第2話 王子の素顔

(昨日助けてくれたのって、沖田くん……だよね?) 


 次の日、学校に向かえば茜は普段と変わらず、取り巻く男女たちと爽やかに話している。

 昨晩の恩人は千花の見間違いだったのだろうか。そう思えるほどに茜は平然としている。

 でも確かにあれは茜だった。ほんの一瞬だったが、顔はもちろんのこと、背丈も同じくらいだった。


(ありがとうだけでも言えたらいいんだけど……)


 助けてくれたことへの感謝をまだ伝えていない千花は茜に声をかけようとするもあの集団に入る勇気も乏しく、離れた場所からただチャンスを伺っていた。

 しかし、人気者の茜にそんな時は訪れることなく、そのまま昼休みに入ってしまった。


 購買に昼飯を買いに行こうと廊下へ出ると、少し遠くに隣のクラスの男子と話す茜を見つける。

 幸い、2人で話しているようで周りに取り巻いている奴らはいない。話しかけるなら今しかないと思った千花は勇気を出して茜に近づく。


「あの、沖田くん」


 千花がその名前を呼ぶと、綺麗な顔が話すのをやめてこちらを向いた。


「あれ、たちばなさん?どうかした?」

「えっと、昨日は助けてくれてありがとう」


 ぺこりとお辞儀する千花は、ピクリと眉を動かした茜に気づかない。


「凄いね、沖田くんって剣道もできるんだ。一瞬で狼の首をすぱーんっと…」

「橘さん、一体何を…」

「おーい千花ぁ?なにしてんの、早く行かないと数量限定絶品焼きそばパン売り切れるわよ」


 そうだ、今日は大人気の焼きそばパンが売られている日だった。

 星乃に呼ばれて昼飯を買いに行く目的を思い出した千花は、もう一度茜に向き直る。


「と、いうことで本当にありがとう。それじゃあ」


 もう一度軽く会釈をすると、千花は今行くーと星乃の元へと駆け寄る。


「ちょ…」


 引き止めようとする茜の声は千花の耳には届かなかった。


 千花が疾風のごとく去って行き、その場に呆然と立ち尽くす茜に、一部始終を見ていた梓月しづきが明るい口調で茜に問う。


「あーもしかしてあか、まずいとこ見られちゃった?」

「……」


 何も言わない茜を梓月は肯定と取ると、あーあといたずらっぽく声を上げる。


「どーするのー?このままじゃ噂になるのも時間の問題だよ?そしたら…」

「分かってる。早めに手を打つ」


 茜の答えに梓月は「まぁ頑張れー」と間の抜けた返事をすると自分の教室へと戻っていった。


(…橘千花、か)


 茜は友人と遠くを歩いている千花を一瞥すると、教室へと入った。



 ***



 放課後、千花が今日もバイトへ向かうため教室を出ようとすると、後ろから唐突に声をかけられる。


「橘さん」

「へ?」


 話しかけられる機会がほとんどない千花は自分の名前を呼ばれ、一瞬時が止まる。

 しかもこの声、いつも一緒にいる星乃にしては低すぎる。

 ぎこちなく振り向くと、そこには爽やかスマイルの茜がいた。


「え、お、沖田くん?どうかした…?」

「ちょっといいかな?」


 いつも通りのアイドルスマイルのはずなのに、何故か少し寒気を感じるのは、千花の気のせいだろうか。

 正直なところ、彼に学校内、しかも教室で話しかけられるのは千花にとっては大きなデメリットである。

 クラスに残っている女子たちから浴びせられるこの視線こそ、その証拠だ。


「えっと、ごめん。今からバイトが…」


 あって、と言う前に茜は千花の手を掴むと廊下へと引っ張り出す。


「は、え、ちょっ、沖田くん?!」


 茜は千花の手を離すことなく廊下を歩く。

 人はそこまで多くはなかったが、背が高い茜はよく目立つ。

 千花と茜が目の前を通るとざわつきが大きくなってゆくのは、千花の気のせいであってほしかった。


(終わった……私のスクールスローライフ……)


 千花が今にも泣きたいと思っているとようやく目的地にたどり着いたようだ。

 そこは廊下の隅にある空き教室だった。


(空き教室……?)


 どうしてこんなところに?と頭にクエスチョンマークが浮かぶ千花をよそに茜は教室の扉を閉める。

 ようやく手首が開放された千花は一瞬胸を撫で下ろしたが、それも束の間。

 バイトの時間が刻一刻と迫っていることを思い出す。


「あ、あの、申し訳ないんだけど、長話なら明日の朝にでも…」


 放課後はあんまり時間がなくて……と語尾を濁していると、茜は何も言わずにこちらに近づいてくる。

 端正な顔立ちがつくりだす真顔は、威圧感さえ感じる。


「えっと、あの、沖田く…」


 ドンッ


 びくりと肩を震わせた千花の真顔には茜の手がある。

 見上げればすぐ近くに整った顔があった。

 千花が金魚のように口をパクパクさせていると茜が口を開く。


「昨日のこと、誰かに話した?」

「えっ…?」

「だから、昨夜のこと」


 突然の質問に頭が追いついていない千花に、茜はもう一度問う。


「誰かに話したか」

「え……ううん、話してない、けど…?」


 人生初の壁ドンに恋愛慣れしていない千花の心臓は忙しなく動いているのが分かる。

 というか壁ドンって本当に存在したのかと一周まわって冷静に思えた。

 千花が答えると茜は少しほっとしたような表情をした後、また顔をしかめる。


「言うなよ」

「え?」

「昨夜のこと、誰にも言うな」


 いつも目尻を下げているその顔は、今はつり上がっている。

 その瞳は冷淡さがあった。


「な、んで?」


 その瞳に一瞬怯んだものの不思議に思って尋ねる。


「任務の都合上。お前には関係ない」

「任務……って何?というか、沖田くんは何者?」

「だから、お前には関係ない」


 もう用は済んだからと壁から離れた茜は千花に帰れと言うように手をひらひらとさせる。

 時間がないと言っているのに無理やり連れ出しておいて、意味のわからない命令をして、しかもその理由をはっきり言わない。

 その言動に千花の中の何かがブチンと切れた。


「勝手に引っ張り出しといて何よそれ!お前には関係ない、って言うけど、私だってたまにああいう狼みたいなの倒してるんだから!あと、お前って言い方やめてくれる?!私の名前はた、ち、ば、な、ち、か!」


