本当に打つ手がないのか検証してみる 4
「やれやれ、こんな無茶なことをする娘ではないと思っていたんだがな」
「……あれ?」
珠江が次に目を覚ました時、そこにはどこか見慣れた景色が広がっていた。
木造で風通しのいい構造。板張りの床間には何の家具も置かれていない。
おかげで、真夏にもかかわらず涼しげな風が吹き込んでいる。
海水でべっとりと濡れた服を、柔らかく潮風が撫でていく感触。正直言って気持ち良いものではなかった。
不快感でむしろ意識がはっきりしたのか、珠江は数度の瞬きの後にがばっと身を起こす。
そこには、白衣に身を包んだ鈴の姿があった。いつもの無表情に、心なしか心配そうな影が落ちて見えた。
その横に居る人影に視線を送る。
そこには、ビショビショに濡れた白い和服にワカメのような黒い長髪の人物が棒立ちになっていた。
「ヒッ……!?」
悲鳴すら縮み上がるほどの恐怖で身を竦ませる。
後ずさりすることもせず、観念したようにその場に硬直しきっていた。
そんな珠江の様子を見て、黒髪の人影はなぜかひどく動揺したようであった。
身を引いて、肩を大きく落とす。どうやら、落胆しているらしい。
「やれやれ、瀕死の娘を命からがら助けてやったというのに、まるで化け物を見るような目で見られるとは……とんだ親不孝に育てちまったようだわい……」
「あれ、その声……お父さん!?」
聞き覚えのある声に、珠江が驚く。
ようやく気付いたのかと、驚いたような声を上げる男性。
頭にかぶったワカメをズルリと脱ぎ捨てると、そこには厳ついサングラスをかけた痩身の中年男性の顔があった。
「って、なんでワカメなんてかぶってるのよ?」
「溺れた娘を助けるために慌てて飛び込んだんじゃないか。海藻なんて払っとる余裕なんぞあるかい!」
「って、あなた……珠江のお父さんだったの!?」
隣に座る鈴も、ようやく男性の正体に気づいたようで今更驚きの声を上げていた。
サングラスをかけたまま、派手な金のネックレスをジャラジャラと鳴らしながら鈴に一礼する。
「初めましてお嬢さん。
「あいにくと間に合ってるわ。結構よ」
「確かに、これほど立派なものをお持ちであればそれも頷ける。しかし、豊かな胸は悪霊も呼び寄せる。今度じっくり祓ってあげましょう」
「祓うのであれば、もっと別のモノを祓ってほしいものね……」
珠江をよそに鈴を口説き始める大樹。もっとも、本人にとっては軽いあいさつ程度の社交辞令のつもりらしい。
そしてもちろん、超朴念仁の鈴には社交辞令であるという認識すらない。
「それはさておき、あなた由緒ある神社の神主なんでしょ?衣装はともかく、その装飾品の数々はなんなわけ?」
呆れたように大樹の全身を眺める。
腕にはシルバーのブレスレット。指には宝石のついた指輪。よく見てみれば、和服の袴はダークグレーのチェーンが巻かれていた。
おおよそ、神主らしからぬ風体である。
しかし、本人はいたって真面目な表情でこう返答する。
「これは私の勝負服でしてね。いろいろと試してみたんだが、この組み合わせが最も霊感が高まるんだよ。もう、ビンビンにね」
「そう……きちんと検証した結果ならば異論はないわ。センサーの感度は、高いほどいいものね」
鈴のリアクションに、大樹は少しだけ肩をすくめる。セクハラまがいの発言も平然と受け流す鈴に、何かただならぬものを感じたのだろう。
「そうじゃなくて、お父さん!どうしてこんなところに?」
ようやく正気に返ったのか、珠江が慌てて話題の軌道修正を施す。
「それは私の台詞だ、珠江。呪いの調査を引き受けて現地に来てみれば、何故かお前が現場の海に飛び込んで溺れているじゃないか。そりゃあお父さんだって慌ててワカメもかぶるさ」
「まさか、お父さんも島谷十和子の呪いを調査してたの!?」
「"も"、ってことはまさか……おまえ、あのビデオを見たのか?」
一瞬で顔を青ざめさせる大樹。
