第7話:家族の悪意とナルの秘密

「ひんひん……」

「一体誰に泣かされたんですか?」

「身に覚えがないとでもッ!?」

「悪いのはぜーんぶ、あの蛇ですね。僕の可愛い生徒を泣かせるなんて許せません。今度会ったらとっちめておきましょう」


 いけしゃあしゃあと口走る狐狸に対して、ナルの乏しい怒りゲージは増加の一途である。

 

「ふむむ、そんなにふくれっ面になる程アダルトな時間をお望みでしたか?」

「バッ!? ち、違います! っていうかそのネタでいぢるの止めてくれません!?」

「その辺は追々にしましょう。さっ、着きましたよ」


 狐狸が手を振って示した先に、ナルの目が向けられる。

 視線の先には、背の低い草花が敷かれた絨毯のようになっている丘が広がっていた。


 そこまで上の方までに登ってきていたのか。

 まっすぐに遠くを見れば学園に最も近い町がよく見えた。周囲の山間が真っ暗な分だけ、人の町は特別目立ち、とても輝いてみえる。


「……綺麗ですね」


 ナルが素直に呟く。

 美しいものを見た者から自然に零れた言葉だった。


 だが、同じ物を観たとしても違う者になれば感想は異なるもの。そんな事実を突きつけるかのように、虚空から声が響いてきた。


『どこが綺麗なのよ、あんな人間の町』

「え?」


 声がした方へナルが振り向くと、蝙蝠の群れが狐狸達に向かってバサバサと飛んできた。群れは道のように連なりながら脅かすようにナルの横を通り過ぎていき、その目論見どおり「ひゃあ!?」と声が挙がる。

 狐狸は微動だにせず無言のまま、目線だけで襲撃者を見送った。


『今の言葉をもう一度、隣にいる男に言ってみなさいよ』

「そ、その声はイーミル従姉様(おねえさま)?!」


 本人がいるわけではないが、ナルの顔が驚きに染まる。

 蝙蝠の群れが空中で弧を描きながら一点に集まると、そこにドレスを着た女性の姿が出来上がった。蝙蝠を操って自分の姿を映しだす。ナルには出来ない、吸血鬼の技だった。


『まったく本当にあんたはダメな子ねぇ。勝手に自爆するなんておバカもいいところ』

「……な、なんでお姉様がココに」

『あらあら、みっともない家族の様子を見に来てあげたのよ? 何か困ってるようなら手を貸してあげようかしら~なんて思ってみたり、みなかったり」

「……ッッ」


 調子のいい嘲りにナルがギュッと手を握る。

 コレまで幾度もからかわれてきた相手。ナルが登校日を間違えるよう仕掛けてきたのも、この従姉だ。

 嫌われているのは知ってはいた。しかし、転校先にまで意地悪をしに来るとは思ってもみなかったのである。


「……また、何かする気ですか? もう騙されないですよッ」

『何かする気、ですって? ふふふっ、もうしないわよ。というか、する前に勝手にあなたがしてみせたのよ』


 従姉の言葉の意味がわからずナルは唇を噛んだ。

 ふと隣にいる狐狸を見上げたが、彼は従姉の方をじっと見ているだけで何もしない。


『ああ、可愛すぎるダメダメなナルに良い事を教えてあげましょう。妖怪というものはね、普通は人間の町の光を綺麗だなんて思わないものなの』


 ――むしろその逆と、声は続く。


『嫌いなの、綺麗じゃないの、自然にある美しさを、夜の闇を穢すものなのよアレは。……そんなものを綺麗ですって?』


 虚像の口が残酷な笑みへとつりあがる。


『そう口にするのは人間だけ。……ああ、違うわねごめんなさい。もうひとつだけいたわ。妖(あやかし)なのに人間の血を引く、半端者』

「……あッ」


 ナルの背筋が氷のように冷たくなる。

 

(やめて! それ以上言わないで!!)


 そう叫んで止めたかったが、それよりも早く従姉は秘密を勝手に曝け出してしまった。

 今夜ナルが、自分から狐狸に打ち明けようとしていた事を。たくさん悩んで決意した、大事な秘密を。

 ソレを愉快そうに暴露するのが遠くにいるはずの血の繋がった家族だとは、ナルは想像すらしなかった。



『――どっちつかずの嫌われ者である半妖(ハーフ)。……あんたの事よ、ヴァンパイアハーフのナルちゃん♪』



 おどけた口調だったが、込められた悪気は誰にでも伝わるものだ。

 ハーフの少女の身体が、静かに震えだす。


『大事な事は早く伝えるに限るわ。あんた、どーせうじうじして隠し続けようとしたんでしょ。ほんと残念な子なんだから……、見てられないからあたしが代わりに言ってあげたのよ?』

「…………ぅぅ」


『そこのあなた。こんな形で失礼いたしますが、あたしは有真ナルの家族ですわ。どうしようもない子ではありますが、どうか上手く付き合ってくださいませ。ああでも、もしハーフがお嫌でしたらいつでもご連絡ください。こちらでなんとか致しますので』


 嫌味に満ちた言動だった。

 だが、この従姉のハーフに対する態度は妖怪として極度に珍しい物でもない。

 長く生きている者。種族や血に誇りを持つ者。単純に人間を嫌う者。それらの間ではハーフは嫌われ者なのだ。


 古くて強くて有名な者である程、その傾向は強くなりやすい。

 誇り高い吸血鬼の一族であればなおさらである。


 だからハーフとなったナルは、家族との仲が良くなかった。

 その言葉はほとんど届かず、よく無視や意地悪をされた。

 それらが積み重なって、今のダメダメと評されるナルになっていったのだ。


 そしてまた、ナルは嫌われそうになっている。

 ずっと隠せるなんて彼女も思っていなかった。だから、ナルに何度も声をかけては励ましてくれた狐狸には、今夜にでも打ち明けようとしていたのだ。

 

 それも台無しになった。


 先程から意地悪な従姉が、狐狸のナルに対する心象をイタズラに悪くさせている。このハーフはお前を騙そうとしていたのだと、心にもない事を植え付けている。


(どうしてそこまで……そんなにハーフって居ちゃいけないものなの?)


 悲しくて悔しくて、ナルの目尻に涙が溜まっていく。

 同時に心がポッキリ折れそうだった。もうどうでもいいや……そう諦めてしまいそうな程に。



「ナルちゃん」


 従姉の言い分を聞き終えたらしい狐狸が、ナルを見つめる。


「…………はい」


 沈みきった表情で、ナルはかろうじて反応した。

 もうそれ以上、何かできる気力も尽きた。

 きっと狐狸先生にも嫌われるのだと、感情が黒く濁っていく。



 ――だからこそ、


 

「いい景色でしょう。人間が生み出す光というものは、中々どうして美しいものです」


 

 その優しくて温かな声と表情は、俯いたナルの顔を上げさせるには十分すぎるものだった。

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