本当に逃げ切れないのか検証してみる 3
「そこじゃない!右です!ああ、ちょっとまって、やっぱり左です!」
迷路の目の前で、珠江は人目も気にせずに大声で電話口に声を飛ばしていた。
見た目も麗しい清楚な女性が、モニター片手に大声で騒ぐその姿を、道行く人々はとても残念なものを見る目で横を通り過ぎていく。
好意の視線を浴びることは多々あっても、好奇の視線にさらされる経験の少ない珠江だったが、鈴と付き合うようになってからはそんなものを気にしている余裕などないことがしばしばあった。
もちろん、今もその真っ最中である。
モニターの中の鈴は、迷路の中で二つの敵から逃げ続けている。
“十和子”と、投げ飛ばした若者の二つが、それこそ目を血走らせて鈴の姿を追っていた。
しかも、とっさに逃げ出したせいで鈴があらかじめ覚えていた逃走経路をド忘れしたため、上空から俯瞰で見れる珠江にナビを一任したのだ。
「ああっ!男たちが二手に分かれた!?ちょっと勘弁してほしいです!」
頭を抱えたくなるが、両手はモニターと電話でふさがっている。
珠江は複雑なパズルを解かされている気分になっていた。
迷わず最短距離を進み続ける”十和子”に、ランダムに動き回る若者たち。これらの敵に遭遇しないように、しかし迅速に鈴を出口まで誘導しなければならないのだ。
鈴であれば難なく解いてしまうところだろうが、文系脳の珠江には回路がショートしそうになるほどの難問である。
『珠江!次は三差路よ?どっちに行けばいいの?』
「ちょっと!ぐるぐる回らないでください!左右が分からなくなるうううう!!」
昼下がりの遊園地に場違いな、悲痛な叫び声がこだました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……すまなかったわね、珠江……」
珍しく反省した様子の鈴。小さな体をいつも以上に縮こまらせて、今はバイクのサイドカーに収まっていた。
珠江はげっそりとこけた頬で、かろうじてバイクの操作をしていた。
夕暮れの郊外の一本道。車通りのない道を二人はゆっくりと走り続けていた。
「もう、こんな命がけのゲームは止めにしてくださいよ?自分じゃなくて、他人の命がかかってるなんて責任重すぎです!」
「眼鏡を触られるのだけは、いまだにダメなのよね……」
まるで外れかけた爆弾の信管を扱うような手つきで、眼鏡に触れる。
彼女の眼鏡を狙った長身のナンパ男の推測は半分正しかった。鈴の眼鏡は性格を変えるトリガーである。ただし、逆鱗に相当する危険物だ。
無骨な黒ブチ眼鏡は、彼女が科学を志すきっかけとなった恩師からの贈り物だった。科学に全てを捧げた鈴にとって、ただ一つの貴重品である。
「彼らにも悪いことをしたわ。前途ある、科学に興味もある若者たちにあんな仕打ちをしてしまうなんて……」
「まあ、そこはあまり反省する必要はないと思いますけど……」
「それでも、得られた結果は貴重だわ。これでまた一つ、真実に近づいたわね」
エンジンの軽い音が、平原の中にしみわたっていく。
反省はしたものの、結果には満足した様子の鈴を横目に見ながら、珠江はおもむろに口を開いた。
「……まだ、懲りないんです?」
「どういう意味よ?」
「確かに、今日の結果は有意義だったと思います。複雑な通路に逃げ込めば、少しは時間が稼げることが分かったんですからね」
「追跡メカニズムにも一つの仮説が生まれたわ。とても有意義な実験だったわよ?」
「でも、結局は逃げきれない」
いい加減に慣れてきたのか、ためらいもせずにサイドミラーを覗き込んだ。
そこには、道の真ん中に立ち尽くす”十和子”の姿があった。
バイクのスロットルを回し、スピードメーターを見やる。時速50kmを優に超えているのを確認したが、サイドミラーに映る”十和子”の大きさに違いはない。
「やっぱり、何度確認しても変わりません。アレは、先輩から一定以上の距離を開けると急にスピードアップして追いかけてくる。まるで、見えない紐で結ばれてるみたいに。どんなにスピードを上げても、逃げ切ることはできないんです」
「確かに、これだけ時間を空けても状況に変化はない。大した再現性だわ。アレはもはや生物ではなく、なんらかのシステムのような存在みたいね」
