質に取られ、見知らぬ女性の髪を毟り取ればローシュを解放する、と言われたら》

《毟り取ります》


《さっきは価値が無かった見知らぬ女性の髪に、今価値が生まれた。大切なモノは弱点なんです、それが家族、血縁。お金だけでしか動かない、そもそも大事なモノが何も無い、そんな者にローシュを任せられますか?》


《無理です、ローシュ様を大事に思う人にしか任せたく無いです》

《大事な仕事程、簡単に逃げ出さない、裏切らない者を選ばないといけませんよね》


《そう家族が居ない人は、身軽だから逃げたり寝返っちゃうかも知れないから、だから家族が居る人が重役に。けど僕は裏切ったりしませんからね?》

《君はローシュが大事だと、皆がちゃんと分かってますから、大丈夫ですよ》

『けどローシュが嫌がるかもって考えないと、アレみたいになる』


《うん、はい、捨てられちゃう》

《例えローシュが捨てなくても》

『僕らが害になると思ったら勝手に捨てる』


《ローシュ様、僕はローシュ様を決して害しませからね?》

「はいはい」

《“あら甘えて、可愛いわね、ふふふ”》


 僕の弱点はローシュ様。

 じゃあローシュ様の弱点に、僕も入ってる?




《ローシュ様、僕は弱点になっちゃってますか?》


「ファウスト、弱点になるのは嫌?」

《だって、弱点は邪魔にもなっちゃうから》


 あら賢しい子、かわヨ。


「邪魔じゃない弱点だから大丈夫、ファウストは大事な子よ」

《でも、悪い子だと捨てられちゃう》


「そうね、けど私の悪い子の基準に達するかどうか、大体の事は足したり引いたりされるから大丈夫」

《例えば?》


「コレだけ言い聞かせたのに、大好きな人意外と、正式なお付き合いの前に性行為をしたら。だけ、でダメかも知れないわね」

《かもなんですか?》


「そんなに大事じゃ無かったら」

《どうでも良い、ふぇぇ》


「可愛い鳴き声ねぇ」

《ふぇぇ》


「はいはい、大事にしてくれたら大事にする、蔑ろにしなければ蔑ろにしないわ」

《ぅう、蔑ろにしないですぅ、大事にしますぅ》


「はいはい、ありがとうございます」

《んー》


「今日は一緒に寝る?」

《それは今度にしますぅ、今回僕は何もお手伝い出来なかったし》


「夫人を励ます役割が有るんだもの、先払いでも良いわよ?」

《僕は良い子だから後で貰います、おやすみなさい》


「はい、おやすみ」


『ローシュ、私も今回は結構です』

「えー、寧ろいい加減要求して欲しいのだけれど、ネオスはお城でも貰う気?」


『いえ』


 いえ。

 だけって。


「あ、ロバートとアナタの類似点については、どうなのかしら」

『全く似てません、私は愚かですけど、あそこまで愚かではありません』


「寧ろ賢い方だと思うのだけれど」

『王宮での勉強の差だけかと』


「そう比べ過ぎもダメよ?」

『はい』


「あ、けどそうそう、そう見比べた事が無いからロバートのも見てみたけど、大丈夫、アナタのと大して変わらなかったから心配しないで」

『そ、そんな事の為に見たんですか?』


「ついでよ、ついで」


『分かりました。以降はもう娼婦でも何でも専門の方に聞きます』

「もー、だからお相手の方次第で、それから教えると言ったでしょうに」


『私の為に、ローシュに嫌な思いや変な事をして欲しくないんです』

「後学の為よ、この先色んな種類が見れる機会が有るかどうか分からないのだし」


『そんなに見たいですか?』

「んー、人によるし、気が乗るかどうかね」


『男性器だけですか?』

「ぁあ、明日から女性になるんだものね、大丈夫?」


『はい、何とか』

「別に竜と番ってココに残っても良いのよ?」


『いえ、結構です』


「命令したら?」

『ローシュの為ですか?』


「主にネオスの為」


『そんなに、どうでも良いですか?』


 ココでどうでも良いと言ったら、恩義だとかを考えないでくれるのかしら。


 いや、真面目だからこそ。

 いやでも逆に離れるって事を、ちゃんと考えてくれるかもで。


「ファウストよりは、うん」


『分かりました』


 すまない、ネオス、君の為なのよ。

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