本当の地獄を見せてあげるわ! 後編
「いったい……どうやって僕の呪いを生き延びたんだ……」
珠江に連れられ、五郎は鈴の前に跪いていた。
鈴は今もスパコン室のPCの前に座ったままだ。もちろん、"十和子"は未だに彼女に触れることができていない。
五郎は、鈴が呪いを受けて7日目を迎えていること知らされ、愕然とした表情でそう尋ねた。
光の速さでの追跡など絶対に回避できないと思っていただけに、五郎の焦燥は生半可なものでは無かった。
冷や汗で全身びしょ濡れで、足もがくがくと震えていた。
彼がここまでおびえている理由に思い当たる節があった珠江だが、残念ながら彼に対する同情の余地は一切ない。
五郎に許されるのは、これから始まる鈴の講義を黙って聞き続けることだけだった。
「最後まで疑問だったの。"十和子"は一体何を使って対象者までの最短距離を割り出しているのか……。彼女の出身地に行ってようやく分かったわ」
鈴の細い指が、五郎の頬を軽く撫でる。
こんな時でも、彼女の指は美しく、そして冷たく心地よかった。
指についた五郎の汗を、軽く弾いて見せる。
「水分、もっと厳密にいえば大気中を伝搬する電気信号といった方がいいわね。電気は、例外なく最も抵抗の小さな経路を進む。そして、この部屋は普段冷房で完全に除湿されている。湿度が下がるほど、空気中の電気抵抗は高くなる。つまり、"十和子"が感知する距離が無限大になり、それが彼女が転移するトリガーになるってこと」
「……僕が加工するまで、彼女の呪いは彼女の遺体のあった近辺でしか発動しなかった。海沿いの湿度の高さは、言うまでもない。しかし、それと君が今こうして生き延びている事実と何の関係がある?」
五郎の問いかけに、鈴がにやりとほほ笑んだ。
あらかじめ狙いすました質問が受講者から寄せられた時、講演者は罠を仕掛けた猟師のような笑みを浮かべるのだ。
PCのモニターを軽く指で叩き、鈴は講義を続ける。
「T村でシェルターに隠れた時、"十和子"はモニターから姿を現した。でも、そこからあたしたちが逃げ出した時にはそんなことはなかった。つまり、"十和子"にとっての『最短経路』は、モニターを通した電気回線だったってことを意味するわ」
「……呪いを回避するため、わざわざそんなところまで行ってたのか……」
呆れたような五郎の声にも鈴は全く動じない。むしろ、背後で聞いていた珠江が少しだけ頬を赤らめていた。
「だから、7日目になると同時に、あたしは再び部屋を密室にした。結果として、"十和子"は最短経路であるこのPCのモニターを経由する羽目になった」
「そうだ……。そして、そうなってしまえば絶対に逃げられないはずだ!光の速さの追跡を、どうやって……。光の速さ……まさか!?」
「さすがに気づいたようね。T村のシェルターでは、"十和子"の出現時に停電があった。でも、二回目の転移の際にはスパコン室の照明が切れることはなかった。電気が流れるためにはかならず電圧が必要になるわ。電圧は、高いところから低いところに流れる。そして、大量の電気が流れると、周辺機器のブレーカーが落ちることだってあるわ。もちろん、世界最大規模のスパコンを動かしてるこの部屋の電源は、ちょっとやそっとではブレーカーが落ちたりはしないけどね」
PCを操作して、何かの数式と計算結果を表示させる。
とても簡潔な式だ。むろん、それが何を意味しているのかは五郎になら簡単にわかった。
「つまり、この値こそが"十和子"の転移に必要な電力。繰り返しになるけど、電気信号は電圧によって流れる。つまり、逆方向に同じだけの情報量を送信してやれば、通信がフリーズするってことよ」
「ば……馬鹿な……!」
「"十和子"が光の速さで移動してくれたことは幸運だったわ。電気信号よりも遅ければ、逆流して別ルートから追いかけてくることもあったでしょうけどね。同じ速度だったからこそ、"十和子"は最短経路を進み続けるしかなくなった。そして、この世に光の速さを超える者は存在しない。8日目になっても、"十和子"がここを抜け出すことは不可能よ!」
講義を聞き終えて、五郎は無言で床に這いつくばる。
許しを請うかとも思ったが、そうではなかった。彼は、哀れなほどに身を震わせていた。
「お、お、お……おしまいだあ……」
涙、汗、鼻水。あらゆる体液を垂れ流して、五郎はその場で崩れ落ちていった。
そんな彼の様子に、鈴が不思議そうに首をかしげる。