「安心して頂戴。呪われたのはあたしの方よ」
フォローを入れるように鈴がつぶやく。
その言葉に、大樹は居住まいを正してまじまじと鈴を凝視する。
先ほどとは違い、鋭い眼光がサングラスの向こうから透けて見えるようであった。
しばらく後に、深々とため息をこぼす。
「なんてことだ……まさか呪いの被害者にこんなところで出会おうとは……」
「あなた、あたしの呪いが見えるの?」
「身長162cm、体重は55kgと言ったところか、バスト86cm、ウェスト60cm、ヒップ75㎝。世が世なら、海女などやらんでモデルで食っていけたろうに。若干ただれておるが、生前はすらりとした美脚で、さぞかし美しかったことだろう」
何かを惜しむように目を閉じる大樹。
悪霊を評するにはあまりにも罰当たりな観点ではあったが、鈴の記憶の中の"十和子"の特徴と完全に一致している。
「すごい、"本体"がいないにもかかわらずここまで正確に言い当てるなんて……!」
「お父さん、こう見えて日本でも屈指の霊能力者なんですよ。……って、そうだ!お父さんなら、きっと先輩の呪いもお祓いできるでしょ?」
思い出したように懇願する珠江。もともと、除霊に関しては父を頼るつもりだったのだ。
しかし、大樹は申し訳なさそうにかぶりを振る。
「残念だが、これは無理だ。人の手に負えるものではない。呪いというものは、死者が放つものが最も強力でな。しかもこの呪いは何者かに加工されてさらに強力になっておる。うかつに手を出そうものなら、さらに拡散する羽目になりかねん」
「ちょっと待って、呪いを加工するって、どういう意味?」
すかさず鈴が切り込む。どんな時でも、彼女は違和感を見逃さない。
大樹は、懐からタブレット端末を取り出すと手ばやく地図を表示させた。
「まったく、こんなものを持ち歩けるなら、きちんと携帯も持ち歩いてほしいわ。そうすればもっと早く連絡がつながったのに……」
「携帯電話はイカン。あいつの電波は儂の霊感に干渉するんじゃ。それはもう、ギンギンにな」
「なるほど、霊感には電磁波が関わってるのね。今度検証させて頂戴」
「ウム。夜の霊媒を、たっぷりと披露してしんぜよう」
「夜の冷媒?あなたの家では未だにフロンガスでも使ってるの?」
またも盛大に話がそれかかる。珠江は慣れた様子でタブレットを指さして先を促した。
鈴に対しても「時間は残り少ないんですよ?」と釘を刺す。
本当に、十数時間後の死よりも目の前の不思議の方が優先度が高くなるのはいかがなものだろうか。
「この赤い点を見てくれ。これが"十和子の呪い"の被害に遭ったと思われる場所だ」
「……ほとんど、この海岸付近に集中しているわね」
「実は、実際に人が死んだ例はほとんどない。足に手形が痣として残ったり、海に軽く引きずられるような可愛いものだったのだ」
「感覚が麻痺しちゃってるけど、それでも十分恐ろしい体験でしょうけどね……」
大樹がタブレットを操作すると、地図の縮尺が変わる。
「次に、青い点で示すのがここ数年で頻発している"呪いのビオ"の被害現場。被害者は例外なく死亡しておる」
「ほとんど、日本全国じゃない……」
「動画をネットで送れる時代よ。こうなるのも必然ね」
「遺体に残留している念を見て分かった。この二つの霊障は、ともに島谷十和子に怨念が発端になっておる」
タブレットには、別の画像が表示されていた。
十和子の家系図である。
「遺体を捜索したが、やはり見つかなかった。何者かが遺体を持ち去って、呪いを加工したに違いない」
「どうして親せきを疑うの?」
「霊能力は遺伝する可能性が高い。そして、能力の相性も近親ほど強い。本来、呪いを加工するなんてことはできないはずなんだが、それでも可能性があるのは親戚くらいだろう……」
鈴はタブレットに視線をやる。
そして唐突に、何かをひらめいたように眼を大きく見開く。
