本当に呪われたのか検証してみる 前編
カタカタカタカタ……と、無機質なキーボード音が淡々と響く。
ここはT大学情報基盤センターの一室。
世界中に名を馳せる研究者たちが集う、その中枢ともいえる場所だった。
研究室の中にキーボード音はよく馴染むが、その部屋には二つの異音が混じっていた。
普通の研究室の中では、めったに耳にしない音である。
一つは、巨大な風切り音。
部屋の中に無数に敷き詰められた巨大なスーパーコンピュータを冷却するため、吹き荒れる嵐のような音が鳴り響いていた。
センターの職員であれば、スパコンを使って作業をする者も多いだろう。しかし、スパコンのすぐ近くで作業をするのは彼女くらいだ。
スパコンの部屋は放熱を抑え込むためのエアコンでキンキンに冷えきっており、人が立ち入って作業するように設計されていないからだ。
しかし、そんな環境は彼女にとって好ましいものであった。なにしろ、彼女は無許可でスパコンをハッキングして作業をしていたのだから。
二つ目の異音は、その女性が発していた。
部屋の隅っこに座り込み、一心不乱にノートPCの画面を見つめながらキーボードを操作している。
その女性は、センターの中で最も有名、かつ希少な存在であった。付け加えるならば、あらゆる者から羨望と畏怖の両方を一身に受ける存在でもある。
女性の外見で最も印象深いのは、その瞳だろう。大きく、どこまでも澄んだ青い瞳は淡く奥ゆかしい輝きを放っている。
絹のように流麗な金髪を無造作に後ろに束ね、その隙間から雪のように白い肌が透けて見える。
はじめてその女性を見る者がいれば、その美しさに一瞬言葉を失うに違いない。
しかし、その容姿に惹かれて声をかけることがあれば、数分と経たずに後悔にさいなまれることだろう。
作業がひと段落したのか、少し肉厚のピンクの唇がゆっくりと開く。
「フ……フフフフフフ…………グフフフ………」
二つ目の異音。ここが深夜の廃校であったならば、聞いた者全員を卒倒させる不気味でおぞましい笑い声。
ナイフで斬り裂いたような笑顔を浮かべ、狂気の哄笑は続く。
「ようやく計算が終わった……これで……これでようやく実験に取り掛かれるわ……フッフッフッフ……!」
妖艶というか、ただひたすらに不気味な笑みを浮かべると、女性は白衣のポケットから何かを取り出す。
陶器のように透き通った指の間には、パチンコ玉ほどの球体が挟まれていた。
金属ではない、それこそ陶器のような鈍い光沢をもった球体である。
女性は、その球体を愛おしそうに頬ずりする。
「待っててね。もう少しで、あなたを世界最高の発明品に進化させてあげるからね……フフフフ」
小さな球体を大事そうにポケットに戻すと、今度は逆側のポケットから何か大きな塊を取り出した。
こちらには頬ずりすることはなかったが、代わりに小ぶりな唇を目いっぱい開きそれにかぶりついた。
蒸かしたサツマイモである。
もっとも、冷蔵庫並みに冷え切ったスパコン室の中に放置されていたのだから、すっかり固くなってしまっているが。
「今は何時かしら……」
腕時計に目をやる。時計は深夜の3時をさし示していた。
「計算終了まで76時間か……思ったより時間がかかったわね……」
こともなげに独りごちる。女性は、丸3日間ここで作業を続けていたのだ。
仮眠は取れない。この気温で寝ようものなら、間違いなく凍死するからだ。
「さすがに、ちょっとだけ眠いわ……」
軽く目をこする。サファイヤのような青い瞳の上には、無骨な黒縁メガネが堂々と鎮座していた。
はっきり言って端麗な彼女の容姿には致命的に似合っていない。しかし、そんな無骨なメガネをもってしても、彼女の容姿にいかほどの陰りも落とせなかったが。
そんな折、PCの画面にメールのアイコンが表示された。
「こんな時間に珍しいわね……海外から論文の査読結果でも届いたのかしら……?」
眠い目をこすって、適当に送信されてきたファイルを開く。
すると、突然PC画面が真っ暗になった。
「……ちょっと!まさかウィルス!?せっかくの計算が無駄になっちゃうじゃない!」
普通の人間ならばハッキングしているスパコンの心配をするところだろうが、今の彼女の優先順位はそうではない。
心配をよそに、ブラックアウトしたPCスクリーンに、ぼんやりとした白い像が浮かび上がってくる。
「なに、これ?ウィルスにしては手の込んだ演出ね?」
映像は、白いズタボロの服をまとった黒髪の女性を映し出していた。
画質は荒く、ノイズが走るたびに別の場面へと頻繁に切り替わる、何度もダビングを重ねたビデオテープを見せられているようであった。
意味不明な漢字や、海の底を連想させる群青の情景などが続けざまに映り込む。
女性は、ふとメールの件名に目線を送る。そこには、何とも間抜けで不気味な通告が記されていた。
思わずその文章を読み上げる。
「おめでとうございます。たった今、あなたは呪われました」
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