それはさておき、本業も忘れず検証してみる 2
「そもそも、君の研究は進んでいるのかね?最近はまともにデータが出てこないじゃないか。手を抜いているとしか思えない。そんなふうに他人の結果に口を出す余裕があれば手を動かしたまえ」
『お言葉ですが、報告は毎週のようにしています。実験に必要な数値をシミュレーションしていると申し上げたはずですが?』
「君のような素人がプログラムをいじったとしても、妥当な結果に落ち着くとは思えんがね」
また始まった。
篠田は今日4度目のため息を漏らした。そろそろ特技も通用しなくなっているかもしれない。眉間にしわが寄っている自覚がある。
五郎はPC越しに鈴に向かってネチネチと嫌味を垂れ流している。
海江田五郎。彼もまた同世代では抜きんでた才能を持っていた。
鈴とは違い学生の面倒見もよく(鈴も面倒みはよいのだが、彼女の"懇切丁寧な講義"は著しく生徒を消耗させるのだ)、大学の仕事もそつなくこなす。
このままいけば、篠田の退官を待たずして自分の研究室を立ち上げることになるだろう。
しかし、そんな彼も鈴の出現によって歯車を狂わせつつあった。
彼が鈴に抱く感情を、篠田は冷静にこう分析していた。
嫉妬。
優秀で欠点のない五郎だが、鈴が集中したときの圧倒的な没頭力の前に歯ぎしりすることが多々あった。
五郎が考えもつかない理論を思いつき、誰もがやろうともしない無謀な実験にも躊躇なく手を染める。
半面、誰もが想像しないような大失敗をやらかすが、彼女はそんなことでは諦めない。何度も挑戦し、失敗を乗り越えて成果を出してきた。
そんな鈴に、五郎は嫉妬していたのだ。
それを認めたくないのか、こうして鈴を攻撃することで何とか自尊心を保っているらしい。
篠田に言わせれば『相手が悪い』の一言に尽きるのだが、こうも近くにいては比べないわけにもいかないのだろう。
圧倒的な才能を持つ者たちが集うこの研究室。しかし多くの爆弾を抱えた極めて複雑で繊細なかじ取りを任されてしまったのだ。
「だいたい、計算式に不備があったようだが?きちんとダミーを走らせて検証しているのかね?」
『検算はしているつもりですが……』
「一から検証しなおすことを勧めるよ。そもそも君が作り出したあの材料だって、どうやって加工するつもりなのやら」
『その加工条件を決めるためのシミュレーションです』
「しかし、計算結果を見たのかね?あんな途方もない環境をどうやってこの地球上で再現するつもりなのか、聞かせてほしいね」
『欧州にはダイヤモンドアンビルを使った装置があります。それを貸していただく交渉をしています』
「あそこの研究室は、うちと対立する理論の論文をいくつも上げている。協力してくれるとは思えんよ」
『あたしは、粘り強く交渉するだけです。それに今、他の手法でも再現できないか検証しているところです』
「あんな環境を再現できる方法が、他にあるとでも?」
『正直に言って、あたしも半信半疑ですが。検証する価値はあると思います』
「……」
かれこれ数十分にもわたる舌戦も終わりを迎えつつあるようだった。
大体の場合、五郎が根負けするのである。というよりも、言いたいことを言いつくして終わるのがいつものパターンであったが。
ある意味五郎の方が大人なのだ。これ以上長引かせて他の出席者の時間を奪うのも躊躇われるのだろう。
「とにかく、計算のやり直しだけはやっておくように。なんなら、僕が検証を手伝ってもいいんだよ?」
『ありがとうございます。ですが、お手を煩わせるほどのものではありません。自分でやります』
「……フン!」
言うことを言い終えたようで、五郎がイスに深く腰掛ける。終了のゴングが鳴った合図だ。
頃合いを見て、篠田は話題を切り替える。
二人の舌戦に毒を抜かれた様子の学生が、たどたどしく発表を再開した。
(やれやれ……どうして仲良くできんものかね……)
行く先々でとんでもないトラブルを巻き起こす彼女につけられたあだ名が"天災科学者"。
おそらく、どれほど用心してたとしても彼女の災害から研究室を完全に守ることはできないだろう。
これは理屈でもない。直感でもない。
確信だ。
統計的な経験と、一目見た時の印象。そして今もこうして起こっている数々の小規模噴火。
これら全てを総合すれば、大噴火が遠からず起こることは誰の目にも明らかだろう。
その時、一体どんな被害が起こるのか……。
しかし、篠田の心の中で何かが躍っているのもまた確かな実感だった。
嵐の前の静けさは嫌いではない。
生粋の冒険家であった彼は、5度目のため息をつきながら楽しげに微笑むのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「しっかし……先輩もえげつないですねえ……」
ゼミを終えてノートPCを静かに閉じる鈴に向かって、珠江は感嘆の声を上げた。
心なしか肌艶が良い。心行くまで研究の話題に浸かり、充足感いっぱいらしい。
「えげつない?」
「あんな風に嫌味を言われても平然と受け流すなんて、改めて先輩のメンタルは鋼鉄です」
「ひょっとして、海江田先生の話をしているのね。あれはいつものことだし、嫌味だなんてとんでもない。あの人の指摘はいつも的を射ているわ。そのおかげで、実験を失敗して部屋を黒焦げにする回数が10回も減ったもの」
もはやなんと返せばいいかわからなくなり、珠江は視線を前に戻す。
彼女には好意も敵意も通用しない。というよりも届かないのだ。
「そんなことより、珠江。急いで研究室に戻って頂戴。やらなくちゃいけないことが出てきたの」
「やらなくちゃいけない事って……アレに追われる以上に大変なことなんてあります?」
今も車の後ろをしつこく追いかけているであろう"十和子"の方を指さす。
「さっきのゼミの話を聞いてた?いそいでこの前のシミュレーションの検証をしなくちゃいけないの」
「それ、どうしても今やらなきゃいけない事です?」
鈴は至極真剣な表情でその問いに頷く。
彼女にとっては、凶悪な呪いを解くこともいつもの実験の一つに過ぎないのだろう。
逆に言えば、彼女は普段の一つ一つの実験にも命を懸けていることになる。自分の全てを懸けられるからこそ、彼女の成果はいつも抜きん出ている。
「……わかりましたよ……でも、この前みたいに部屋を閉め切らないようにしてくださいよ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大学に舞い戻った鈴は、迷わずスパコンの部屋に直行した。
4日前、この場所で呪われたことはすっかり忘れたのか、あるいは気にしていないのか、同じようにパソコンをハッキングして作業を開始する。
隣の珠江は、キンキンに冷えた室内に耐え切れずに身を震わせる。
「せ、せ、先輩……いつまでここにいるつもりです?」
「慣れない人にはちょっと寒いかもね。もう少しで終わるから我慢して頂戴」
「それもそうですけど、ドアはちゃんと開けてますよね?」
「そこは抜かりないわ。冷却機能が弱くなることも見越して冷房の設定温度も下げておいたから、スパコンのオーバーヒートも心配ないわ」
この異常な寒さはそのせいか、と納得した様子の珠江。
"十和子"は、鈴との間に何らかの遮蔽物があるとワープする習性がある。
以前、放射線すら遮断するシェルターに隠れた際は直接シェルター内に転移してきたのだ。
同じ轍を踏むわけにはいかないため、部屋という部屋の扉を開け放っている。
「フムフム……確かに計算にミスがあったわ。3日程度の徹夜でミスをするなんて、あたしもまだまだね。それに、こんなミスに気付けるなんて、海江田先生もさすがだわ」
「本当に、研究以外の感情はどこかに置き去りにしちゃったんでしょうね。あんな辛辣なこと言われた人に感謝するなんて……」
「もうすぐ検算が終わるわ……」
食い入るようにPCのモニターを見据える。
間もなく検算が終了し、正しいシミュレート値がはじき出されるはずだった。
しかし
「なっ……!」
鈴が素っ頓狂な声を上げる。
何があったのかと珠江も吊られてモニターを覗き込む。
「げげっ……!」
珠江の顔にも驚愕の表情が浮かぶ。
無理もない。モニターには、つい昨日見たばかりの忌々しい映像が映し出されていたのだ。
「呪いのビデオ……!」
「先輩、急いで逃げますよ!また"十和子"が出てくるに違いありません!」
「どうして?確かにドアは空いてるはずなのに……!」
部屋の窓は、確かに開いている。この前のシェルターとは条件が違うはずだった。
ためらっている時間はない。計算を途中で放り出し、出口に向かって走り出す。
しかし、モニターから這い出てきた"十和子"の行動は二人の想定を超えていた。
あっという間にモニターから這い出ると、ぎこちない不気味な動きで鈴のすぐ背後に迫る。手を伸ばせば届く距離だった。
「ちょっとどういうこと!?速すぎるわ!」
たまらず悲鳴を上げる鈴。
間違いない。以前に比べて移動速度が速くなっていた。
"十和子"の手が、鈴の手首を掴む。
その瞬間、鈴の動きは完全に停止した。
珠江にだけ聞こえる"十和子"の声。
"十和子"は歓喜に満ちたしゃがれ声でこう告げた。
― コンドハ ニガサナイ シズンデ クルシンデ シネ ―
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