それはさておき、本業も忘れず検証してみる 3
「先輩!」
血相を変えて珠江が鈴に駆け寄る。
ボサボサの髪を振り乱し、ブヨブヨになった指で鈴の手首をつかむ"十和子"。
一方の鈴は、腕を掴まれた瞬間から身動き一つできないでいた。凍り付いたようにその場に張り付けになっている。
呼吸すらできていないに違いない。前回の記憶がよみがえる。
鈴はあの時こう言っていた。
(10秒以上掴まれていたら、間違いなく圧死していたでしょうね)
正確な時間は分からない。しかし、その時は間違いなくすぐに訪れる。
意を決して、珠江は懐からあるものを取り出し"十和子"の真横に立つ。
聞きたくはないが、ガラスをひっかくような耳障りな怨嗟の声が耳に押し寄せる。
―シズメテヤル オマエモ シズメテヤル ワタシトオナジヨウニ シズメテヤル モガキ クルシメ ガガガカカカカッ―
おぞましい声を必死に無視しながら、手にした獲物を慎重に狙いをつけて振り下ろす。
躊躇してはいられない。躊躇えば、全てが手遅れになる。
「先輩、ごめんなさい!」
振り下ろした
ズルリという気味の悪い音を立て、鈴の陶器のような白い肌が見る間に焼け落ちていく。
同時に、"十和子"の拘束から解放される。"十和子"の手には、焼けただれた鈴の皮膚が握られていた。
千載一遇のチャンスを逃したにしては、"十和子"には何の動揺もない。
手にした皮膚を床に捨て、何事もなかったかのように再び鈴に向かって歩き出す。
いや、それはもはや徒歩と呼べる速度ではなかった。
軽いジョギング程度の速さで、しかしギクシャクとした不気味な動きで、"十和子"は再び鈴への距離を詰めていった。
「ちょっとなんですかこれ!早送りの貞〇とか、気持ち悪すぎます!」
息を絞り出して悲鳴を上げる。
声を出すことで自らを奮い立たせ、全身に力を入れたかったのだ。
呪いの後遺症で動けない鈴を担ぎ上げ、この場を何とか逃げ切らなければならない。
小柄とはいえ、人一人を担いで無限のスタミナを持つ"十和子"から建物の外まで逃げ切ることは容易ではない。
加えてここは二階。建物の構造も複雑で、入り口までの経路は覚えていない。
その事実を認めると、珠江は覚悟を決めた。
元々思考の瞬発力は鈴よりも早い。決断した時の大胆さは鈴から学んだものだ。
「先輩、これ以上怪我しちゃっても恨まないでくださいね!」
鈴を担ぎ上げ、全力で窓に向かって走り出し、そのまま外に身を放り投げる。
先ほども言ったようにここは二階だ。しかし、窓だけは確実に建物の外に通じている。
自由落下の浮遊感に背筋を震わせるが、すぐに衝撃が背骨を貫く。
幸運にも植え込みに落ちたおかげで骨折はしなかったが、無数の枝に全身の皮膚が浅く斬り裂かれていた。
息もできないほどの衝撃だったが、それでも珠江は急いで視線を元居た二階の窓に向けた。
窓から顔を出していた"十和子"は、忘れ物を思い出したかのように踵を返し、部屋から出ようとしていた。
「やっぱり……どんな状態でも徒歩で……移動できるルートしか選ばない……私の仮説通りでしたね……」
息も絶え絶えに鈴の真似事をしてみるが、全身木の枝にまみれた姿では全く様になっていない。
それでも稼げた貴重な時間だ。
痛む体に鞭打って、何とか車に鈴を担ぎこんだ。
急いで車を発進させる珠江に、ようやく回復した鈴が指示を飛ばす。
「待ち……なさい……この車はあたしが……運転するから……あなたはバイクを持ってきて頂戴……」
「先輩!どういうことです!?腕の火傷だって治療しなくちゃいけないし、そんな状態で運転なんて無茶です!」
理解不能な指示を飛ばす鈴。
呪いの影響で思考が混乱しているのかもしれない。
「ひょっとして、私を巻き添えにしたくないとでも……?」
「そうじゃないわ……悪いけど、あなたには地獄の門の手前までは付き合ってもらうわよ……」
何とも不気味な口説き文句に、珠江はむしろ彼女が正気であることを確信した。
「もうすぐ深夜3時……。検証の機会は、今を逃したら二度とこない……!下手をすれば、次の機会はないかもしれないの!」
鈴の壮絶な声に、珠江は黙ってうなずくことしかできなかった。
「それで、一体何を始めるんです?」
「決まってるでしょ……逃げ続けることすら不可能なのか、検証するのよ」
夜の帳が降り切ったキャンパスに、鈴の静かな声はどこまでも染み渡る。
珠江はその時になって初めて、自分たちが常軌を逸した人の狂気に晒されていることを思い知ったのだった。
―――十和子の呪いに関するレポート(4日目)―――
・到達可能なルートが存在していても、対象者の近く転移することがある(条件は不明)
・徒歩で移動可能なルートのみを選択する
・対象者を追いかける速度は、増加する
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