本当に打つ手がないのか検証してみる 3


「それで、やっぱりこういう目に遭うのよね……」


 波打ち際、焼けた砂浜に素足をさらして鈴は一人嘆息した。

 研究室にこもりっぱなしの彼女には、真夏の日差しが堪えるようだ。今はどこで買ったのか、幅広の麦わら帽子をかぶっている。


 一方、隣に立つ珠江の表情は険しい。

 いつものワンピースではなく、巫女装束に身を包んでいた。彼女の実家から持ってきた、いわゆる『勝負服』である。

(もちろん、男性を落とすためのものではない。悪霊を堕とすための勝負である)


「先輩、ここで間違いありません。この辺りから、とてつもない怨念を感じます」


 昼下がりのダレきった日差しに炙られていたが、珠江の顔色は真っ青である。

 霊感のある彼女には、ここが尋常ではない場所であることが嫌というほど分かってしまうのだ。


「島谷十和子が最後に漁に出た……そして、おそらく今も沈められたままになっている海……」


「本当にやるのね?珠江……」


 念を押すような鈴の問いに、蒼白の顔に精一杯の決意で答える。

 ここに来る前に覚悟は決めた。どんなことでも、可能性があるならば挑戦すると。


「先輩には”十和子”が見えるでしょうが、それ以外の霊感は期待できません。ならば、私が潜るしかないんです」


「なにも、そんな恰好じゃなくてもいいんじゃないの?」


「霊感も、衣装の影響を受けるんです。ダイビングスーツじゃ、感覚が鈍ってしまいます」


 霊感とやらは皮膚を通して発現する能力らしい。興味を惹かれた鈴だが、流石にこんな状況では実験はできない。

 今も、はるか遠くから時速30kmで”十和子”が猛追しているはずだ。


「危なくなったら、すぐに上がってくるのよ」


「わかってます。私が溺れちゃったら、意味がありませんもの」


 時間が惜しい。

 珠江は意を決して海の中に身を浸す。

 おそらく、今も海の中にいるであろう十和子の遺体を見つけ出し、引き上げる。


 その後どうすればいいかわからない。珠江の能力で除霊ができる保証はない。

 

(それでも、できることは何でもやるんです。私は、最後まで諦めない)


 目いっぱい肺に酸素を送り込み、水面に垂直に体を立てる。

 手にした重りを頼って、どんどん海底に向かって沈んでいく。


 海に潜って数秒。その数秒で、珠江は二つの誤算に気づいた。


 一つ目は海流の強さ。重りを手にしていても、油断すれば流れに体のバランスを崩されかねない。

 姿勢を維持するだけで、どんどん酸素を消費していくのが分かった。

 体力の問題もある。想像以上に挑戦できる回数は少なくなりそうであった。


 二つ目の誤算は、海中深くに潜るにつれて、徐々に確信へと変わっていた。

 目を閉じ、神経を周囲に巡らせる。

 霊感というものは、肌を通して伝わるものらしい。極限の環境下で、珠江の霊感はかつてないほど冴え渡っていた。

 その鋭敏な霊感が、たった一つの事実を珠江に告げていた。


(怨念が薄い……!どこからも満遍なく感じられる……。本体は、どこ……!)


 気配を探ろうにも、周囲に拡散しており見つけることができない。

 濃霧の中に漠然と照らされた光源を探るようなものだ。しかも、光源は四方から珠江を照らしている。


(落ち着きなさい、私!こんな時こそ冷静になるのよ。これだけ気配が拡散しているってことは、何か理由があるはず)


 海流に流されぬように姿勢を制御しながら、必死に思考を巡らせる。


 こういった時に、鈴ならどうするか。

 そう考えてみれば、何を考えればいいのかがすぐに分かった。


(仮説……なんでもいいから仮説を立てるんです)


 肺にたまった空気を少し吐き出す。

 胸にかかった圧力が弱くなり、少しだけ体が楽になる。

 その代わりに、脳に供給できる酸素の残量は乏しくなったが、今は無理やり思考の外に追い出した。


(私の霊感は正しいと仮定して、気配が拡散しているとすれば……たとえば、十和子の遺体が粉々になってその辺を浮遊しているとか……)


 一瞬、身の毛もよだつ絵面が脳裏をよぎり慌てて頭を振る。

 そして冷え切った頭の中は、冷静にその仮説を棄却した。


(これだけ流れが強ければ、あっという間に外海まで広がっていくはず。怨念はこのエリアにだけとどまっている。つまり、少なくとも十和子はここで殺されたんです……)


 思考が堂々巡りを続けようとする中、不意にもう一つの仮説が浮かんだ。

 その仮説はきわめて合理的、かつ絶望的なものだったが。


(ひょっとして、遺体は誰かが回収して、ここにはないんじゃ?だから、遺体が放っていた怨念だけが僅かにここに残留して……)


 そこまで考えると、珠江は急に目の前が暗くなる感じがした。

 なんということだ。ここにきて遺体が見つからないのでは、何の意味もない。

 絶望に抗おうと、眼を開いて海面を見上げた。


(って……あれ?本当に目の前が暗く……?)


 真っ当な仮説が思い浮かんだおかげで、思考に費やしていた集中力が肉体にも割り当てられるようになった。

 するとどうだ。苦しさを押しやっていたせいで、体の方はとっくにギブアップを宣言していた。

 視界だけではない。手足もしびれて満足に動かない。気が付けば、いつの間にか重りを手放してしまい頼りなく海流に漂っていた。


(ちょっと、まず……い……)


 混濁する視界と意識の中、珠江は何者かが海面からこちらに迫ってくる姿を見た気がした。

 一瞬、鈴かとも思ったがそうではない。人影はユラユラと長い黒髪をなびかせていた。


(まさか……十和子……?逆に、私を迎えに来たの……?)


 意味の分からない妄想が脳裏をよぎる。そしてそれを最後に、珠江の意識は途切れてしまった。

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