本当に除霊できないか検証してみる 4


 スピリチュアルカウンセラーとの攻防が始まった。

 正真正銘の呪いにかかってしまった鈴にとって、除霊師が持つという未知の能力は魅力的でもあり、同時に疑わしくもあった。

 その能力が本物か否か見極めるため、こうして本人自らカウンセリングを受けることにしたのだ。


 先ほどの修二と同様、鈴は紙に自分の名前と生年月日をすらすらと書き、カウンセラーの井下直美に手渡した。

 紙を受け取った直美は、先ほどと同じように焦点をぼやかしたような瞳でその筆跡を見つめる。


 たっぷりと時間をかけたのちに、直美は重々しく口を開いた。


「見えます……銀の眼鏡をかけた知的な男性が……あなたからも、科学者のオーラを感じます」


 真剣な顔でそう告げる直美に、心底がっかりしたような声で鈴がこう切り返す。


「見えます、も何もないでしょ?あたしのこの格好見れば一目瞭然じゃない?」


 自分の白衣を軽く摘まみ上げる。


「……」


 気まずい沈黙が室内を埋め尽くした。

 数瞬の沈黙後、気を取り直すように直美は別の言葉を継げる。


「あなたの先祖の姿も見えてきました……。山奥の静かな農村でつつましくも穏やかに暮らす老婆です……。貧しくとも優しい子供たちに恵まれ、幸福な人生を送っていたようです」


「変ね……あたしの両親って両方とも由緒ある名家の出身で、どちらの祖先も農民だったという記述はないんだけど?」


「……」


 直美が再び沈黙する。心なしか、額にうっすらと汗がにじんでいた。

 鈴に聞こえないほどに短く深呼吸をし、姿勢を整える。


「私が見ているのは血縁ではなく、あなたのオーラの根源となる人物です。必ずしもあなたのご先祖様と一致するわけではありません」


「あら、そう……」


 あっけなく引き下がる鈴。彼女の瞳は、どこまでも真っ直ぐに直美を見据えていた。

 疑うことも、信じることもない、純粋な好奇心。ただ、単純に相手を『探る』その瞳に見据えられ、次第に直美は平静を保てなくなっていた。


「あなた、呪われていると言ってましたね?呪いというのは、負のオーラの凝集体のようなものです。取りつかれた人は倦怠感や原因不明の頭痛にさいなまれることがあります」


「あたしは生まれてこの方、体に不調を感じたことはないわ。定期的に運動もしてるし、栄養のバランスもケアしているもの。それに、あたしがかかっている呪いは、倦怠感や頭痛で済むレベルじゃないのよ?」


「……」


 三度沈黙する直美。額の汗は、いつの間にか玉のように大きくなっていた。

 穏やかな笑顔にも、心なしか小さな亀裂が入っているように見える。


 今度は鈴にも分かるように大きな深呼吸をすると、眉根を寄せ、相手に寄り添い同情するような悲しげな顔でこう告げた。


「……お辛かったでしょうね?」


「何が?具体的に言って頂戴?」


「……」


 気遣うような直美の言葉を、鈴は事もなく一蹴する。生粋の科学者である彼女にとって、定義の不明確な問いかけは意味をなさない。

 

