本当の地獄を見せてあげるわ! 前編
カタカタカタカタ……と、無機質なキーボード音が淡々と響く。
ここはT大学情報基盤センターの一室。
世界中に名を馳せる研究者たちが集う、その中枢ともいえる場所だった。
暴風を巻き起こすスーパーコンピューターのファン。
小柄な金髪の女性がその脇に座り込み、一心にノートPCのキーボードを叩き続けている。
無骨な黒ブチ眼鏡の奥に、爛々と輝く青い瞳。
小ぶりで肉厚な唇は、集中のあまり半開きのままで固定されている。
透き通るような白い肌は、今は興奮に赤く染まっていた。
科学のあらゆる分野で天才的な発見を繰り返し、その倍以上の天災的な失敗を撒き散らしてきた女性は、その不幸体質の結実ともいえる現象に真っ向から立ち向かっている最中であった。
スパコンの一室で黙々と作業を続ける女性の姿は、7日前と同じである。
しかし、7日前とは異なる点が一つだけあった。
スパコンの前で黙々と作業する女性の額には、玉の汗が浮かんでいた。
季節は盛夏。
真夜中とはいえ、冷房もつけずに窓を開け放っていればそれなりに蒸し暑くもなる。
スパコンが発する熱も加わり、さながらサウナと化している。
流れ落ちる汗も拭いもせずに、女性は一心不乱にPCを操作していた。
いつものように、その顔には狂喜の笑みが浮かんでいた。
間もなく、審判の時だ。
彼女の仮説が正しいか、間違っているかが明らかになる。
仮説が間違っていれば、確実な死が待っている。彼女は呪いの力で圧死し、ピンクの球体へ姿を変える羽目になるだろう。
この部屋に着いたのもつい50分前だ。それでも、後10分で"十和子"はこの部屋に侵入してくる。
どのみち、もう間もなく呪いのビデオを見てから7日目がやってくる。
7日目。鈴の仮説が正しければ、"十和子"の追跡速度は光速に達する。
つまり、この地上で"十和子"より速く移動できる存在はいなくなる。逃げ場は、ない。
鈴の見出した光明は、まさにその速度につけ込んだものだ。
必要なデータ量を算出し、PCに入力する。これまでの全ての実験結果が、彼女に最後の道標を示してくれていた。
「これで、入力終了……」
ようやく汗をぬぐう。
時間ギリギリだったが、どうにか約束の時間に間に合わせることができた。
あとはタイミングだけ。キーボードをもって、その場で静かに目を閉じる。
「やることはやったわ。あとは、あたしの仮説が正しいかどうか、それだけよ……」
ファンの乱気流に髪をたなびかせながら、鈴はその時が来るのを静かに待ち続ける。
彼女の信念は揺るがない。
これまでの実験事実。そして、これまで幾人もの偉大な先人たちが残してくれた経験と知識。
それらを束ね、導き出した蜘蛛の糸のようにか細い論理。
鈴は今、その糸に己が命をぶら下げていた。
「あたしは信じる……特殊相対性理論と電磁気学。アインシュタインにマクスウェル……彼らの遺した理論が、いかなる時にも破れないってことを、証明して見せる……!」
時が来た。
鈴はエンターキーを叩き、すぐに窓際に駆け寄る。
「さあ、最後の実験の始まりよ!」
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