平然と背後の”十和子”を観察しながら、目測でおおよその距離を割り出そうとしていた。
そんな鈴の様子に、珠江はしびれを切らしたように叫ぶ。
「怖くないんですか!?絶対に、逃げ切れないかもしれないんですよ!?」
「確かに、これまでの結果は、全てその結論に帰結するわね」
「他にやれることはないんです!?あんなに強力な呪いを残すなんて、よっぽど”十和子”は悲惨な死に方をしたに違いありません。探して供養してやれば、成仏するかも……!」
「……そうやって、実際に助かった人の話を聞いたことあるの?」
「ッ……!!」
我を失いそうになるのを必死にこらえて、珠江は意識をつなぐようにスロットルを握りしめた。
「先輩、私は本当に心配してるんです!」
「わかってるわ。こうまでして付き合ってくれて、本当に感謝してる。でもね……」
真っ直ぐに珠江を見据えるその瞳には、何の躊躇いも迷いもない。
「この世に不思議な力があるのは認めるわ。科学の光は未だに世界の全てを照らせてはいないもの。でも、理不尽な力を認めるのであれば、それは科学者を廃業するときよ。呪いという超能力でなんでもできるなら、人一人殺すのにこんなに回りくどい方法をとらなくちゃいけないなんておかしいわ。呪いには呪いの法則や仕組みがあるのよ」
とうとうと語る鈴。幼い頃から染みついた科学者としての哲学は、今も彼女の背骨を貫いている。
「だから、あたしは諦めないわ。諦めるときは、あたしが死ぬときよ」
夕日に照らされた鈴の青い瞳は、どこまでも透き通り、眩く輝いていた。
その輝きに、珠江は父が持つのと同質の”信仰の光”を見た。
鈴は、科学を信じ、科学にその身を懸けている。それは、殉教者の境地に近い。迷いのない瞳は、珠江には神々しく感じさえした。
「繰り返すけど、巻き込んでしまって、本当に済まないと思ってるわ。他に、こんなことに付き合ってくれる知り合いなんていなかったし……」
最後は、少しだけ恥ずかしそうに口ごもる。
無表情な鉄面皮の鈴だったが、長年の付き合いでその表情を読むことができるようになっていた。
そんな鈴の顔が、なぜか叱られた子供のように見えてきて、おもわず珠江の口が綻ぶ。
「先輩、友達少ないですもんね……」
「人付き合いが苦手なの。自分の話を始めるといつの間にか周囲に人がいなくなってしまうのよ。不思議だわ……」
心底不思議そうに首をかしげる。
年齢に似合わぬ仕草に、珠江は貯まらず噴き出した。
「プッ……仕方ありませんね。私も、大恩ある先輩を放っておくことなんてできません。先輩が諦めない限り、私もどこまでも付き合います」
「珠江……ありがとう」
「それで、これからどうするんです?」
何気なく口走ったそのセリフに、鈴の眼が怪しく輝くのを珠江は見逃さなかった。
夕日に映える青い瞳が、今は怪しい光に揺れている。珠江は、余計なことを口走ったと痛恨の表情を浮かべた。
「せっかくだから、この際”十和子”の移動速度を計測してみましょう。バイクはあたしがゆっくり運転するから、あなたが”十和子”の速度を計測して頂戴」
「……え?」
珠江の表情が凍り付く。彼女も、頭の回転は決して遅くない。
これまでの経験から、鈴が自分に何をさせようとしているのかを悟ったのだ。
「速度を測るって、どうやるんです?」
「わかってるでしょ?アレはあたしたちにしか視認できない。映像には映るけど、それを見れるのはあたしたちだけ。普通の速度計では計測不可能よ。つまり、並走して実測するしかないでしょ」
「……そういうのは、先輩がやったらどうです?」
「あなた、さっきからわかってる質問ばかりしないで。あたしが並走したら、すぐに掴まっちゃうじゃない。大丈夫、あなたに害がないのは、これまでの実験で検証済みよ」
「慣れたとはいっても、あんなのの隣にずっと貼り付けっていうんですか?」
ふるふると首を震わせる珠江に、鈴の容赦ない叱咤が飛ぶ。
「さあ、実験を始めましょうか!」
「いやあああああああ……」
―――十和子の呪いに関するレポート(2日目)―――
・対象者との最短経路を常に移動する
・対象者と一定以上の距離を離すことはできない
・移動速度は時速5.2km(測定に要した時間、約1時間)
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