「?あら?ちょっとだけ予想外のリアクションね?別に呪いが失敗しただけでここまで落ち込む必要があるかしら?実験に失敗はつきものでしょ。失敗したら別の方法でアプローチすればいいじゃない」
「先輩……自分を呪い殺そうとした相手を励ましてどうするんです……」
「ここまで言ったものの、結局は呪いの仕組みを第三者に説明できない以上、彼に刑事罰を与えることはできないわ。ちょと変わったいたずらメールを送った。客観的に彼がやったことはそれだけですもの」
自分を殺そうとした相手に対して、よくもここまで冷静な意見を述べられるものだと珠江は感心した。
珠江は、そんな鈴の疑問に一つの仮説を提示する。
「おそらく、この男の呪いには制約があります。人を呪わば穴二つ……。決められた時間以内に相手を殺せなかった場合、呪いが自分に返ってくるんでしょ?」
冷たい瞳で五郎に問いかける。
両手で肩を抱き、小刻みに全身を震わせながら、五郎はかろうじてその問いに頷く。
「8日目。呪いは僕に返ってくる……。あと一日で……ああ……おしまいだあ……!」
「自分が今までどれだけの人間に同じ恐怖と絶望を味合わせてきたのか……たった一日の恐怖ごときでは釣り合いません」
同情の余地はない。父に見せられた呪いの被害者は100人に及ぼうとしていた。
法が裁かずとも、自らの呪いで滅びが約束された。しかし、犯した罪に比べてあまりにも軽い。
珠江は、自分の胸のうちに沸き上がった仄暗い感情を必死に押し殺した。
そんな五郎に、手を差し伸べる者がいた。
「……諦めるのは、まだ早いわ……」
「先輩!?」
「……逢沢……くん?」
五郎の手を取り、立ち上がらせる。
怒りや憎しみにも染まらない、まっすぐで美しい青い瞳が五郎を見つめる。
「先輩!その男は、嫉妬や歪んだ愛情で理不尽にも先輩を殺そうとしたんですよ!そんな男を助けるんです!?」
「逢沢くん……僕を、許してくれるのか……?」
怒りの視線をぶつける珠江。すがるような瞳の五郎。
そんな二人に、鈴はたった一言、こう返事した。
「何言ってるの?実験は、これからが本番よ」
「「……はい?」」
目を点にする二人をよそに、鈴は白衣のポケットから乳白色の球体を取り出して見せた。
6日前、鈴がこの部屋で頬ずりしていた球体である。
「これがなんだか、あなたにはわかるわよね?」
「君が提唱していた……室温超電導の前駆体……」
「この前のゼミで指摘された通り、シミュレーションをやり直してみたの。確かにあたしの計算は間違っていたわ。この子に超電導性を付与するためには、最低でも900GPaの超高圧が必要になることが分かったの。あなたの計算能力の高さには、いつも驚かされるわ」
「……それはどうも……」
話が全く読めずに、五郎は静かに鈴の賛辞を受け取った。
「先輩?何の話をしてるんです?」
「あたしの今の研究テーマは『室温超電導の発現』なの。これまでの研究でその組成までは突き止めたんだけど、超電導を発現させるためにはとてつもない圧力で押しつぶしてやらないといけないのよ。このスパコンを使って、その必要な圧力を計算してたってわけ」
呪いの生き死にの話をしていたはずが、いつの間にかゼミの討論が始まっていた。
鈴の説明は続く。彼女の熱のこもり様は、今までの比ではない。
「欧州のダイアモンドアンビルを使っても、770GPaが限界。いま、この地球上に900GPa……つまり、900万気圧を作り出せる設備は存在しないの」
「……先輩……まさか!?」
嬉々として、鈴はモニターに映し出されている"十和子"の姿に掌を叩きつける。
"十和子"は、電気信号に姿を変えたまま、今も鈴を呪い殺そうとモニターの中でもがいていた。
「たった一つ、この"十和子の呪い"を除いてね!この呪いを応用すれば、きっとこの子に900GPaの圧力をかけることだってできるわ!」
「……ちょっと待ってください……。まさか……先輩の目的って、呪いを解くことじゃなくて……呪いを応用して、新しい実験をすることだったんですか!?」
「こんな魅力的な実験装置を見せられて、見過ごせるわけないじゃない」
「僕の呪いを……実験装置呼ばわりするなんて……」
「さあ、ようやく準備が整ったのよ!あなたも死にたくなければ、あたしの実験に協力しなさい!呪いの対象を、人からこの球体に移動させるだけですものね?」
目をらんらんと輝かせて五郎に詰め寄る鈴。
しかし、五郎は静かにかぶりを振る。その目には、相変わらず深い諦めと絶望で塗りつぶされていた。
