本当に逃げ切れないのか検証してみる 1
世間一般に”呪い”と呼ばれるものは数多く存在する。
しかし、その効果を直接実感したことのある人は、数えるほどしかいないのではないか?
不幸にも自分が呪われてしまったとの確信を持った者は、次にどんな行動をとるだろうか。
おそらく、神社、仏閣、教会に駆け込み、助けを乞うに違いない。
神社の娘として生まれた
『呪いの手紙を受け取った』 『急に胸が痛くなった』 『何者かの視線を感じる』 『不倫現場を目撃された』。
由緒正しい神社の神主である父は、それらに一つ一つ誠実に丁寧に対応した。
呪いの手紙は3日間祈りをささげた後にお焚き上げしたし
胸の痛みは症状を事細かく聞き、心臓外科医を紹介した。
他人の視線が気にならなくなるように、メンタルトレーニングを2か月も施すこともあれば、不貞問題に強い弁護士を斡旋することもあった。
呪いという超常現象に触れてしまった人は、同じように超常的な場所に助けを求めるのが普通だと思っていた。
しかし、なんにでも例外はある。
彼女の先輩は、まごうことなき呪いをその身に受けてしまったが、彼女が向かったのは神社でも病院でも弁護士事務所でもなかった。
珠江は、なぜか疲れ切った瞳で呆然と空を見上げていた。
「……先輩、私達……なんでこんなところにいるんです?」
『もちろん、呪いを解くためよ』
電話の向こうから、何か確信に満ちた声が返ってくる。
珠江の先輩である、鈴の涼やかな声は、雑踏の多いこの場所では耳を澄まさなければ聞き逃しそうなほどにか細い。
スマホをしっかりと耳にあて、声を聴き洩らさないように集中する。
「普通の人って、呪いを解くためにこんなところに来ないと思うんですけど……」
『あなたの言う”普通”ってのが何を指すのか分からないけど、あたしがこの場所を選んだ理由はさっき説明したわよね?』
「そりゃあ、そうですけど……なんか、呪いを解くって、こんな場所でやることじゃない気がするんです」
『呪いのメカニズムを解明するには、この場所が最適なの。それより、ちゃんと手元のモニターから目を離さないでよ?』
すぐそばを、声を弾ませた男の子が駆け抜けていく。そのすぐ後に、疲弊した様子の父親が慌てて後を追う。
両手には何やら大きな手提げ袋を抱えていた。
「ちゃんと見張りは続けてますって。でも、この場所はあまりにも緊張感がなさすぎませんか?
『何言ってるの。こんな大事な実験の最中に油断するなんてありえないわ』
「いや……場所の雰囲気の問題なんですって……すいません、人並みな共感を先輩に期待した私が愚かでした」
これ以上説明しても同意は得られないだろう。
珠江は改めて周囲を見回した。
週末の遊園地ともなれば、家族連れで大賑わいになるのは当然だ。
風船をもってはしゃぐ兄弟に、カメラを片手にせわしなくシャッターチャンスをうかがう両親。
広場ではピエロが玉乗りするイベントまで開催されており、下手をすれば日本で一番”呪い”という単語が似合わない場所かもしれなかった。
フリルのついたスカートに、現実ではありえない色と髪型のかつらをかぶった女性たちまでいる。
遊園地主催のコスプレイベントの参加者たちも相まって、園内はさながら異世界のような賑わいを見せていた。
『それで、”十和子”の現在地はどうなの?』
「ええと、ちょっと待ってください……」
手元のモニターを覗き込む。
そこには細長い迷路の中を漫然と進む、黒髪白装束の女性の頭部が映し出されていた。
その進路を確認すると、珠江は場違いに感嘆のため息を漏らした。
「先輩の予想通りです。袋小路にはまることも、寄り道することもなく、最短ルートで先輩の元に向かってます」
『……やはり、あたしの仮説は正しかったわ』
無許可で飛ばしているドローンのカメラには小柄な鈴の金髪しか映っていないが、きっと電話の向こうで不気味な笑みを浮かべているに違いない。
『あたしの位置をどうやって特定しているかは不明なままだけど、”十和子”はターゲットまでの最短距離を常に把握しているわ。迷路の中に拡散した粘菌が、餌までの最短コース上で合体する仕組みに似ているわね。ひょっとしたら、この大気中に”十和子”の成分が拡散しているのかしら?』
「気味の悪いこと言わないでください。呼吸するのがちょっと嫌になるじゃないですか」
『移動速度はどう?変化してる?』
「迷路に入る前と変わってないようです。ずっと同じ速度で動いてます……あ、先を歩く親子連れを丁寧に迂回していきます。マナーはしっかりしてるみたいですね」
呪いにマナーがあるとは思えないが、珠江は見たままの感想をそのまま述べた。
『きっと、移動している人間も迷路の壁も、”十和子”にとっては障害物でしかないのよ。障害物を迂回したうえで、最短ルートをとっているにすぎないわ』
「あ、恰幅のいい男性の横を通るときは、体を横にして通ってます。カニ歩きしてる幽霊って、初めて見たかも」
『物体には直接干渉しないくせに、なぜか素通りしようとしないのよね。また一つ、貴重なデータが手に入ったわ』
「それに、こうすれば少しは時間が稼げそうですね」
『確かにそうね。直線で移動している時と速度が変わらないのであれば、こうして迂回させる分だけお得になるわ』
必要なデータを収集し終え、鈴が撤収を始めようとしたその時だった。
巨大迷路の真上から全貌を見ていた珠江の眼に、危険極まりないものが飛び込んできた。
「先輩!今すぐそこから逃げてください!」
『何?”十和子”とはまだ十分に距離が離れてるでしょ?まさか、またワープしたの!?』
「違います……ある意味、もっと厄介なものです……」
警告もむなしく、電話の向こうから軽い口笛とやたらとテンションの高い歓声が漏れ聞こえるのを確認して、珠江は目を閉じて天を仰いだ。
こうなってしまったら、もうなるようにしかならない。珠江はいるかもわからない神に向かって静かに祈りをささげた。
「どうか、誰も大けがをしませんように」
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