第8話:狐狸先生、むかつく

『…………は?』


 ナルの従姉が何の含みもない、純粋な驚きを口にする。

 奇しくもその反応は、予想外の出来事を目の当たりにしたナルとよく似ていた。当の本人は顔を上げたままで狐狸の方を見つめており、声も出せていないが、何か言えたとしたら同じものだっただろう。


『え、いやちょ、待ちなさいよ。あんた今何て言ったの?』


「ほらほらナルちゃん。そんな風に膝をついてしまったら服が汚れてしまいますよ。さあ立って立って」


『ちょっと、訊いてんの!?』


 従姉が声を荒げても狐狸はまったくそちらを見ず、両手を使ってナルを優しく立ち上がらせていた。ポンポンと土や草がついたところを払い、「よしっ」と満足げに微笑む。


「あまりにも綺麗な景色を見ると腰を抜かすこともありますよね。ナルちゃんはよほど感受性が豊かなようだ。その感性をうらやましいですよ、コレが若さってヤツですかね?」


 冗談めいた軽い口調で話す狐狸に対して、ナルの表情は驚愕を通り越してポカーンとした間の抜けたものに変わっていた。

 

 嫌がられると思ったのだ。

 嫌われると考えてしまったのだ。

 半妖なんて人間・妖怪どちらからも嫌われ者な存在なんて。


 その秘密を隠して騙そうとしてた者と吹聴されて、ひどい罵詈雑言を受けると諦めていたのだ。


(……なのに、この先生は)


 否定するどころか同調した。

 人間の住処がよく見えるその景色を美しいと、共感を示してくれたのである。


 なんて常識外。

 先程からナルの従姉がずっと動揺しているのも当然だった。


「……あ、あの先生。わたしは、先生に隠し事を」

「誰にだって隠し事くらいあるでしょう」


「で、でも、わたしは……半妖だから……」

「それがなんです? たまたま人間と妖怪の間に生まれて、たまたま両者の特性を引き継いだだけです」


「は、半妖は……どっちつかずの……嫌われ者、だって。……だから、家族も……遠ざかって……意地悪するように」

「それは半妖に理由を押しつけたその人の理屈です。あなたが従う必要はない」


「…………」

「ナルちゃん。半妖はね、忌み嫌われるべき者ではない。むしろ人間と妖怪の共存を証明できる愛の象徴です。あなたの両親が心を通わせ、愛を育んだからこそ、あなたは今ここにいるのですよ」


「ッッ」


 ナルはもう涙が止まらなかった。

 そんなにも自分を肯定してくれる存在からかけられた言葉の数々は、たやすく心の扉を開けていく。

 

 扉の向こうに押し込めるしかなかった辛い悲しみを吐きださせ、空いた分だけ温かなもので埋まっていった。



 ただ、それがわからない邪魔者は依然近くにいる。



『こら! あんたわかってて無視してるでしょ! こっち見なさいよアホ男!』


 慇懃無礼な態度はどこへやら。ナルも偶にしか見れてなかった素を、従姉が出してしまっている。つまりそれだけ癪に触っているのだ。


「ハッハッハッ、今日はやけにキーキーと耳障りな羽虫の雑音がしますねぇ。せっかくのいい雰囲気が台無しだ」

『は、羽虫ですってぇ!?』


(……すごい、あの従姉様を完全に手玉にとってる)


 涙をぐしぐしと拭いながら、ナルはその様子を見守った。


 言い換えれば狐狸は従姉をおっちょくっている。相手が怒るポイントを的確について、これでもかと嫌がらせをしているのだ。


 何故か?

 そんなものはナルが考える必要もなく、決まっている。


『いい加減にしなさい妖怪の恥さらし!! あんたみたいなヤツはいなくなるべきなのよ、この……邪魔者!!』


「…………っせえなぁ」


 ――相手が気に入らないからだ。



「その言葉、そっくりそのまま返してやるぜクソガキが」 


『「へ?」』


 意図せずにナルと従姉の反応が重なる。

 それだけ狐狸の豹変ぶりは劇的だった。


「ああ、うぜぇ。人がおとなしくしてりゃあつけやがりやがって……。自分が攻撃されないと勘違いしてるド阿呆は、コレだから……ああ、そうだイイコトを思いついた」


 獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべて、ようやく狐狸が従姉の方へ顔を向けた。


「喜べ、今から俺様がてめえに特別授業をしてやるよ。徹底的に指導する形でなぁ」

 

 この時点で、ナルが知っている狐狸先生はもういなかった。

 そこに居たのは、とんでもなく恐ろしげな、想像を超えた誰かだ。

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