本当の本当に逃げ切れないか検証してみる 2


「ビームじゃなくてバリアを試したいって言ってましたけど、ここがそうなんです?」


 守衛で許可証を見せると、鈴は施設の隅の方をさし示して車を降りる。


 ここの建造物はどれを見ても厳つく強固そうなものばかりであるが、目の前のそれはさらに拍車がかかっていた。

 とてつもなく巨大で、しかも分厚い扉でおおわれている。

 カードを操作してロックを解除するが、鈍重な扉はなかなか開こうとしない。


「相変わらず、何度やってもイライラするほどに遅いわね……」


 背後を振り返りながら苛立たしげに足踏みする。

 扉が開く、ただそれだけで重低音が周囲に鳴り響いていた。


「いいんですか?この部屋の使用にも許可が必要じゃないんです?」

「ここはいいのよ。有事に備えて、誰でも入れるようになっているんだから」


「……有事って、何ですか」


 ただ事ではない言葉の響きに珠江がおじけづく。

 もちろん、そんなことには気も留めず、鈴はようやく空いた扉からずんずんと中に入っていく。


「早く入ってきなさいよ。別に、あなたが入る必要はないんだけどね」

「ま、待ってください!」


 また”十和子”と二人っきりにさせられては叶わないと、珠江も急いで建物の中に身を隠す。

 開ける時と同じくらい鈍重に、扉が再びしまっていく。


 部屋の中は、驚くほど簡素であった。

 こういった研究施設といえば、所狭しとパソコンやモニターが並ぶものだと思っていた珠江は、いささか拍子抜けした様子だった。


 四角い箱の中に簡易的な寝床や質素なパソコンのモニターが一台だけ。

 研究施設というよりも、何かの避難所のような作りを見て、珠江の脳裏に一つの単語が思い浮かぶ。


「先輩、ここ、ひょっとして”シェルター”ってとこですか?」

「ご名答。万が一、施設がトラブルを起こした際、敷地内の全員が避難できるように作られているの」


「でも、ここのどこがバリアーになるんです?」

「いい質問だわ」


 再び懐からペンを取り出し、ホワイトボードに何かを書き始めた。

 といっても、書いたのは簡単な図形で、たった四本の直線だった。

 直線の横に名前を付けるように、それぞれ『α』『β』『γ』『n』と記載する。


「いい?この4本の線が、現在放射線と呼ばれるものよ。これらは、それぞれ異なる原理で人体や物体に作用して、何らかの影響を与えるとされているわ」

「何らかの作用って、ちょっと怖いです……。浴びたら最後、緑色の泡ブクになって溶けちゃうんでしょ?」


「あんた、放射線を何だと思ってんのよ?」


 呆れるようにため息をつく鈴。緑色の泡にはなったりはしないが、確かに重度の放射線障害の中には皮膚が放射化して焼けただれるといった重篤なものも含まれる。今は時間が惜しく、訂正することも難しいので省くことにした。


 どちらにせよ、今の珠江には不要な知識だ。


「とにかく、”十和子”が何らかの手段であたしの位置を捕捉しているのは間違いないわ。人ごみにまぎれたり、色々試してみたけど、結局分かったのは何らかのレーダーのような仕組みが働いているということだけ。目視では到底追えないような状況でも、アレは易々とあたしの位置を突き止めて見せたもの」


「レーダーって、何か電気を飛ばして相手の位置を特定するんでしたよね?」


「おおよそ間違っていないわ。つまるところ、レーダーってのは何かを飛ばして、その反射を検知して場所を特定するの。あるいは、ビーコンのように特定の電波を発信し続ける類のものもあるわ」


「いずれにしても、何かしらの電波を飛ばしている、ということですね」


 珠江が十分に理解したことに満足すると、鈴は四本の線の一番上『α』と書かれたものを指さす。


「4つの放射線のうち、最も透過力に乏しいのがこのアルファ線よ。正体はヘリウムの原子核。重いうえに相互作用も強いもんだから、紙切れ一枚で簡単に遮断できるわ」


「なんだか、全然安全そうですね」


「人体の外にあるうちは、ね。間違って線源を飲み込んだ日には、崩壊が終わるまで被爆し続けるのよ?こういった施設で飲食が禁止されているのは、そういう理由もあるの」


 『α』と書かれた線を薄い一本の線で遮断すると、

 続いて『β』と書かれた線をさし示す。


「お次がベータ線。これの正体は単なる電子よ。アルファ線よりも透過力に優れるけど、アルミホイル一枚すら透過することはできないわ」


「SFとかで電子銃ってみますけど、これのことですか?」


「フィクションの原理なんてよくわからないけど、電子で直接何かを攻撃するものなら、太古の昔から『雷』と呼ばれてるわね。


 『β』の線は少し太めの線で遮って、次は『γ』と書かれた線に移る。


「三つめがガンマ線。世間一般で”電波”と呼ばれてるのはこれに該当するわね。正確にはガンマ線が電波の一部なんだけど……。X線からラジオ波、電子レンジのマイクロ波まで、それこそ世界中を飛び交っているわ」