 4度沈黙。だんだん、沈黙の時間が長くなっていった。

 だんだん荒くなる呼吸。張り付いた笑顔には、今や無数の亀裂が走って見える。


「負のオーラを取り除くには、健康的な食生活と、定期的な運動が一番です」


「さっきのあたしの言葉覚えてないの?WHOの推奨する運動負荷と、栄養レベルは完全に満たしてるのよ?それでも足りないってこと?」


「と、とにかく!」


 もはや強引に押し切るしかなくなったのか、声を張り上げる。

 修二に渡したものとは別の小瓶を、鈴の前に掲げる。それはまるで、鈴という悪霊から身を守るために掲げた十字架のようでもあった。


「このフローラルメンディを使えば、どんな負のオーラであっても取り除くことができます!私が自らオーラを込めたんですから、間違いありません!」


「少し見せてもらえるかしら?」


 直美から小瓶を受け取り、観察を始める。

 瓶を空け、手で仰ぐように匂いを嗅ぐ。


「見たところ、かなり薄めのアロマオイルにしか見えないんだけど、本当に効果あるの?似たようなものなら、あたしでも作れそうだけど……」


「成分だけを似せることはできるでしょうが、肝心の私のオーラが込められていなければ効果は全くありません」


「なるほど……そのオーラはあなただけが知覚できるモノってことね……?」


「その通りです。このオーラがあるからこそ、これまでも多くのお客様に効果を実感いただいています」


 何やら腑に落ちたような表情の鈴。彼女の様子に、直美も安どの表情を浮かべる。

 どうやら、納得してもらえたようだった。


 ところが次の瞬間、鈴は思いがけない行動にでる。

 手に持った小瓶をポケットの中に隠してしまったのだ。


「ちょっと!なにをするんですか!?」


 ついに我慢の限界を超えたのか、直美が声を荒げる。

 そんな直美を身をなだめるように、鈴は非礼をわびた。


「ごめんなさい。別に盗もうというつもりはないの。ただ、どうしても確認したいことがあっただけ……」


 そして、再びポケットから抜き出した彼女の手には二つの瓶が握られていた。

 完全に同じ形状の、二本の瓶だ。


「片方は、あたしが前もって用意した偽物よ。成分もガスクロを使って完全に同じにしてある。もしもオーラというものがあなたにだけ認知できるのであれば、偽物を見分けられるはず。さあ、教えて頂戴?」


 鈴の問いかけに、直美はしばし沈黙した。

 顔が震えるのが分かる。一度入った亀裂は、震えるたびに破片を撒き散らす。

 スピリチュアルカウンセラーの仮面は、今やズタボロになっていた。

 

