本当に呪われたのか検証してみる 後編
その朝、櫛田珠江(くしだ たまえ)は非常に珍しい人物からの呼び出しを受けていた。
大学の先輩であり、親友でもあり、大恩人でもある彼女の呼び出しとあれば、それがデート当日の朝であっても駆けつけるのが珠江という女性だった。
黒髪黒目、一般的な日本人としての特徴を備えた女性である。
しかし、整った容姿と人当たりの良い性格も相まって、一般的な日本人とは程遠い男性遍歴を持つ。
デートをドタキャンしたとして、彼女にとっては痛くもかゆくもない。しかし、それはキャンセルされた男性の方も同様だ。
手玉に取る、というよりも、どんなことをしても許されてしまう。そんな不思議な人徳と魅力を備えた女性であった。
「それにしても、先輩がこんなところを指定するなんて珍しいですね……」
約束の時間まであと少し。
先に指定された場所に到着した珠江は、カフェのオープンテラスで少し遅めの朝食をとっていた。
「こんな人通りの多い場所に出てくるような人じゃなかったと思うんですけど。何かあったんでしょうか?」
一人でぼそぼそと呟く。小声では誰も聞こえていないだろうとタカをくくっていたが、彼女の容姿にひかれて、道行く男性はチラチラと彼女に視線を送っていた。
そんな視線には慣れているようで、珠江も気にせず独り言を続ける。
「大体、いつも先輩は唐突なんですよ。社会人ともなれば、普通なら予定は一週間以上前に連絡するのが常識ってもんです。
キンキンに冷えたアイスコーヒーをちびちびと飲みながら、不平とものろけとも取れるようなあいまいな愚痴をこぼし続ける。
「最後に面と向かって会ったのは……いつだったでしょうか……?確か、出した論文が何とかって賞をとったから軽くお祝いしようって誘われたんでしたね。研究室の人達とはいかないんですかって聞いたら、『追加検証の実験で大失敗をやらかして追い出された』って……。真面目でコツコツやる人なのに、何故かこういうところに運のない人なんですよねえ……」
ささやかな祝いではあったが、酒を飲んだ瞬間に眠ってしまったため、ほとんど会話することもなかったことも併せて思い出す。
それを考えると、まともに会話するのは数年振りかもしれない。
「顔も見てないけど、何か変わったことでもあったんでしょうか?」
少しだけ心配そうに呟いた、その時だった。
カフェの面している通りの向こう側から、男女のどよめくような声が聞こえてきた。
それも、一人や二人ではない。まるで押し寄せる津波のような勢いで、それは徐々にこちらに迫ってきていた。
その音を耳にして、珠江は嬉しそうに嘆息した。
「やっぱり、鈴(りん)先輩はいつまでも変わらないんですね」
「……どうしてあたしが来たって分かったの?」
振り向いた先には、数年前とまったく変わらない先輩の姿がそこにあった。
名前は逢沢鈴(あいざわ りん)。
イギリス人の母の血を色濃く継いだ、金髪碧眼の絶世の美少女。いや、美女と呼ぶべきか。
150㎝程の身長と人並外れた童顔のせいで、よく未成年と間違えられることもある。
そんな女性が、サイズの大きな白衣を引きずって街中を歩けば嫌でも人目を引くだろう。
遅刻しそうな自覚があったのか、少し息を切らしている。
「歩くだけでこんなに人込みをザワつかせるなんて、先輩くらいですよ。こうなるって分かってて、どうしてこんな場所を待ち合わせ場所に選んだんです?」
「もちろん、ちゃんと理由があるわ」
美女二人が並んでオープンテラスに座っていれば、それだけで十分に人目を引く。
鈴はそんな視線を煩わしそうに切り捨てながら、特に何の注文もせずに珠江の隣に座った。
「先輩、注文しないんですか?」
「今、お金がないの。それに、きっとゆっくり食事をしている時間はないわ」
「あんなにたくさん仕事して、賞もとっているのにどうしてそんなに貧乏なんです?」
「それと同じくらい事故も起こしているし。それに、余計なお金があったら研究に回しちゃうもの……」
特に何の感慨もわかないといったように、いたって真面目な無表情で淡々と答える。
鈴の特徴の一つでもある。とにかく表情が乏しい。滅多に笑わないし、笑ったとしてもすこぶる不気味なのだ。
「本当に、全然変わんないですね。先輩は……」
嬉しそうに目を細めて珠江は笑う。そんな彼女の言葉や表情の意図が読めず、鈴はその透明な表情に少し不快そうに眉根を寄せた。
鈴は、相手の話や意図が理解できないことを何よりも嫌うのである。
鈴の不穏な気配を敏感に察すると、珠江は慌てて話題を変える。
「そ、それはそうと、今日はどういった用件なんですか?研究室に籠ってばっかりの先輩が外を出歩くなんて、珍しいんじゃないです?」