 人に対して感情をぶつけることなど滅多にない千花は茜に言いたいだけ言った後、ふんっと鼻で息をする。

 自分から連れてきたくせに何様だ小僧とさえ思っている千花に対して、茜はその言葉に目を見開て問いかける。


「昨日が初めてじゃないのか?」


 大事なのはそこじゃない!とツッコミたくなる気持ちを抑えて、千花はぶっきらぼうに返答する。


「そうよ。昨日を合わせて5回くらい。毎度蹴りをお見舞してやってるけど」


 可愛げのかの字もない千花の言葉に、茜は軽く硬直していることがわかった。

 いつもは綺麗につくられた顔しか見せない茜が間の抜けた顔をしているのが不思議で、なんとなく笑いが込み上げてくる。

 千花が笑いを噛み締めていると、茜が再び千花の方へ歩み寄ってきた。


「そういうことならこうするか」

「な、何……?」


 千花は後ずさりしようとしたがすぐ後ろには壁。

 まずいと思った時にはもう手遅れ。

 茜はクイッと千花の顎を持ち上げると意地悪く口角を上げる。


「橘千花、お前も組に入れ」

「……は?」

「二度も言わせんな。お前も 討狼組とうろうぐみ に入れ」

「……無理」

「……は?」


 即答した千花に対し、断られると思っていなかったのか、茜はあっけらかんとしている。

 その隙をついて千花は茜から距離を取ると、放置されていたスクールバッグを手に取る。


「いきなり意味分かんない組に入れって言われて素直にうんって言える訳ないでしょ。ということでもう行くね、さよなら」


 千花はぽかんとしている茜をおいて空き教室の扉を開けると一瞥もせずすぐに扉を閉める。



 ガラガラと鳴る戸をきっちりと閉めきると千花は早足で廊下を進む。

 ぎゅうっとスクールバッグの持ち手の根を握れば、先程の出来事が脳内に映し出される。


 "橘千花、お前も組に入れ"


 "二度も言わせんな、お前も 討狼組 に入れ"


(何なのあいつ……!)


 あの憎たらしいほど整った顔を思い出すだけでいらいらしてしまう。


「そもそも、 とうろうぐみ って何よ。ヤクザの仲間入りなんて死んでも嫌!」


 ヤクザになれば確実に千花の欲しいものは手に入らない。

 ましてや壱成まで巻き込んでしまうかもしれない。

 今まで自由にしてやれなかった壱成にはどうかしあわせになってほしい。


 下駄箱で靴を履き替えると手が無意識に自分の顎に触れる。

 再び思い出された美形はちょっと前まで千花の顔とげんこつ1つ分ほどの距離しかないところにあった。

 長いまつ毛の中の瞳は性格にそぐわず澄んでいて、その奥に僅かに赤い何かが輝いていたような気がした。


 はっと我に返った千花は己の両頬を勢いよくパンパンと叩くと、鞄を掴んで外へと飛び出る。


「バカバカ私!あんなのの口車には乗らないんだから…ってやばい、遅刻しちゃう!」


 門を出た後も千花は足を止めることなく一直線にバイト先へと駆け出した。

 叩いたからだろうか、少し熱を帯びた薄紅に染まる頬をひんやりとした風がさらりと撫でた。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 千花が出ていった後、まだ冬の余韻が残る風が吹く教室に茜はぽつんと立ち尽くす。


 茜は己の見た目を差程気にしたことはない。

 好青年を演じているのも、勝手につけられたバイアスに則っているだけ。

 中学時代にそのバイアスのせいで痛い目を見てきた茜は他人の望む姿を演じることにしたのだ。

 故にモテたいという願望などさらさらない。

 考えたことすらもない。


 しかし周りは気にするようで高校に進学した途端、茜の周りにはたくさんの人が寄って来た。

 その大半が猫なで声で言い寄ってくる女子や自分は一軍ですとでも言いたげな見た目の男子など。

 大体は茜をブランド品かはたまた宝石の付いたアクセサリーとしか見ていない奴らばかり。

 もちろんそいつらは欲しか持っておらず、茜の頼みごとなどすぐに聞き入れてくれる。

 頼んでいなくとも世話を焼こうとさえしてくる始末。


 中学の頃のような男子からの妬みや僻みは減ったものの、これはこれで毎度吐き気に苛まれるが逆に上手く利用するまでと放置している。

 そんな茜は謝絶や拒絶されることとほぼ無縁で生きてきたのだ。


 しかし―――


 茜は先程の千花のことを思い返す。


 "……無理"


 "いきなり意味分かんない組に入れって言われて素直にうんって言える訳ないでしょ"


 ここまではっきりと、しかも文句までつけられたことは初めてですぐに言葉が出てこなかった。

 何が茜をここまで傲慢にしたのか分からないが、断られたことが腹立たしくもあり面白くもあった。

 茜はフッと意地の悪い笑みを浮かべる。


「橘千花、お前を絶対に組に入れてやる」


 空き教室から見える空はまだ明るく、薄らと欠けた月が浮かんでいた。



 ***

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