第3話 なんで?!

 それから。


 千花は何事もなく、普通の学校生活を送って―――いなかった。


 翌朝学校に向かえば、校門付近に若干の人集り。

 何故こんなところで人集りができているのだろうか。

 しかもその大半が女子である。

 朝に弱い千花の元々低かったテンションはさらに降下していく。


(入口付近に集まったら周りに迷惑になることくらい、高校生なら分かるでしょ)


 若干のイライラを抱えつつも、人と人との合間を上手くすり抜けて行った。

 迷惑集団から脱出した千花は軽くため息をつきながら下駄箱へと足を進める。

 しかし、その集団の中から千花を呼び止める声がした。


「あ、橘さん」


 ピクリと千花の耳が動く。

 その声は昨日、学校で最後に聞いた通る声。

 そこでようやく謎が解けた。朝から女子が集まっている理由が。


(も、しか、して……)


 ブリキの人形のように首を動かせば、そこにいたのはスラリとした背丈の好青年。


「おはよう」


(な、ななな、なんでいるのーー?!)


 挨拶とともに造形物のように1ミリの狂いもないスマイルが飛んでくる。

 まぁ本性を知っている千花には無意味なのだが、周りの女子たちは違う。

 全員が一斉に千花の方を向く。

 その鋭い目つきは肉食獣そのもの。


 ひっと声にならない悲鳴をあげた後、千花はその圧に後退りするとすぐさま校内へと駆け込んだ。

 急いで靴を履き替えて、目的地に続く廊下を駆ける。


(な、なんなのあいつ!)


 寝て落ち着いたはずの茜への怒りが再びふつふつと煮えたぎる。


 教室に着けば、固まっていた肩の力がどっと抜ける。

 乱れた呼吸を整えながら自席へ着くと自分に案じる。


(大丈夫。クラスの子たちは見てない、はず。大丈夫、大丈夫……)


 ふぅと一呼吸つけば、心拍数もイライラもだんだん収まっていくのを感じた。

 少し落ち着いてから授業の用具を出すためクマのついたお気に入りのバッグに手をかける。


「橘さん」


 ジジジとファスナーを開ける千花の手がピタリと静止する。

 声といい状況といい、凄く嫌なデジャブ感に襲われる千花。

 手まで冷や汗をかいている始末。

 再びゆっくりと首を動かせば……美形。


「お、は、よ」


 ヒュっと喉から変な声が出た。

 多分、今千花はもの凄く酷い顔をしているだろう。

 あたかも幽霊でも見たのかと思われるほど青ざめているに違いない。

 いや、千花にとっては幽霊と同等で恐ろしいものなので、この表情になるのはある意味仕方のないことかもしれない。


 たったの四文字の言葉と共に添えられたそよ風でも吹きそうな爽やかなスマイルは、千花でなければ軽く保健室送りだろう。

 おかげでいつにも増して周りがうるさい。

 もちろん、その中には黄色い声だけではなく、校門でも感じた貫くような視線も含まれている。

 千花の築き上げた平穏な学校生活に亀裂の入る音がした。


 こいつのせいで。




 放課後。


 皆自宅へ部活動へと散らばり始めた教室で、千花は隙を見計らって茜に声をかけた。


「沖田くん。先生が用事があるからって呼んでたよ」


 無理やり口角をあげた千花特性の作り笑顔で声をかければば、茜は一瞬片方の口角をつり上げた後、すぐに完璧なアイドルスマイルに戻る。


「そうなんだ、ありがとう。俺、どこに行けばいいかな?」

「この前の空き教室で待ってるって」


 千花も負けじと作りあげた笑みを貼りつけたまま答える。

 茜は表情を変えることなく荷物を持って立ち上がる。


「了解。ありがとね、橘さん」


 茜はじゃあ、と告げるとそのまま廊下へと出ていった。

 恐らく千花の意図を即座に読み取ったのだろう。

 あるいは元からこうなることを予測していたのかもしれない。


 茜が出ていってから少し時間をおいて、千花も同じ場所へと向かった。



 千花が空き教室の周りに誰もいないことを確認してから中に入ると、茜が偉そうに教室の真ん中に座っていた。


「遅い。どれだけ待たせんだよ」


 お前は多重人格かとツッコミたくなる茜の変貌っぷりに、今朝から抑えていた千花の怒りが耐え切れまいと言わんばかりに弾ける。


「そもそも、あんたが悪いんでしょ?!」


 千花はズカズカと茜に近寄ると、人差し指を綺麗な横顔の前に突き刺す。


「なんで絡んでくる訳?あんた自分がモテてること知らないの?すっごく迷惑だからやめて!」

「……知ってるよ」

「…え」

「知っててやってんだよ、バーカ」


 クックックと笑うその横顔は、千花を助けてくれた凛々しさの面影はどこにもなく、ただのイタズラ好きな小学生の顔だ。


「分かってるんだったら……」

「やめねぇよ」

「……は?」

「やめない」


 茜は椅子から立ち上がり千花の方へ体を向ける。


「なん…」

「嫌がらせ」

「…はぁ?」


 茜が唇の片端をつり上げる。


「お前が組に入るって言うまで続ける」

「な……?!」

「早く降参した方がいいんじゃない?お前の築き上げたものが崩れる前に」


(こいつ、全部分かってて……!)


 手のひらをこれでもかというほど握りしめて睨みあげる千花を茜は愉快そうに見下げている。


「どう?入る気になった?」

「ならない!絶対!」


 反射的に剥いた千花に対し、茜はどこか余裕そうにふーんと返事をする。


「まぁいい。じゃ、そういうことで」


 机の上に放置されていた鞄を手に取った茜は出入口まで向かうと千花の方を振り返る。


明日ね、橘さん」


 再び普段の好青年スマイルに戻った茜はそのまま扉の向こうへと消えていった。



 垂れ下がった拳がわなわなと震えている。

 千花は大きく息を吸うと天井を目掛けて声を張る。


「くそやろおおおおおお!!」


 千花の心情をのせた言霊は誰もいない教室にひどく響いた。



 ***

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