「その説明をする前に、確認しておきたいことがあるの。珠江、あなた確か神社の娘だったわよね」
「ええ、そうですよ」
「霊感があるとか言ってたし、他の人には見えないものが見えるとか、よく言ってたわよね」
「え……ええ……」
話の展開が読めずに、困惑する珠江。
今更言うまでもないが、鈴は完全無欠の理系女子だ。理屈で説明できないもの、幽霊や霊感といったものとは無縁の存在だと思っていた。
それが、急にそんな話をしだすなんて、何があったというのか……。
「先輩……今日の先輩、何か変ですよ?」
「そうね、もう3日以上も寝てないわけだから、少しは思考も鈍くなってるかもしれないわ」
「相変わらず不規則、というか滅茶苦茶な生活してますね。そんな不摂生して、なんでそんなに肌がきれいなんですか?理不尽にもほどがあります」
頬を膨らませる珠江の視界に、一瞬だけ違和感が生じた。
人ごみの多い大通りだ。加えて二人の美女、強いて言えば鈴の容姿に引きずられて、一層人の波は高い。
そんな大勢の人の波に、チラリと何かが映りこんだ気がしたのだ。
「これでも普段の栄養には気を使ってるからかしら。あとは、母の遺伝のおかげかもね……」
同じ視界を共有する鈴は、特に何の違和感も感じていないようで、普通に話し続けている。
違和感の正体もわからないので、仕方なく話を続けるが、珠江の視線はしきりに人ごみの向こう側に向けられていた。
「栄養って……まだサツマイモなんて食べてるんです?」
「食物繊維も豊富で、抗栄養素の割合も少ないわ。保存もきくし、何より安いのよ」
堂々と胸を張る。ダブついた白衣を強引に押し出すように、豊満な胸が強調される。
ささやかなバストを授かった珠江にとっては目に毒でしかなかったが、それでも今は違和感の正体の方が気になって仕方ない。
人ごみの、その向こう側に視線を送る。
無数の人影に紛れて、ぼんやりとした白い影に、次第に焦点が定まる。
「……あれ?」
「珠江、どうしたの?さっきから視線が泳いでるわよ?」
「いえ……その……」
都会の洗練された佇まいの中に紛れて、どうしようもない空白が目に飛び込んできた。
いや、それは空白ではない。目の前の鈴に視線を戻す。白衣に身に包んだその姿も十分に街中で浮いてはいたが、今、人ごみの中に浮かぶ"それ"は鈴の違和感を遥かに上回っている。
ズタボロの白い和服を身に纏った、縮れたボサボサの黒髪。
土砂降りにあったように全身ずぶ濡れで、一歩歩くたびに「びしゃり」という効果音が聞こえてきそうである。
ワカメのような長髪を前に下ろしているせいで顔を窺うことはできないが、チラリと隙間から除く肌は、皺くちゃを通り越して無数のヒダで覆われていた。
どう見ても尋常ではない見た目の女性が、人ごみの中に呆然と立ち尽くしている。
いや、こちらに向かって真っすぐに歩いてきている。
明らかに様子のおかしなその女性に、周囲にいる大勢の通行人は誰一人気づこうとしない。いや、見えていないのだ。
珠江は幼い頃から何度もこういう経験をしてきた。
周りの誰もが見えないのに、自分だけが見える存在がごく稀にいるのだ。
しかし、今回の"それ"は、今まで見てきたどんな存在よりもはっきりと認識できたし、周囲に放つ禍々しい気配は正視に耐えるものではなかった。
恐怖に歪む珠江の顔。たまらず鈴に呼びかける。
「先輩……!」
恐怖に身をすくめる珠江。
しかし、助けを求めるように向き直った先にあったのは、不気味に微笑む鈴の顔であった。
何か確信に満ちた表情で、満足そうにこう続ける。
「やっぱり、あなたにも見えるのね……」
「先輩、まさか……?」
「事情の説明は後にしましょ。とにかく、あれに追いつかれるとまずいことが起こるみたいなの」
言うや否や、鈴は珠江の手を取って白い女から遠ざかるように歩き出した。
「念のために確認しておくわ。あなたの目に映っている、それの外見を簡単に説明して頂戴」
珠江は手短に応える。その答えに、何故か満足そうに鈴は頷いた。
「あたしは事前に何の情報もあなたに渡していない。にもかかわらず、あなたにはあたしと同じものが見えている。これで間違いないわね……」
満足するだけに飽き足らず、その時の鈴は嬉しそうに笑っていた。
珠江は知っていた。鈴は、自らの仮説が立証できたとき、こうして狂気の笑みを浮かべるのだということを。
科学者としての鈴は、いついかなる時でも変わることはない。仮説を立て、プランを練り、検証するのだ。
今も鈴は、自ら実証した説を嬉しそうに珠江に解説してみせた。
「間違いない。あたしは、呪われているわ……!」
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