「あ、私のレーダーのイメージってこれのことだったんだ」


「まあその通りよ。世間で一番使われてる放射線ですものね。建物の中でもラジオが聞けたり、レントゲンが体内を透かして見せることからわかるように、こいつの透過力は上の二つよりもはるかに強いわ。鉛のような、重い金属で遮るしか方法はないわね」


 『γ』の線を、分厚い鉄板のような壁で遮った後、最後に『n』と書かれた線を指す。


「最後が中性子線。英語で書くとneutron。名前の通り、中性子のビームよ。細かい説明は省くけど、こいつはガンマ線以上に他者との相互作用が弱いわ。鉛でも簡単に貫通するの」


「そんなもの、どうやって防ぐんです?」


「ネタバラシしてしまえば簡単。中性子は中性子で防ぐ。中性子をいっぱい持っている物質であれば、防ぐことが可能よ。実は、水がそれに該当するわ。原子炉の冷却に水が使われているのには、そういった背景もあるの」


 『n』の線を、コップに注いだ水の絵で遮断する。


「ということで、”十和子”がこのいずれかを検知してあたしの居所を探り当てている可能性が高いわけ。だから、この4つを遮断できるこの施設を選んだのよ」


 ようやく合点がいったようで、珠江が感心したように頷く。


「レーダーが効かなくなれば、先輩を見失う。見失えば、もう逃げ続ける必要もないんですね!」


「こんなところに籠り続けるのは御免だけど、放射線の種類が分かればもっと簡単に隠れることもできるでしょ」


 ガツン、と激しい音を立ててようやくシェルターの扉が閉まり切った。

 外の明かりはなくなったが、代わりに非常灯が室内を照らす。

 重低音の消えた室内は、不気味なほどに静まり返っていた。


「さて、これでようやく腰を落ち着けて色々と検証できるかしら」


 軽いため息をつき、モニター前の椅子に腰かける。

 さすがの鈴も、移動ばかりする生活に若干疲れを覚え始めていたのだ。

 椅子に深々と体重を預け、肩を落とす。


 事が起こったのは、その瞬間だった。


 部屋の中が急に暗転した。室内灯がいきなり切れたのだ。


「きゃっ!」


 珠江が短い悲鳴を上げる。

 シェルターの中は、先ほど鈴が懇切丁寧に説明したように外部からのあらゆる光を遮断する。

 完全な暗闇に落ちた室内で、手探りでスマホを探り当てようとする。しかし、動揺のあまりなかなか探し出すことができない。


 そうこうしているうちに、鈴の座っているあたりからぼんやりと明かりが灯る。どうやら、鈴がスマホを点灯させてくれたらしい。


「先輩、これはどういうこ……」


 暗闇に浮かぶ鈴の白い肌。

 しかし、何かがおかしい。珠江の直感が、またも警鐘を大音量で鳴らし始めていた。


「珠江……逃げる準備をしておきなさい」


 冷静に、しかし断固とした口調と共に鈴が立ち上がる。

 明かりは鈴の豊かな胸元を照らし出していた。それを見て、珠江は違和感の正体に気づいた。


 鈴の手には、何の光源も握られていない。ぼんやりと光を放っているのは、その後ろのモニターだったのだ。


「ど、どうしてモニターがついてるんです!?停電したはずじゃ……」


「シェルターの電源は二重三重に確保してあるの。停電の可能性は限りなく低いわ。つまり、原因は他にあるのよ」


 その声を引き金にしたかのように、モニターが何かの映像を映し出す。

 鈴は、その映像に見覚えがあった。3日前、研究室のPCで見た、忌まわしい映像だ。


「珠江、なるべくその映像を見ないようにしておきなさい。念のために、ね……」


 再び扉に駆け寄り、大急ぎで開錠の手続きを始める。

 しかし、致命的なまでに遅い。そうこうするうちに、モニターが深海に沈む"十和子"の姿を映し始めた。

 力なく、どこまでも深く沈んでいく"十和子"。だが、不意にその方向が画面のこちら側に変化する。


 水を吸ってぶよぶよに膨れ上がった手のひらが、モニターに触れる。

 触れる、確かにそう思ったがそうではなかった。

 カメラのレンズに触れようとしていたその手は、そのままモニターのこちら側に向かって突き抜けてきた。


「やっぱり、出てきた!貞〇と一緒じゃないですか!」


「珠江!映像を見るなと言ったはずよ!いいから少しでも出口に近づきなさい!」


 緊張に強張る鈴の声。どんな時も冷静な彼女の頭脳は、"十和子"がモニターからせり出してくる時間と、鈍重な扉が開くまでの時間を比較していた。

 計算するまでもない。絶対に間に合わない。


 思いついた事実を、吟味することなくそのまま口に出すのは鈴の悪い癖だった。

 この悪癖のせいでこれまで何度も辛酸を舐めてきたが、それでもそうそう治るものではないから癖というものらしい。

 今もまた、鈴は誰に言うでもなく、淡々と正確に事実を口に出した。


「多分……あたしはもうすぐ死ぬでしょうね……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る