第4話:ぼっちなオリエンテーション

 有真ナルは絶句する。


『では、中へお入りください』


 彼女は心の臓がバクバクうるさいのを堪えて、転校生を待つ教室への一歩を踏み出した。ガッチガチな動きで同じ手足を前に出しながら黒板の前へと立ち、大して前も見ずに教壇へ頭をぶつける勢いでお辞儀をする。


「あ、有真ナルです! ……その、よろしくお願いしマシュ!」


 そして、頭を上げた直後に絶句したのだ。

 何故ならちょっと噛んではしまったけれど、ナルにとって大分成功している挨拶に反応が返ってこなかったから。

 何より、教室に並んでいる机には誰も座っていなかったからだ。


「いやー、いい挨拶でしたよナルちゃん。頑張ったあなたには花丸をあげましょう」


 パチパチと、狐狸の小さな拍手が虚しく響く。


「……先生」

「はい、無駄にセクハラ太陽先生です」


 ひどいあだ名はナルが付けたものだが、自分から言い出すなんて考えもしなかった。口では気にしてない風を装っていたが、どうやら根に持たれているらしいと判断するには十分すぎる。


「なんで……他に誰もいないんですか?」


 だがそんな事よりも、現状に説明を求める方がナルの優先事項だ。

 至極当たり前のツッコミに対して狐狸は大分愉快そうである。


「集団ボイコットですかね?」

「なんで疑問形!?」

「冗談ですよ。単に今日がナルちゃんのオリエンテーションだからです。まずはこの学園についてもっと知ってもらわないといけませんからね」

「他の人は?!」

「今回の転校生はあなただけ。他の皆はオリエンテーションを終えてますので」


 予想外すぎる回答に、ナルの心が挫けはじめる。

 陰キャと自覚している彼女にとって初日の挨拶は、かなりの心労を伴うものだ。割と上手く行ったさっきの挨拶と同じことは出来る気がしない。

 それどころか、


(……失敗して無反応なら仕方ないって納得できる。でも、誰もいない無人の空間に勝手に名乗ってお辞儀したなんてダメージが大きすぎてッッ)


 正確には狐狸がいたのだが、既に会っているので挨拶相手にカウントされていなかった。

 それになにより。


「なんで誰もいないって教えてくれなかったんですかぁ!? わたし、すごいイタイ子みたいですよ!」

「訊かれなかったので」


「はうぅ……もうダメです。次に登校した時には、クラスの皆に笑われること請け合いですぅッ」

「大丈夫ですよ、ナルちゃん」

「え? もしかして黙っててくれるんですか?」


 この先生なら喜んで今の恥を広めそうだ。そう思っていたナルが嬉しげに表情をゆるめ――。


「広まっても大丈夫なように、先に僕が大笑いします。くっ、くっくっく、ワーッハッハッハッハッハ!!」

「最低!? 最低の人でなしがココに!!」

「人じゃないですからねー。さっ、おふざけはこの辺にして席に座りましょう」

「ふ、ふざけてないのに……わたし、全然ふざけてないのにぃ……」


 不憫なナルだったが、反抗する気力もなさそうに大人しく教壇前の席に座った。


「では、ナルちゃんのイタ芸で場が温まったところでオリエンテーションを始めましょう!」

「引っ張らないでくださいッッ!」


 ナルがぶん投げた学生鞄が、狐狸の顔面に炸裂した。




///



「さて、有真ナルちゃん」

「ちゃん付けは止めてください」

「ではネガティブダメ子さん」

「……すいません、贅沢は言わないので元に戻して」


 登校して間もないというのに、ナルは既に疲れ切ってしまいそうだった。片や狐狸といえば、楽しくて仕方がないといったご様子である。


「改めて。ナルちゃんはこの学園がどういう場所かご存じですか」

「……妖怪のための学園、ですよね?」


「そのとおり。より詳しくするなら、妖怪が人間について学ぶ場所です」


 カツカツカツと小気味よい音を鳴らしながら、狐狸の持ったチョークが簡単な学校の絵を描いていく。一緒に人間と翼を生やしたナルらしいデフォルメ絵があっという間に追加された。どれも妙に愛嬌があって可愛らしい。

 

「人とは異なる者――総じて妖怪と呼ばれる者達が人間との共存を諦めて随分長い時間が経ちました。もはやその存在は忘れられ、伝承や御伽噺に出てくるだけの架空の存在扱い。日陰者です」

「日陰者……」


 ナルのリアクションを確認しつつ、狐狸のちょっと卑屈っぽい説明は続く。


「自分達からそうなるような行動をしたので当然といえば当然ですがね。うかつな事をすれば退治されるだけ……では、現代となっては済まないでしょう。おそらく宇宙人と同じように扱われます、実験材料です。よくわからないアームや装置であっちこっち探られて、あられもない姿に――」

「あの……なんでわたしの身体を見ながらいうんです?」

「興奮するかなと」

「しません!!」


「さて、とにかく我々人外が気軽に人間の世界を出歩くには問題が多い。文化レベルも大きく後れをとっており、人間が科学の力で効率的に楽をしながら娯楽でいっぱいのひゃっほい人生を送る中、妖怪はテレビも漫画もなければ墓場で運動会もしません。かまどと囲炉裏で飯を食ってるようなレベルです」