 震える声で、直美は別の質問をぶつける。


「ねえ、逢沢さん?あなた、どうしてこんなことをするの?私がやっていること、信用できない?なにか私に恨みでもあるの?」


 必死の問いかけに、鈴は即答する。

 完璧なポーカーフェイス(もともと、彼女は表情に乏しいだけだが)。感情を揺らすことなく、芯の通った声でこう返答した。


「あなたに恨みはないわ。あたしはただ知りたいだけ。あなたの能力が本物なのかどうか。あたしの命を預けるのに、ふさわしいかどうか……。それだけよ」


 本心からの言葉だと、疑う余地はなかった。


 これまで、直美は数多くのカウンセリングを施してきた。

 ネットでの評判を聞きつけ、それを心から信用し助けを求めに来る者。

 あるいは直美の能力を疑い、小ばかにするためだけに訪れた者もいた。

 どんな相手にも彼女は誠心誠意、自らの知識と能力を披露して納得してもらってきた。


 しかし、目の前にいるこの女性は違った。目を見ればわかる。


 彼女は、直美を疑っているわけではない。かといって、先ほどの修二のように盲信しているわけでもない。


 ただ純粋に理解したいのだ。

 井下直美という能力者が本物であるか、否かを。

 それは、真実を知りたいと願う科学者の瞳だった。


 そんな瞳に見据えられ、直美は毒が抜けたように肩を落とし、降参するように首を振った。


「ごめんなさい。その小瓶に入っているのは、その辺に売ってある安物のオイルを適当に薄めただけのものよ。特別な力なんて、それには入ってないわ」


「でしょうね……。それでも、思い込みの力は偉大よ。実際、プラシーボ効果で病気が治る人だっているくらいですもの。『病は気から』とはよく言ったものだわ」


「オーラが見えるなんてのも嘘。昔から人の観察だけは得意だったから、見るだけでその人のことがなんとなくわかるのよ」


「残念だったわ。ワードセンスは理解しがたいけど、途中までは理路整然としていたから期待したのに。途中から論理の飛躍があったから、ちょっと怪しかったんだけどね……」


 できの悪い生徒を諭す教師のような鈴。


「相手を読むコールドリーディングのテクニックはなかなかのものだったけど、せっかく予約制にしているんなら、事前にホットリーディングの準備もしておくべきだったわね」


「先輩、それはどういう意味です?」


 二人のやり取りにどうにかついていこうと、珠江がそっと質問を投げかける。


「仕草や身なり、言動から相手の状態を推測する技術をコールドリーディングというの。川村君の座る姿勢から腰痛があることを見抜き、カバンをあさる様子からずぼらな性格や、実験ノートの存在から科学系であることも看破した。これくらいの年頃であれば恋愛の悩みは持っているのは当然だし、その話題に苦しそうな表情を浮かべていればうまくいっていないこともわかる。そういうカラクリよ」


「なるほど、だから完全無表情の先輩のことは全く読めなかったわけですね!」


「あとは、科学的にも正しい理屈から説明して相手を信用させ、最後に理屈の通っていない商品を売りつける。A=B、B=C、D=EだからA=Eと言われたら、信じちゃいそうでしょ?」


「確かに……」


「あたしに検証できない唯一のロジックは、彼女だけに見えるというオーラとやらの存在だったの。これがC=Dを意味するのであれば、彼女の論理は正しいことになるわけだし……」


 偽物の小瓶を掌でもてあそびながら、軽く嘆息する。

 どうやら、期待していた効果がなかったことで軽く落胆しているらしかった。


「そういえば、その小瓶いつの間に用意したんです?」


「ホームページで紹介してたから、急いで取り寄せたのよ。こうして相手の情報を事前に調べておいて、さもその場で見抜いたように見せかけるテクニックをホットリーディングって言うの」


 ふと思い出したように、ポケットの中から3本目の小瓶を取り出し、直美に手渡す。


「分からないと答えてくれた誠実さには感謝するわ。事実、最初に見せた2本は両方とも偽物だったわけだしね……」


 本人を前にこうも露骨にネタバラシをしてしまっては立つ瀬もないだろうが。直美はなぜか、それこそ憑き物が落ちたような表情で鈴の講義を聞いていた。

 ここまで一気にまくしたて、腕時計に目をやる。


 「ヤバい、そろそろ”十和子”に追いつかれるわ!」と、慌てた様子でその場を立ち去る。


「川村君、ゼミには遅刻しないようにね!あと、腰痛の9割は脳の錯覚によるものよ。痛みを感じて腰をかばい、それで変な姿勢や運動不足が重なることが原因だわ。まずは、腰はちょっとやそっとじゃ傷まないことを自覚しなさい。あとは、一日20分でいいからウォーキングすること。それで大抵の腰痛は治るわ。それじゃ、またね!」


 まるで嵐のような勢いで去っていく二人を、直美と修二は見送る。

 呆然とした様子の修二に、なぜか同情するような声で直美が話しかける。


「あなたも、難儀な相手を好きになったものねえ……」


「どうしてわかったんですか?」


 クスリと笑って、直美が肩をすくめる。

 先ほどまでの神秘的な気配が鳴りを潜めた代わりに、親しみやすく暖かい雰囲気に変わっていた。


「こんな商売を始める前は、スナックをやってたの。それこそ、男女の悩みなんて毎日のように聞いてたわ」


 懐かし気に虚空に視線を滑らせる。小さくても常連もついていた、彼女の初めての城だった。

 人の愚痴を聞くのも相談に乗るのも大好きだったし、男女の機微を語らせたら彼女の右に出る者はいなかった。

 しまっていた煙草に手慣れたしぐさで火をつけ、けだるげな表情で修二に笑いかける。


「良かったら、相談に乗るわよ?もちろん、私のおごりでね……」


 苦笑と照れ笑いが混じったような修二の顔を見て、直美は不意に昔を思い出す。

 アロマオイルもクラシックもセラピー療法ですら、タバコの香りとジャズに浸りながらこぼす愚痴には遠く及ばない。

 今日は久しぶりに良い酒が飲めそうだ。たっぷりと若者の青臭い悩みを聞いて、代わりに大人の薄汚い愚痴を聞かせてやるとしよう。


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