本当の地獄を見せてあげるわ! 中編
時を同じくして、敷地内の別の場所。
准教授にあてがわれた個室で、
彼は典型的な夜型の人間であった。
というよりも、昼間は雑務に追われるために、一人で集中できる夜を好むようになったのだ。
書きかけの論文をチェックしながら、チラリと時計に目をやる。
「もうすぐ、メールを送ってから7日が経つな……」
独り言は彼の悪い癖だった。
しかし、一人の時くらいは独り言を言いたいというのもあながち無茶な理屈ではないだろう。
どのみち、聞く者がいなければ頭の中で呟くことと大差はない。
「よもや着信直後に開くことはないだろうが……そろそろ何かしらのアクションがあってもいいのではないか?」
マグカップを置き、落ち着きなく時計に目を向ける。
彼は、誰かからの連絡を待っているようであった。
「まったく、強情なのか意地なのかは知らんが、もう少し人を頼るということを覚えるべきではないのかね。僕としても、頼られればいくらでも手は貸そうというのに……」
時計は、深夜の3時10分を指していた。
彼が逢沢鈴に呪いのメールを送って、ちょうど6日間が経過したことになる。
それ以降、彼は毎日のように鈴に困ったことがあれば連絡してほしいとメールをしていた。
しかし、彼女からは一切返信がない。
メールを見ていないのか?それとも今も逃げ続けているのか?
「どちらにせよ。僕の勝利は揺るがない。彼女が僕を頼るもよし、そのまま死んでくれても構わない。研究者として、僕の優位が揺らぐことはないんだから……」
五郎は曇ったガラスのような瞳でパソコンを見つめていた。
狂気に染まった男の顔は、なによりも硬質な陶器を彷彿とさせた。
自分が濁っていることに気づかない、完璧な錯誤。
呪いの力に憑りつかれたのか、あるいは本来の五郎の特性なのか……
いつの間にか、彼は自分が作りだした"呪いのシステム"で人を殺すことに、何の躊躇いも感じなくなっていた。
軽い実験のつもりで、かつての上司に呪いのビデオをけしかけてみたのが始まりだった。
五郎の考えだした新しい理論を頑なに認めない、頑固で視野の狭い男だった。
早く死んでくれれば、自分の画期的な研究を邪魔するものはいなくなる。毎日のようにそう願っていた。
「軽いジョークのつもりで使ったのが、まさかあれほど便利で強力な道具になるとは思わなかったな……」
当時を思い出したのか、五郎の口元が不吉に歪む。
楽し気に背中を揺らし、それ以降の犠牲者たちの顔を次々と思い浮かべる。
プログラムを書き換えるたびに、呪いは強力に、凶悪になっていった。
その実験をすることが楽しくなり、気が付けば犠牲者の数は数十人に及んでいた。
「尊い犠牲だ。後世に評価される研究とは、必ずしも現世で評価されるわけではない。狂気の世界で戦う僕たちの苦悩は、後の世で理解されればそれでいい」
禍々しい笑みを浮かべ、歪み切った価値観に気づきもしない。
五郎は、一人でどす黒く微笑む。
そんな時だった。
「……メール?こんな時間に、珍しいな」
ウィンドウに表示されたメールのアイコンをクリックする。
差出人には『逢沢鈴』と書かれていた。
件名には『以前ご指摘いただいた検算の結果です』と記されている。
「ククク……こんな時間に送ってくるなんてな……相変わらず嘘が下手な女だ。とうとう根負けして、僕に助けを求める気になったのか……!」
研究室の学生にもこれまで霊能者の紹介をしてきたり、下準備を整えてきたつもりだ。
こういったときの相談相手として、身近にいる五郎を頼らないわけがないのだ。
嫉妬、怒り、焦り。複雑に絡み合った感情は、今や五郎から冷静な思考力を完全に奪い去っていた。
普段は覆い隠している彼の激情は、鈴のことを考えるたびに噴火して溢れだすのだ。
落ち着かない手つきで、急いでメールを開封する。
すると、メールに添付されていた、一枚の写真が急に開いた。
写真は、海沿いの町。海岸線に沈む、美しい夕日が映されていた。
そのまま切り抜いて、絵葉書にでもできそうな出来栄えである。
もちろん、シミュレーションの検算結果でもなければ、五郎に助けを乞うものでもない。
その写真が意味するもが何か、普通の人間であれば分からなかったであろう。
しかし、写真を見た五郎は大きく狼狽える。
写真の中央に視線が吸い寄せられ、張り付いたように離れない。
夕焼けに照らされた、剝げかかったアスファルトの一点を、ただただ凝視している。
すると、もう一通メールが送られてきた。
無意識のうちに、五郎はその件名を読み上げる。
「今、自分の部屋の前にいるわ……」
その言葉の意味も分からず、五郎は茫然とPCのモニターを見つめていた。
数秒後、さらにメールが届く。通算で3通目だ。
操られるかのように、五郎はその文面を口に出してしまう。
「今、あなたの部屋の前にいるわ……」
4通目。
独り言は彼の悪い癖だった。こんな時でも、目の前にある文章を読み上げるのは彼の特性でもある。
やがて、不意にメールが何を模倣しているのかに気づいた。
「たしか、徐々に受信者に接近していく類の霊障……。いや、呪いの一種か。もしも、これが本物であれば……。最後は──」
パソコンのモニタにくぎ付けになる五郎の背後に、急に何かの気配が忍び寄ってきた。
五郎の最後のつぶやきは、その気配の主の声と、ぴたりと重なった。
「「今、あなたの後ろにいるわ……」」
自分の声に、見知らぬ女の声が重なる。
金縛りにあったように全身が硬直する。恐怖で振り向くことができない。
そんな五郎にお構いなしに、背後の気配から不気味な声が響く。
「ふ……ふふふふふ……ふっふっふっふっふ……ぐふふふふふ」
地獄の底から這いあがってくるような、不気味で不吉な笑い声。
声の主は、五郎の頭をわしづかみにしてこう宣言した。
「ようやく……尻尾を捕まえました……!」
聞き覚えのない声だった。
普段は落ち着いた柔らかい声だったのだろうが、今や疲労と狂気で塗りつぶされている。
恐る恐る背後を振り向く。
そこには、長い黒髪を幽鬼のようになびかせた長身の女性の姿があった。
「だ、誰だ……お前は……!?」
かろうじて声を絞り出した五郎には構いもせず、女性は血走った眼で彼の胸元に手を伸ばす。
パッと見ただけでは認識できないほどに細い鎖で作られたネックレス。女性は、その鎖をたやすくむしり取る。
ネックレスの先には、小さな白い球体がぶら下がっていた。
「貴様!それを返せ……!」
慌てて五郎が取り返そうとするが、女性の血走った眼に思わず怯んでしまう。
尋常ではない迫力だった。
「その写真に映っているものが見えたんですよね?だから、あなたはそれほどまでに狼狽えた……」
むしり取ったネックレスを弄ぶように指先で転がしながら、女性はそれとは関係のない話を始める。
「"十和子"本体は呪われた本人か一部の霊感のある者にしか見えない。もし例外があるとすれば、それは
白い球体をまじまじと見つめ、言葉を続ける。
「私にはわかりますよ?
全てを話し終えて、女性は嬉しそうに笑った。
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