「勝負の50秒、深海20m……そうか!時速と㎞で表現していたのが間違いだったのかも!」
懐からレポート用紙を取り出し、すぐさま数式を書き連ねる。
「珠江、この娘は急にどうしたんじゃ?」
「よくあることなの。唐突に関係ないことを閃いちゃって、今までの会話を急に置き去りにするの」
そんな二人の会話すら耳に入らないようで、一心不乱に数式を睨みつける。
「やっぱり!aのa乗だったのね!これは盲点だったわ」
「先輩、何かわかったんです?」
「"十和子"の追跡速度の法則が分かったのよ!」
言いながら紙に改めて数字を書き始める。
1日目:秒速1.24m(推定)
2日目:秒速1.32m(推定)
3日目:秒速1.44m
4日目:秒速1.70m(推定)
5日目:秒速2.45m
6日目:秒速8.92m
7日目:C(推定)
数字を眺めていても、珠江には何の法則性も見いだせないようだった。
「ええと、今までと何か変わったんでしょうか……?今まで未測定だった部分に数字が入ったのは分かるんですけど」
「つまり、こういうことよ」
鈴は1日目と2日目の間に数式を書き込んだ。他の日にちにも、次々と数字を書き込んでいく。
「1.24^1.24≒1.32。1.32^1.32≒1.44。1.44^1.44≒1.70……つまり、数字で数字をべき乗していたってことよ」
「分かったような、分からないような感じじゃの」
「この法則なら、3日目、5日目、6日目の速度増加の説明がつくの。現状、最も有力な仮説だわ。時速ではなく、秒速、しかもメートル単位に換算しなければこの法則にたどり着けなかった。無意識の内に単位を固定していたあたしのミスね」
「ところで、最後の"C"ってはどういう意味です?7日目って、明日ですよね?」
珠江の質問を待っていたかのように、鈴が不敵な笑みを浮かべる。
自分の考えた大胆な仮説を他人に披露する時、科学者は得てしてこんな表情を浮かべるものである。
もっとも、自分が呪い殺される状況下で、呪いの迫ってくる速度をここまで嬉しそうに説明できる科学者は彼女くらいの者だろうが……。
「8.92^8.92≒299792458……この数字に見覚えはあるでしょ?」
「いいえ、全く……?っていうか、この数字大きすぎて実感が沸きません。あまりも速くなりすぎじゃないです?」
「指数関数的な増加ってのは、そういうものなのよ。この数字の意味することこそ、まさしくC……つまり、光の速さよ!」
バーン!と胸を張って得意げに主張する鈴。
しかし、櫛田親子は呆気にとられた表情でそれを聞いていた。
「それって、つまり……明日になったら絶対に逃げられないってことですよね?」
「その通り!この地球上どころか、宇宙にだって光よりも早く動ける者は存在しないわ!」
ハアハアと興奮するように息を切らせる鈴。
そんな鈴を、大樹はとても残念なものを見るような目でこうつぶやく。
「珠江、この娘は何か別の呪いの影響でこんな残念な性格になってしまったのか?」
「見たらわかるんでしょ?多分、先輩は生まれてこの方ずっとこうよ」
二人は、揃ってため息をつくしかなかった。
「何をがっかりしてるの!?これはすごい発見よ。そして、今日一日で得た情報で、ようやく活路が見いだせたわ。あなたたち二人には、心から感謝しなくちゃね!」
「活路?先輩、こんな状況で何か対策が思いついたんです?」
「メカニズムが知れてしまえば、あとは打つ手はいくらだってあるわ。科学者に、同じ手は二度と通用しないのよ!」
バンッと床を叩き、熱のこもった視線でタブレットを見つめる。
島谷家の家系図を睨みつけながら、鈴は最後の実験開始の宣言をする。
「さあ、次こそ最後の実験よ!この呪い、倍返しさせてもらうわ!」
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