第9話:虎よりヤバイ奴の尾を踏んだ

『な、なによ野蛮なヤツね。そんな貧相さで強気に出たって無駄無駄、つまんないこけおどしをあたしが見抜けないとでも――』

「へぇ……? 貧相ねぇ」


 狐狸がゆっくりと目元にあった眼鏡を外す。

 それだけのはずなのに、不思議と瞳の色合いが徐々に変わっていった。黒から金色(こんじき)へ。新月が満月になるように


 その様子を直視したナルの心臓がドクンと大きく跳ねる。

 狐狸のその目が鋭くて恐ろしく感じる。


 同時に妖しげな妖気が狐狸からあふれ、出現した青白い炎が彼を外から内へと焼き尽くしていった。


「狐狸……せんせ?」


 眼鏡を外した。たったそれだけの変化だった。そのはずなのに。

 ナルの視線は狐狸に釘づけだった。

 

 炎が燃え広がって消失していく先から、狐狸の身体と服装に大きな変化が起きていく。

 地味めの男性服は、神職か陰陽師が着るような装束へ。

 上衣は白く袴は黒色。体躯は一回り大きく、身長も高く。頭には何も被っていないが、その分、長く伸びた銀髪と獣の耳がよく目立つ。


 獣の特徴を持つ人型の妖怪。


 なのに、凛とした空気と涼しげな印象が強く、ナル自身も上手く言葉にできないが、本来あるべき姿に戻ったと直感させる雰囲気がそこにある。 


 もうそこに立っているのは別人だった。

 少なくともナルにはそう見えた。



『えっ……あ……?』

「よう、さっきのもういっぺん言ってみろや。こけおどしが、なんだって?」

『……ひっ』


 ナルの従姉は完全に怯えていた。無理もない話だった。

 姪に意地悪するついでに、気に入らない言動をした教師を黙らせるつもりで捲し立てた。


 その結果、予想もできない化物を引っ張り出してしまったのだ。そう自覚せざるを得ない程、今の狐狸は圧倒的な威圧感を放ち、膨れ上がり充実した妖気で満ちている。。

 山のように大きな巨人を前にしているような感覚が、危険を訴えて鳴り止まない程に。


『きょ……今日のところは勘弁してあげるわ!』


 本能とプライドがせめぎ合った結果、従姉は陳腐な言葉を吐いて逃走した。従姉を形作っていた蝙蝠の群れが解(ほど)けてゆき、高く羽ばたいていく。


「つまらない捨て台詞だ」


 本当につまらなそうに狐狸が吐き捨てる。


「まぁいい。それをもって授業開始の合図としよう」


 狐狸が手をかざす。

 目標は、蝙蝠の群れがいる方向である。


 その右手が狐を象り、中指にぐぐっと力が溜まっていく。

 見かけはデコピン。

 ただ、ナルに見えているイメージは砲弾を発射する大砲だった。




「“向こうの山まで吹き飛べ”」




 不可視の力が中指を弾いた狐狸の言葉よって解き放たれる。

 その進行方向上にあった草や木々が曲がり、何かが通り過ぎたことを証明するような道が生まれた。


 ソレは確実に蝙蝠達――従姉に向かって高速で迫り……。


『え』


 すさまじい突風として、逃げ去ろうとした彼女をきりもみさせながら吹き飛ばした。


『いやあああああああ!!?』


 その光景はナルからもハッキリ見えた。

 成すすべなく従姉が横薙ぎの竜巻でも喰らったかのように吹き飛ぶ様が。

 何十匹といたはずの蝙蝠達が強風で飛ばされたゴミのように隣山の斜面にぶつかり、小さな爆発のような音と共に土埃がもわもわと舞いあがる。


「ふははははは! 見事な飛びっぷりだ! まるで制御不能の凧ではないか!!」

 

 とても嬉しそうに嘲笑する狐狸は、悪戯が大成功した子供のようだ。だが実際は子供どころか大人もビビるような存在なので性質が悪い。

 その事実にビビッているのはナルも同じだった。


「え……あ……お、お姉様が、し、死んじゃった?」

「死ぬか、失礼な。ちゃんと手加減はした」


 アレのどこが?

 そう返す前に、変貌した狐狸がへたっているナルを見下ろす。


 現状を処理しきれず目をぐるぐる回している少女は何と言えばいいのかもわからず、自分でもよくわからない事を口にするしかない。


「え、あの……どちらさまですか? こ、狐狸先生はどこに……?」

「アァ? んだよ、その言い草はぁ。どっからどう見ても、俺が狐狸先生その人だろうが」


「く、口調が全然違います! というか、背も大きくなってるし、髪も長いしッ、瞳の色も金色になって!」

 

 ナルが動揺するのは当然である。

 端的に言えば、見た目ちょっと弱そうだけど優しそうでどこかおっとりした雰囲気の男性が目の前にいたはずなのだ。しかし、今そこに立っているのはガラがめちゃくちゃ悪くて強そうな、外見がやけにカッコイイ、悪い妖怪の親玉みたいな野郎なのだ。


 劇的ビフォアフター。

 文字通りの変身だ。


「はうあーーーー!? なんですかあなた! 狐狸先生をどこにやったんですか!? 先生を返してーーーー!!」

「ハッハッハッハッハ! いい反応だなぁ、それでこそ特別授業の遣り甲斐があるってもんだ」

「いやああああ、悪人面が下卑た笑みで迫ってくるうううう!!?」


「意外と余裕がありそうな口の悪さだな。まあ、ちょーっと“静かにしろ”や」

「んぐっ!」


 ナルは、自身の身体にドクンッと強い圧力がかかった気がした。

 直後に口がひとりでに閉じていき、ロクに声が出せなくなってしまう。


「ンー、ンー」

「別に取って喰ったりするわけじゃねえんだ。わかったら頷け、すぐに元通りにしてやる」


(う、嘘よ! そんな高圧的な態度で信じられるもんですかッ)


「何が言いたいか丸わかりだが……嘘じゃねえ。だが、今度無駄に騒いだら逆さ釣りにするからな? これも嘘じゃねえ」


(説得してるはずなのに、ものすごい脅されてる!?)


 それは理解したが、現状ナルに対抗手段はなく……大人しく従う他なかった。眼鏡をずり落としながら、ナルは諦めた様子でこく、こくと頷く。


「いい子だ。“話していい”ぞ」

「はうぅ……」


「はははっ、その鳴き声可愛いじゃねえか」

「人をペットみたいにぃ! ……あ、声が出る」


「“言霊”ってヤツだ。力を乗せた言葉で色々できる。さっきお前の意地悪な従姉を吹き飛ばしたのもコレだ」

 

「……すごい簡単に言ってますけど、ソレって超難しい術ですよね」

「俺にかかれば楽勝よ」


 いきなり連れ去られるわ術をかけられるわ相手はムカつくぐらいのドヤ顔だわで、ナルの理解が追いつかない。

 その間にも狐狸はどんどん話を進めてしまう。


「さあ、解説もしたところで授業の続きだ。早速行くぞ」

「……ど、どこへですか?」

「そりゃあもちろん――」


 狐狸は軽々とナルを持ち上げると、自分の身体にナルを押しつけるようにしてしっかり片手でホールドした。


「イジワル従姉さんの鼻っ柱を更にぶち折りにだ」

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