「えっと……日本の妖怪ってそんな感じなんですか? 私の家族は人間と同じような生活をしてましたけど」

「吸血鬼は見た目も身体も人間に酷似してるので、人間の道具はそのまま使えてラッキーって感じです」

「ラッキー……ですか?」

「規格が違い過ぎて人間用の道具を使いたくても使えない妖怪も多い。猫又さんはスワイプしようとして画面に爪痕が残りますし、一つ目小僧さんは顔認証に失敗します」


 その説明でナルが想像したのは、スマホにじゃれてる猫と嘆いてる子供だった。後者はまだ可哀相に思えるが、前者に至っては可愛さしかない。

 尚、目の前でスマホをタプタプ操作してる狐狸は可愛げの欠片もなかったが。


「先生が授業中にスマホいじっていいんですか?」

「ハッハッハッ、ナルちゃんは人間の学生のような事をおっしゃいますな。ここは妖怪学園ですよ? そんな普通のルールがあると思います?」

「じゃあわたしもスマホを使っていいと」

「もちろんダメに決まってるじゃないですか」


 ナルのムカッとゲージが1ポイント溜まった。


「まあ、そもそもスマホを使いこなせる生徒なんて少数です。それ以前に学ばないといけない事は山ほどあります」


 どさどさどさっと、ナルの机にたくさんの教科書が積み上がる。

 人間の学校で使われている教科書もあるが、その多くは妖怪学園でしか使わないオリジナルだがしっかり製本されており、人間が学校で使う物と大差はない。

 

「『現代の言葉の使い方』、『人間らしい所作』、『能力の使い方』……」


 ナルは勉強があまり得意ではない。そもそも好き好んで誰がやるのかと思っており、その辺りは若者らしいといえばらしかった。


「うぅ、これは大変そう……」

「ま、必要になったら利用すればいいんですよ。なにせ最も大事な勉強では教科書なんてあっても使い辛くて仕方ない」

「最も大事な……?」

「ソレは、なんだと思いますか?」


 急に問題を出されてナルは「はぅ」と小さく呻いた。

 そんな事を問われても良さげな回答が出てこない。しかし、目の前の狐狸は楽しげにナルの答えを待っている。


 しばし悩ましい時間が過ぎていき、ようやくナルはぽつりと口を開いた。


「妖怪だとバレた時の対処法……とか?」


 熟考の末にこわごわ答えると、狐狸がとても満足気に頷いた。


「お見事!」

「……あっ」


「素晴らしい、ビビリ癖のありそうなナルちゃんらしい答えですね」

「褒めてるのか貶してるのかどっちかにしません!?」


 クソ教師ここに在り、である。


「いえいえ、大事なのは“自分なりに考える事”なんですよ。コレを出来ない人に教えるのはとても難しい。ですが、キミは既にそれが出来ているわけです。スゴイですよ」


 まただ。ナルは不思議な感覚を味わっていた。

 目の前にいる先生の言葉は、こんなにもあっさりと、不思議と胸に沁みてくる。

 だが、ナルの心のもやは深く、まだ晴れない。

 秘密を公開してもいいとは思えない。


 ただ――この先生であれば……と傾き始めてはいた。



「……狐狸先生はそう言うけど、わたしは凄くなんてないです。だから……あんまり褒めないでください」

「褒められるのはお嫌いで?」

「…………」


「ノーコメントですか。ならばどちらでもないと判断して、僕はあなたを褒められる時はもっと褒めることにしましょう」

「嫌がらせですか」

「滅相もない。僕がそんなものを好むように見えますか?」


 明らかに嘘をついている雰囲気しかない、胡散臭い声色と表情。

 それは会って間もないナルでもわかる程だ。


「どうして、そんなにかまうんです……」


 いつぞや、ナルが家族に似たような事を訊いたら。


 『気に入らないから』


 と返ってきた。では、狐狸の場合はどうかというと。


「先生ですからね」


 それと、と狐狸が付け加える。


「僕がそうしたいからです。単純でしょう? さあ、オリエンテーションは始まったばかりですよ。もう少し話したら、今度は学園内の施設をご案内しましょう」

「それも先生が?」

「はい。この学園に詳しいこの僕が案内するからには、知っててお得な情報もオマケしますよ」


「たとえば……?」

「誰にも見つからずに敷地外へ脱出できる、秘密の抜け穴なんてどうです?」


 それのどこがお得なのかナルにはわからない。

 授業をサボるという発想が、根が真面目な彼女にはないためだ。

 

 だから狐狸のお得情報は冗談だと判断されたが、ナルの表情にはほんのりとした笑みが無自覚に浮かんでいた。


(……ほんとに変な先生)


 それからのオリエンテーションの間、ナルのテンションはダメダメにはならなかった。



 その代わりに。

 休憩時間中にとても深刻そうな顔でうんうん唸る彼女がいたが、その時に狐狸が声をかける事はなかった。

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