プロローグ-2(読み飛ばし可)
翌朝、観光地として名高いK県S海岸の浜辺で奇妙な物体が発見された。
夏の盛り。観光シーズンのど真ん中で、そのニュースは地元で一際大きく報道されることになった。
第一発見者は浜辺で犬を散歩していた老人だった。
正確に言うのであれば、第一発見者はその犬だったろう。
発見当初。老人は、付き合いの長い普段はおとなしい老犬が唐突に吠え始めた理由に見当がつかなかった。
相棒が吠えるその先に何があるのか、老いた眼では捉えることができず、好奇心にも負けてそのまま歩を進めてしまった。
果たして、その先に転がっていたものを見つけた時、老人にはそれが何なのかを理解することができなかった。
言ってしまえば、それはどこにでも転がっているありふれたもののように見えたし、それに対して愛犬がここまで警戒する理由も思い浮かばなかった。
それは、少し大きめのバスケットボールのように見えた。
真球と呼んで差し支えないだろう。明らかに自然の造形物ではありえないほど、キレイな球体だった。
一点だけ珍しい点を挙げるなら、その色だろうか。天然皮革のえんじ色とは異なり、そのボールは鮮やかなピンク色をしていた。
その色や形がようやく把握できるほどに近寄ってみたものの、それでも老人にはそれがなんであるかを突き止めることができないでいた。
遠巻きに見ても危険はないように感じたので、さらに近寄ってみる。
なぜか、愛犬はそれ以上近寄ろうとしなかったのに、だ。
仕方なく手綱を放し、ボールを間近で覗き込む。
鮮やかなピンクのボールは、近くで見ると表面が薄く輝いて見えた。ニスでも塗ったように、光沢があるのだ。
ここまで近づいたのだ。拍車がかかった好奇心を押しとどめることができずに、老人はそっとそのボールの表面を撫でてみた。
ひんやりとした感触が指先に伝わる。どうやら、そのボールは凍っているらしい。
なるほど、氷が光を反射して光沢を作り上げていたらしい。
夏の盛り。早朝とはいえ日はすでに上っている。
雲一つない空を蹂躙するように、顕現した太陽は容赦なく大地を炙り始めていた。
生暖かい風に、潮の匂いが乗って吹き寄せる。老人は、早朝の、このまじりっけのない爽やかな潮の香りが何よりも好きだった。
老犬の吠える声が次第に強くなる。
日が昇り、気温があっという間に上昇する。
生暖かい風が、老人とピンクのボールの間を吹き抜けていく。
やがて、老人はかすかな違和感を覚えた。
大好きな潮の香りに、何かが混じってきている。
鼻を突くような、生臭い匂いだ。
数回鼻をすすってその匂いを確認すると、背後で吠え続ける老犬の顔を見やる。
老いても鋭敏な彼の嗅覚は、この匂いをかぎ取っていたに違いない。
しかし、この匂いはどこから来るのか?
老人は改めて視線を目の前のピンクのボールに戻す。
すると、真球を保っていたその形状にわずかな変化が見えた。表面の光沢が消え、外側に向けてほんの少し膨張を始めたのだ。
凍っていたものが溶け出したのだ、そうなるのも道理というものだろう。
それよりも問題なのは、鼻を突く異臭がどんどん強くなっていくことだった。
強く鼻をすすって、記憶の中から匂いの元を思い出そうとする。どこかで嗅いだ覚えがある。
老犬の声がさらに増す。
目の前のボールは徐々にその姿を変え、それにつられるように匂いは強くなっていく。
どろり
そう表現するしかない動きで、ピンクのボールからひとかたまりの何かが零れ落ちた。
砂浜に落ちたそれは、落下の衝撃でピンクの被膜を周囲に撒き散らす。
その中から、乳白色の小石のようなものがこぼれ出てきた。
そこまでを観察し終えて、老人はようやくこの匂いの正体に思い至った。
同時に、目の前にあるピンクのボールが何であるかも理解する。
真夏の盛りだった。
容赦のない太陽の熱と、生暖かい早朝の風が、瞬く間にピンクのボールをもとの姿に戻しつつあった。
吐き気を抑えるように両手で口をふさぎ、
吠えることをやめない愛犬を置き去りに、老人は大急ぎで近所の交番に駆け込んだ。
その数時間後
昨晩、行方不明届けの出されていた女子高校生が発見されたとの一報が両親に届いた。
被害者の遺体は、数多くの殺人事件を捜査してきた警察においても「不可解」としか言いようのない状態にあった。
こうなってしまっては、死亡推定時刻すら不明であり、死因も特定することは困難であった。
たった一つ確実なことは、これが何者かによる殺人であるという点だろう。
遺体のそばに落ちていたスマホからは、少女が最後に両親に宛てたと思われる動画が記録されていた。
警察はこの動画から犯人の手掛かりを探り出そうと、あらゆる手段でその動画を解析した。
しかし、どこを探しても、その動画には少女の姿以外何も映ってはいなかった。
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