「無理だ……反転した呪いをもう一度誰かに移すことなんてできない。そもそも、人でないものに呪いをかけるなんてことができるわけがない」
「ちょっと待って、何言ってるかわかんない」
指を五郎の頬にぐりぐりと突きつける。
気が付けば、鈴の瞳は大きく吊り上がり、剣呑な光を帯びていた。
彼女がこの世で嫌いなものが二つある。
理解できないものと、すぐ諦めることだ。
「できない!?無理!?あなた、曲がりなりにも科学者でしょ!?無理なら無理で、どこに課題があるのか説明して頂戴!」
「いや、呪いをかける時の感覚は他人に説明できるモノじゃ……」
「科学者の癖に、人に理屈を説明できないものを使ってたってわけ!?」
「……すいません」
「すいませんじゃないでしょ!?謝って済む問題じゃないわ。それじゃ、今わかってることを一から順序だてて説明しなさい!」
「ええと……まず、呪いたい相手を念じて自分の精気を触媒にして……」
「ちょっと待って、何言ってるかわかんない。精気って何?」
「人間の体内にある、活力の源でして……」
「そんなあやふやな定義で納得できるわけないでしょ!あたしにも知覚できるようにして頂戴!」
「そんな……無理です……」
「無理!?何言ってんの?できなきゃ死ぬのよ?死にたくなければ死ぬ気でやんなさい!」
「た、助けてえ……」
「だから、あんたを助けるためにこうしてメカニズム解明をやってるんじゃないの?あんた以外に理解できる人間なんていないんだから、やるしかないのよ!」
と、ここまでまくし立てて、鈴が唐突に珠江に視線を戻す。
珠江の研ぎ澄まされた霊感は、人生で最悪の警告を彼女に鳴らした。しかし、すでに手遅れだったが……。
「そういえば、呪いを感知できる人間が、もう一人いたわね……」
「せ、先輩。私、そろそろお暇しようかと……」
「何言ってんの?面白いのはここからでしょ。それに、あたしが諦めない限りあんたも付き合うって言ったばかりよね!?」
「それは、実験のお手伝いをするって意味じゃないです!」
「た、頼む!手伝ってくれえ……」
「いやあ!これ以上巻き込まないでえ!」
こうして、呪いの7日間最後にして、最悪の一日が幕を開けたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日、篠田教授は、准教授である五郎からゼミの欠席の報を受けた。
同時に、助手である鈴からもだ。
どうしても二人で検証をしなければいけない、緊急の案件が発生したとのことだった。
それを聞き、篠田は内心ほくそえんでいた。
実践派の鈴と計算屋の五郎。研究者として対極にある二人が手を組むことがあれば、それこそとてつもない成果が生まれるに違いない。
二人が対立する様子を見守りながら、篠田はいつかこんな日が来るのを待ちわびでいたのだ。
もしもその時が来たならば、本来ならば黙って見守るつもりだった。
しかし、どんな素晴らしい研究に取り組んでいるのか、研究者としての性がうずくのを抑えきれなかった。
試しに一報、電話をするくらいは構うまい。ほんの少しだけ、自分が二人に期待していることを伝えるくらいしてもバチは当たらないだろう。
そう勝手に解釈して、部屋に備え付けられていた受話器を手に取った。
「……海江田君か?私だ……。その……調子はどうだね?」
受話器の向こうから聞こえてきた五郎の声は、明らかに疲弊していた。
息も荒く、何か激しい運動をしているようでもあった。
『せ、先生ですか……今、ちょっと取り込み中でして……ハア……ハア』
受話器の向こうから、もう一つの声が聞こえる。鈴の声だ。
『まだ本番はこれからよ……もう一発やるわよ……』
『ちょっと待ってくれ!さっき精を出したばかりで……すぐには出せないんだ!』
『何言ってるの!?ようやく盛り上がってきたところでしょ?』
『せ、せんぱあい……わたしも、もうだめですう……』
『これくらいでへばってどうするの!?立ちなさい!』
鈴と、もう一人聞き覚えのない女性の声。
なにやら尋常ではない熱気が受話器の向こうからでも伝わってくる。
篠田は、そっと目を閉じて、受話器を置いた。
「……若いってのは、いいことだな……」
何か、感慨深げな顔つきでキーボードを操作する。
画面には、五郎と鈴を他の部署へと異動させるための推薦状があっという間に出来上がっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます