それはさておき、本業も忘れず検証してみる 1


「しかし、珠江?あなたの知り合いの霊能力者を紹介してとお願いしたのに、全然頼りにならないじゃない!」

「すいません。本当はお父さんに聞けば良いんでしょうけど、連絡つかなくって……。仕方なくネットで調べたんですけどダメでしたね」


「あなたのお父さんって、神主よね?連絡つかないってどういうこと?」

「お父さん、たまにふらっと姿を消すんです。そうなったら一週間は戻ってこないし、連絡もつながらないんです」


 車を走らせながら、申し訳なさそうな顔で弁明する。

 珠江にしても、ここまで本気で霊能力に頼ることが来るなど思ってもみなかったのだ。


「一週間も不在って……よくそれで神主が務まるわね……」


「そんなこと言ったら、先輩だってそうじゃないです?一日中実験室とスパコンの部屋にこもったっきりで、ゼミにも参加してないって聞きましたよ?」


 助手席でノートPCを開きながら、いじわるそうな声の珠江に反論する。


「あら、あたしはゼミを欠席したことはないわよ?今もこうして、リモートで参加してるもの」


 手早く起動して、通信のアプリを立ち上げる。

 “十和子”にも追われていたが、ゼミの時間も迫っていたのだ。


 こんな性格ではあるが、鈴は基本的には時間に正確だし生活リズムも規則正しい。

 一度集中してしまうと見境なくなってしまうが、それもこれも普段の節制の賜物である。いざというときのため、体力と集中力を温存しているのだ。


『川村君は欠席か、そろそろ彼の進路も真剣に考える時期かな。では、始めようか』


 教授と思しき初老の男性の声がパソコン越しに聞こえてくる。

 どうやらゼミが始まったようだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 T大学教授、篠田賢悟しのだけんごは最近のゼミが憂鬱で仕方なかった。


 彼の研究室は、大学の中でも非常に幅広い分野に取り組む珍しい研究室であった。

 化学合成、第一原理計算、大規模施設を使っての精密測定。

 いずれの分野においても篠田の才覚は抜きんでていた。

 

 それらすべてに精通し、組み合わせることで彼の研究は他に類を見ない独創的な分野を開拓していった。

 そんな彼のもとには同じく才能豊かな助手、学生が集い、研究室は活気に満ち溢れていた。


 しかし、そんな順調な研究生活に一つの異変が生じた。


 ゼミにそろった生徒、助手達の顔を眺める。

 全員が篠田の顔に視線を向けてくれていた。内職で授業の宿題や、ネットサーフィンをする者など一人もいない。

 それだけの価値がこのゼミにあることを認識しているのだ。その姿勢だけで彼らの優秀さと、篠田に対する敬意が読み取れる。


 間違いない。今までで最高の才能タレントが揃っていた。

 これだけ才能豊かな、加えて多彩な分野で活躍する若者が集う研究室は世界でも類を見ないだろう。


(しかし、困ったものだ……。ぜいたくな悩みかもしれんが、困ったものは困ったのだからしかたない……)


 尊敬の視線を向ける学生たちに悟られぬように、威厳ある顔を保ったまま深いため息をつく。

 この数か月で彼が身につけた新しい特技だ。誰に見せるでも、誇れるものでもなかったが。


「それでは、今日は水野君の発表だったね」

「はい」


 歯切れのよい、程よい緊張感を持った声で水野と呼ばれた学生が立ち上がる。

 今年の春に配属されたばかりの3年生だ。超高速通信技術に興味を持ち、狭き門である研究室の競争を勝ち取った優秀な生徒だ。

 時々言葉に詰まりながらも、よく整理された論法で発表を始める、


 そんな学生の姿を見つめながら、篠田は表情一つ変えることなく今日二回目のため息をついた。


(こんなことで悩む日が来るとは思わなかったが。いざ直面してみると手の打ちようがないものだ……)


「というわけで、通信速度の測定を実施したところ、従来よりも20%ほど数値の改善を確認しました。条件を詳細に詰めていけば、さらなる向上が期待できます」


 発表も終盤に差し掛かったところで、デスクの隅に置かれたPCから声が響く。


『ちょっと待って、何言ってるかわかんないわ』


 生徒がビクッと背筋を震わせるのがありありとわかった。それどころか、その場にいた全員が目を大きく見開いている。


(やばい、また始まったぞ……)


 誰かの心の声が聞こえてきそうであった。へたをすれば、それは篠田自身の心の声だったかもしれない。

 PCからの音声は、発言の許可を求めることなく矢継ぎ早に質問を飛ばす。


『その数値が確かなら、通信に用いられる周波数の伝搬速度が光の速度を超えることになるわ。どう言った理屈で、特殊相対性理論が破られることになったのか説明して頂戴』


「ええと……」

 

 縋るように、自分のPCのモニターで計算式を確認する。経験も浅く、こういった対応には不慣れであった。手が震えているのもわかる。


『科学史上、光の速さを超えた存在は未だ確認されていない。水のような伝搬速度が遅くなる媒体中では光速を超えることはあっても、真空中の速度を超えた例は絶無よ。もしもそれが本当なら、大発見に違いないわ。ぜひ、どういう理屈があるのかを教えて頂戴』


「す、すいません!」


『?どうして謝る必要があるの?あたしはただ、その理屈がどんなものか説明してほしいだけよ』


 必死にPCを操作する学生。しかし、もはや自分が何をしているのか把握できていないだろう。

 PCの向こうにいる"彼女"には悪意はない。純粋な好奇心こそが、常に彼女の原動力なのだ。

 しかし、質問を受けた学生にはたまったものではない。まさか計算ミスでしたというわけにはいかない。

 

 こうも期待を向けられては前言は翻せない。まして。"彼女"の声と期待に応えたくて仕方ないはずだった。

 焦りと功名心と男性としての下心が複雑に入り混じった顔で、一心にキーボードをたたく。

 ここ数か月で、何度も見てきた光景だった。


 篠田は3度目のため息を漏らした。


(まさか、ことで悩む日が来るとは思わなかったな)


 PCの向こうにいるのは逢沢鈴。今年研究室に配属されたスタッフだ。

 知り合いの教授から身請けを頼まれて渋々受け入れたのだが、ありとあらゆる意味で彼女は規格外だった。


 知識、経験、実行力。どれをとっても超一流。加えて、いかなる障害をものともしない不屈の精神力まで備えていた。

 しかし、それを秤にかけて釣り合うほどに人間関係が不得意であった。相手の感情も立場も気にせず、先ほどのように容赦のない言葉でメッタ打ちにする。


 しかも、不慮の事故にも枚挙にいとまがない。

 大規模放射線施設に送り出したところ、3回中3回とも事故で実験できずに帰ってきたことがあった。もちろん彼女に不手際はない。純粋に不運だっただけだ。


 そして、最も問題なのは、彼女の容姿だ。


 理系の研究室ともなれば男所帯と相場は決まっている。

 研究という特性上、身なりを気にする余裕のある女性もそう多くはない。


 そんな中で、彼女の存在は奇跡を通り越して"理不尽"と言えるレベルであった。どうしてあれほど容姿端麗な女性が研究の世界に身を投じているのか、そして過酷で不規則な生活にあってその美しさを損なわないのか。多くの者が疑問に思うだろう。

 そして、男所帯にそんな"危険物"を放り込めばどうなるか、結果は火を見るより明らかであった。


 前の職場は、彼女の起こした"物損事故"と"人身事故"のせいで研究室はズタボロになってしまったらしい。

 質が悪いことに本人に過失は一切ない。あれほどの才能を無碍にするのも惜しいとして、篠田のもとに押し付ける形となったのだ。


 研究室に配属されて間もなく、やはり彼女の色香(といっても、本人にはそのつもりは全くないのだが)に多くの学生が道を踏み外しそうになった。

 そして無謀にも彼女に接近し、先ほどのように強烈なしっぺ返しを食らうのだ。

 やむなく、篠田は彼女に生徒の指導を止めさせ、ゼミへのリモート参加を徹底させた。

 おかげで"人身事故"は減ったが、それでも彼女の影響は研究室に深い傷を残している。


「逢沢君。それくらいにしておきなさい。水野君が困っているじゃないか」


 たまりかねたように助け船を出したのは、篠田の隣に座る男性だった。

 海江田かいえだ五郎ごろう。情報熱力学を専攻する研究室の准教授。つまり、篠田の後継者であった。

 むろん、研究室では鈴よりも立場が上である。


『海江田先生。あたしは質問しているだけです。自分の結果に対する質問に答えられないのは彼の責任です。違いますか?』


 鈴の問いかけは至極真っ当である。正論ではあるが、心底容赦がない。

 視線をやれば、憔悴したように水野君が肩を落としているのが分かった。


「確かにそうかもしれないが、すぐに質問に答えられないこともある。彼にはまだ時間が必要なんだ。今日はそれくらいにしておきたまえ」


『……わかりました。水野君、また後でね』


 すんなり引き下がる。彼女に悪意がない証拠だった。理屈が通ってさえいれば、彼女は素直に受け入れるのだ。

 しかし、事はそれで終わらなかった。


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